『oasis: supersonic』を観ました
最近、あまりnoteで書きたいなと思うような内容のインプットができていませんでした。そこで、せっかくAmazon Primeに入っているのにろくに特典で観れる映画を観たことがない(「ゴッドタン マジ歌選手権」しか観ていませんでした、もったいない)ので、この時間に余裕のあるうちにちょっとずつ観たいな〜と思って、久しぶりにアプリを立ち上げてみました。
『oasis: supersonic』がある…!!
観終わって、これだけで「アマプラ課金しててよかった…」と思いました。
今回はこの映画の感想を書いていきたいと思います。考察好きのオタクの戯言ですが、よければお付き合いください。
※全編を通して『oasis: supersonic』および『Liam Gallagher: AS IT WAS』の内容についての記述があります。ネタバレを避けたい方はご注意ください。
どんな映画?
90年代のブリットポップブームの中心で、本国イギリスのみならず日本を含め世界を席巻した伝説のロックバンド・Oasis。そんな彼らの結成〜デビュー〜2ndアルバム『(What's The Story) Morning Glory?』リリース後、ネブワース・パークでの25万人(東京ドーム最大収容可能人数の約4.5倍!)を動員した野外ライブまでを、たくさんのアーカイブ映像を使用して描き出したドキュメンタリー映画です。
Oasisとの出会いについて、また今年2020年に公開された、ボーカル・リアムのOasis解散後に密着したドキュメンタリー映画『Liam Gallager: AS IT WAS』については、過去に(個人的な感想をたっぷり含めて)書いているので、よければこちらもご覧ください。
こちらは製作総指揮に、バンドの中心人物だったリアム、ノエルのギャラガー兄弟両方が関わっていることが大きな特徴。また当時・活動初期のメンバーやスタッフのインタビューも豊富で、いろいろな人物の視点からOasisというバンドについて知ることができます。
構成としては過去の密着映像がメインですが、楽屋やホテルでの彼らを映した映像はまるでホームビデオのようで。コラージュで作られたコミカルな再現映像の部分もMVかと思うようなおしゃれな作りで、ドキュメンタリー映画の堅苦しさはまったくなく観られました。
劇的すぎる2年半
まず驚くのが、この映画で描かれているのがOasisのデビューからたった2年半の出来事だということ。観たことのある方はわかっていただけると思うのですが、特にひとつのイベントを長々掘り下げている印象は全くなく、むしろ色々な出来事を駆け抜けるように描いているにもかかわらず、です。
バンドの結成、ひょんなきっかけからのクリエイション・レコーズとの契約から始まり、1st『Definitely Maybe』でデビューアルバムとしてイギリスでの当時最速売上を記録。そして発売と同時に世界で爆発的ヒットを飛ばし、現在でもOasisとして最大の売上を誇る伝説のアルバム・2nd『(What's The Story) Morning Glory?』をリリースと、まさにsupersonic(=超音速)で立て続けに伝説を塗り替えたその瞬間が切り取られています。
2年半。日本での中学校や高校の在学期間より短い年月で、こんなに激動の日々を彼らが過ごしていたなんて…
目まぐるしく変わっていくバンドを取り巻く環境、バンド内外の人間関係、そこから生まれる大きな葛藤。Oasisが90年代に最も成功したバンドのひとつであることは間違いない事実ですが、その裏にはトラブルの連続だったことや、バンドとして成功し夢をかなえることが、ただ楽しいことばかりではないということを教えてくれます。
映画のラスト、1996年8月のネブワースでのライブの後も、バンドは2010年まで活動を続けます。ただ、特に当時を知るファンにとって、この映画で描かれた2年半がOasisにとって黄金期であったことは共通認識のようです。この黄金期がデビュー間もない時期ということに、桁違いの凄さと儚さを同時に感じてしまいました。
兄弟で同じバンドをやるということ
Oasisといえば、労働者階級出身だからこそ生まれた歌詞もその特徴のひとつです。この映画でもライブ映像が何度も使用されていますが、そこに映る観客の若者たちの熱狂は凄まじいものです。特にネブワースでの野外ライブでは、イギリス国民の4%超がチケット申し込みをしたとのこと。レベルが異常すぎる…
リアム、ノエルのギャラガー兄弟は母子家庭で育っていて、マンチェスターの公営住宅出身。オアシスとしてのブレイク前は失業手当をもらっていたこともあると語っています。ここから世界的なロックバンドへと駆け上がっていく姿に、イギリスの当時の若者が勇気づけられていたのも、至極当然のことなのかもしれません。
「今の暮らしから簡単に逃げられはしないけれど、俺はロックンロールスターになるんだ」という決意を歌った「Rock 'N' Roll Star」。記録的ヒットを打ちたてたデビューアルバムの1曲目を飾る曲です。この歌詞が生まれたのも、まさに彼らのバックボーンの影響あってこそでしょう。作中での使われ方、カッコ良すぎて鳥肌立ちました。
またバンドのいちばんの特徴として、この兄弟の仲の悪さが挙げられます。バンドの解散の理由ともなっており、『Liam Gallager: AS IT WAS』では「2人は解散後、一切の連絡を取っていない」というテロップも流れたほどです。その徹底ぶりには逆に笑ってしまいました。
『Liam Gallager: AS IT WAS』では、リアムがノエルの頑なに彼を拒絶する姿を「家族なのに」というふうな表現で非難しています。ノエルのことはともかく、家族を大切にしているリアムらしさを感じる言葉ではありますが、この「家族なんだから」という言葉を『oasis: supersonic』では、ノエルがリアムを評すときに使っていたのがほんとうに驚きでした。「俺たちはケンカもするけど— 兄弟だ」と、とても肯定的に。
また、冒頭ではノエルが「Oasis最大の強みは俺たちの兄弟関係だった」とも語っています。リアムの容姿やユーモア、歌について褒めているインタビューもあり(!)、同じバンドをやっていくにあたって、弟のことを認めていたことがわかります。なにより、楽屋やスタジオでリアムに向かって話すノエルがニコニコ笑っているなんて…!今となっては考えられない光景です。
先ほどのノエルの言葉には続きがあります。
「〜俺たちの兄弟関係だったけど、結局それでバンドがブッ壊れた」と。
それだけ弟のことを自分が追求する音楽にとって重要だと考えていたからこそ、それが壊れてしまったときに、今のように「拒絶」という形で完全に断ち切ってしまいたくなるのかもしれません。
さみしい結果ですが、作中でのノエルのリアムへの態度を見ると、どれだけ彼が弟のことを大切に思っていたのか、そこからの失望がどれほど大きなものだったのかを察してしまいます。さみしすぎる結果ですが…
ソングライター、リーダー、ノエル
前章でもノエルのことばかり書いてしまいましたが、わたしはこの映画を、特にノエルに感情移入をして観ていました。
ノエルは(裁判の結果、「オマージュ」元のアーティストと共作になることもありますが)Oasisの楽曲のすべてを手掛けたソングライターです。解散後は、自身のソロプロジェクト・Noel Gallagher's High Flying Birdsでその才能を発揮しています。
また、彼は初期メンバーとしては最後の加入になりますが、音楽的な面で総指揮をとるリーダーでもありました。技術の乏しいメンバーたちを集めて週7で練習したり、リアムの歌入れのOKを出すのはノエルだったりと、まさにOasisの活動の中心はノエルだったと言っても過言ではないと思います。
(週7練習の出典はこちら。2006/11/22の放送とのこと、リアタイで聴いていた人がうらやましい…!)
ただその構図が、ノエルと他メンバーとの温度差をつくってしまう原因にもなってしまいました。
冷静で、ちょっと内向的ともいえる性格(これにはつらい生い立ちも関係しているかもしれませんが)から、1stアルバムの爆発的ヒットも悲観的に捉えていたノエル。それとは対照的に、享楽的な態度でいたリアムや他のメンバーたち。当事者としての孤独な心境は計り知れないものがあったと思います。
そんな状況のなか、Oasis黄金期の数々の名曲をひとりで作り上げてきたノエル。『Liam Gallager: AS IT WAS』に、そんなOasisの楽曲は1曲も使われていません。理由はシンプル、ノエルが一切許諾を出さなかったからとのこと。
『AS IT WAS』作中だったと記憶していますが、ノエルはOasisの楽曲を「俺の曲だ」と言っています。ソングライティングに自信を持つ一方でこのようなエピソードもあったことで、バンドメンバーに対しては「このメンバーじゃなきゃ」というこだわりはなかったようにも思えます。
映画のあとも、Oasisはメンバーの兄弟を除く総入れ替わりや所属レコード会社の倒産→自主レーベルの立ち上げを乗り越えています(そこもソニーと業務提携を行っており、メジャーと変わらない規模での活動でした)。なんとか活動は続けていましたが、最終的にはノエルの脱退という形でOasisは解散は迎えます。リアムとの関係の悪化がもちろん一番の理由ではあるでしょうが、ノエルにとって「誰と音楽をやるか」ということは(リアムに失望した後は)それほど重要なものではなかったのかもしれません。
現在のソロ活動ではのびのびできているご様子です。
「俺はあまりにスゴすぎるから引退しなければならないかもしれない」
ほんとうにのびのびされているようで何よりです。
「友達」が「ビジネスパートナー」になるということ
また終盤では、バンドのブレイクに伴って自分たちが作る音楽が「ビジネス」としての役割を増していき、環境や人間関係が以前のようにいかなくなっていくことへの葛藤がにじんでいました。
「仲間とワイワイやっていたところに、マネジメントが入れば様子は変わる」というリアムの言葉、「皆が一緒になってツアーに燃えてた頃が一番良い時代だった」とのマーク(音響技師、プロデューサーであり、ノエルの長い友人)の言葉には、友達と一緒に好きなものを仕事にすることの難しさが表れています。
音楽をより多くの人に届けるには、バンドが自分たちだけでできる範囲には限界があります。特にOasisがデビューした1994年は、まだインターネットが世の中に浸透していない時代。音楽レーベルなど会社の意義が、今よりもよっぽど大きかったのだと思います。ロックバンドとしての成功のために、契約しないわけにはいかないけれど、それによって失われるものがたくさんある事実。
音楽を「趣味、生きがい」と捉えるライフワークの側面と、「お金を稼ぐ手段」と捉えるライスワークとしての側面との兼ね合い。
バンドのメンバーは「仲間」であり、「ビジネスパートナー」でもある。
その現実がまざまざと描かれていて、観ていて苦しくなるほどです。
もちろんここをうまくやれるバンドも世の中には存在しますが、Oasisはそこはうまく行かず、元メンバーは精神を病んでしまったり、さらには訴訟騒ぎにまで発展したほどでした。伝説的な成功を収めても、すべてがうまくいくわけではないのです。
彼らの歴史には必要な犠牲だったのかもしれませんが、どうしてもこの部分は悲しくなってしまいました。
劇中、ベース・ギグジーの復帰ライブでのシーンに流れる「Acquiesce」の歌詞が切ないです。
この歌詞の本当の意図はわかりませんが、これがもしギグジーをはじめ、当時のメンバーに向けられたものだったのだとしたら。ノエルのOasisメンバーへの執着のなさは、このトラブルでの経験が原因なのかもしれないな、と思ったりもします。
公式サイトでは、この映画を観た著名人からのコメントが多数寄せられています。その中でもトップに出てくる、THE YELLOW MONKEY・吉井和哉さんのコメントを引用します。
これからバンドをやる奴、またはやってた奴は必ず観たほうがいい。
成功に必要なことと成功との引き換えに起こること。
オアシスの曲が心に響く理由がわかった。
観終わって
映画を観終わって、やっぱりOasisというバンドの素晴らしさを改めて実感しました。ノエルはネブワース・パークでの熱狂を「インターネット誕生前最後のすばらしい集まりだった」と評していましたが、確かにわたしは生まれてこのかた、これほどまでの熱狂を観たことはありません。いちばん近いものであればTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの98年フジロック公演が思い浮かびましたが、それもDVDの画面越し、この目で直接観たわけではありません。
ノエルの言うように、インターネットが浸透して「ライブ」というものへの特別感が薄れてしまった影響もあるのかもしれません。しかしわたしはそれよりも、当時のイギリスの若者が「自分たちと同じ」労働者階級から出てきた彼らの歌詞・姿に夢を見ていたのと同じくらい、多くの人々に"夢を見させてくれる"存在が今はいないことが理由ではないか、と思っています。もちろんそれには価値観の多様化も原因のひとつだし、それにはインターネットも深く関わっていますが…
そして、夢を実現したあと、どうしていくのかが大切ということも学びました。特にバンド活動においては、目標を"メジャーデビュー"とおいてしまうと、その後の長いミュージシャン人生で迷ってしまいます。デビュー間もなくブレイクしてしまい、2年半で予想外の超規模野外ライブも成功させてしまったことについて、ノエルは「始まりではなく終わりを感じていた」と語っています。
これは、就職活動でも同じことが言えると思いました。なかなか決まらないとつい内定がゴールと思えてしまうけれど、実際は入社したあと働くほうが重要だし、就職活動よりもよっぽど長い時間を費やしていくことになります。目標を追うのは大切だけれど、その後のことも考えた目標にしておくことが自分の人生を考えるうえで大切だと、この映画を通して学びました。
リアムの「今より上が望めなくても好きなことはやめなくていい、キスしたなら次は噛め」という言葉には勇気をもらえると同時に、彼らのこの後の音楽人生を思うとなんだか切なく感じてしまいます。
夢のまた夢かもしれませんが、もしOasisが再結成したとしたら、またこの熱狂は生まれるでしょうか。この後のキャリアを、そのときの彼らはどう築いていくのでしょうか。ぜひそれを確かめられる機会があればいいなと、改めて思いました。