日本でもっとも多い、八幡神社と秦氏、秦の始皇帝、幡多
八幡神社の御祭神は、応神天皇とされています、源氏の守りが身でもあり、この鎌倉の地に幕府を開いた源頼朝が鶴ヶ丘八幡宮を勧請された由
海、船、馬などともご縁があるようで、田中英道先生のお話をうかがうとユダヤの民とも言われる秦氏とも関わりがあるようです
実は、故郷に幡多とかいてハダとなまるようなのだけど、このハダは、日本全国に散らばっている、もともとの秦の字を使うところもあり、なまったり、変化したり、当て字になったりしたようだ
太古の時代、ユダヤからの移民で大陸の稲作、灌漑技術、蓋、機織り技術を伝えたらしい
思い出すのは、その地方のおっちゃんの鼻は、例の鉤鼻だった
私は、引き継いでないが親戚にも友だちにもいたと思う
大陸の長江文明を伝え、故郷にため池を作り、水を統御したのだろう
秦の始皇帝は、多分、白人の王だったのだろう、だから白い王、皇帝だ、漢字は、表意文字で、確か、始皇帝が標準化をしたはず、その遺民がやってきて、私たちの一部を構成しているのだろう