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吉村家、ラーメン杉田家

まだ新杉田の産業道路沿いに吉村家があった頃、仕事の仲間が午前中が美味いと教えてくれた

午後の東京での打ち合わせに、昼前に入った、そう、既に2〜30人は並んでいる

12〜3人をどかどかと入れ替える、事前に麺の硬め柔らかめ、油濃め、大盛りなどを聴いて、どさりと茹でる

数は、賢いおばちゃんが伝えて、まず硬めから出すのだ

あんなに大量なのに、不思議とそれなりに収まっている、ほうれん草、海苔、支那竹、チャーシューだったかな?

同僚の話しでは、朝早くから開けて、昼過ぎには、スープが薄くなる、それで閉店とのことだった

吉村の親父が、弟子達を怒鳴る、殴る蹴る、それが、一段落すると、食べ方をお客に教えてくれる

上から食べていいんですよ、下に硬めの麺を入れて、食べ続けていると同じような硬さになる様にしてる、お酢を足しても美味しいよとか

今思うと、わざわざ食べるときに麺をひっくり返す人がいるとか、スープをほとんど残してるお客を見つけたら、こんな事を言ってたようだ

良い背広を着た3人が入ってきた時、お客に緊張感が走る、おっ、始まった・・・サラリーマンなんてつまらない、俺なんか、ここで3億を儲けた、こんな話しを弟子達にも、お客にも聞かせるのだ

表では、水が一杯に入ったバケツにタオルを漬けては、網で掬っての繰り返し、腰を入れろとか、言われつつ、店を持てる様になるぞとか言われてる

産業道路には、築地市場に運ぶためのトラックが夜中走っている、市場が開く前の時間調整の間に暖かいラーメンを提供していたらしい、だから3時、4時から開けて、午後早く終わる

先見の明とは、これを云うのだろうとしみじみ思った、その後、弟子を育て、今では家系ラーメンの総帥になっている

横浜駅近くに移転、そして道路の向かい側に弟子の杉田家がオープンした

ついこの間、懐かしくて、食べられるかなと思って見に行ったが、行列は、隣の駐車場の所まで、吉村家の全盛期と同じくらいだ

杉田家の報告は、また今度にします、吉村家のことばかり思い出してしまった

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