
あけましておめでとうございます、けどいつか
横浜からは、夕日に映える富士山しか見えません
野球の審判をやって、そう10年過ぎたあたりからか、野球って、みんな違う景色を見ながら、それぞれ違う個性を持った人が違うポジションで違う景色を観ながら、一つの球を追いかけている、まさにスポーツなのだなぁと思うようになった
親父がしみじみ、何であんな、くさった戦争したんやと何かの折にポッリと言ったこと
母親があの頃は、天皇さんも若かったといっていたこと、畑の畔道を歩いていて、艦載機のグラマンに機銃掃射でほとんど子どもの女の子を追いかけまわしていた、慌てて、道の横に隠れた、殺しは、しないけど、振り返ったら、赤い顔したパイロットが見えたとか
先の敗戦のことを調べるたびに、風景が違う、そして敗け戦の話しばかりで、開戦の時に観た青空の話は、ほとんど出てこない
いつか先の敗戦を感じてみたいと思っていて、近衛、いや日本人そのもの、あの他人の所為にして、逃げまわる私たちそのものに思いたち、平安時代から、天照大神、やまと言葉、ひらがな文字の起源から、お釈迦さま、三法に帰依、聖徳太子そして埴輪まで・・・
何が正月だ、キリスト教の決めた暦についこの前に替えておいて、有り難がる
そそっかしくておっちょこちょいなことだけは分かった様な気がする、これもはやとっちりで周りが見えてないってことか
アーァ、鶴亀鶴亀