「ファッション誌はファンタジー」だと思っている
みなさんは、ファッション誌はよく読まれますか。
ファッション誌、割とどこにでもありますよね。書店やコンビニのほか、美容院、図書館など、手にできる機会は意外と多いのではないでしょうか。
しかし、出版業界自体の縮小、書店の減少、さらにSNSの登場と、ファッションのみならず「雑誌そのもの」を取り巻く環境はかなり厳しくなっており、ひと昔前のような「ファッション雑誌がトレンドの最先端を作っている」という状況ではなくなっているのも実情です。
実際、わざわざお金を出してファッション誌を買わなくても、インスタで好きなモデル・インフルエンサーやブランドをフォローしておけば十分!という意見も少なくないでしょう。
今やファッション誌は、以前よりもその「嗜好性」が高まっているように思うのです。
当のわたしはというと、中学生ではじめて手にとって以来、今でも気に入ったファッション誌は購入して読んでいます。
愛読誌は隔月刊ですが、他の雑誌もチェックして気に入ったらつい購入してしまいます。ファッション以外の専門誌も頻繁に購入しているので、自宅の本棚は雑誌がほとんどを占めています。重さで仕切り板が抜けそう…
周りの友達と話していても、ここまで雑誌、特にファッション誌を色々買いあさっている物好きはわたしくらいで、大概不思議がられます。
「SNSのほうがよっぽど自分に合う情報だけ手に入れられるのに、なんでわざわざ雑誌を買うの?」と。
この意見を何度も聞き、そういえばわたしは何でこんなに雑誌が好きなんだろう? と初めて考え「ファッション誌を完全なフィクションとして楽しんでいるな」ということに気づきました。ここに、きっとわたしがファッション誌を好きな理由、またファッション誌を今でも楽しめる人と、そうでない人との違いがあるのかもしれないと思い、一度noteに書くことで整理してみたいと思いました。
よろしければぜひお付き合いください。
出会い
まずは、わたしがファッション誌を手に取りはじめたところからお話していこうと思います。
わたしがファッション誌を手に取ったのは中学生の頃、『Seventeen』が最初でした。数々の女優さんを輩出することでも有名な雑誌ですが、わたしが読んでいた当時は桐谷美玲さん、波瑠さん、剛力彩芽さん、広瀬アリスさんらが在籍されていました。
小学3年生くらいから、洋服へのこだわりは強くありました。当時の小学生に大人気だったナルミヤ・インターナショナルのブランドが、例に漏れずわたしも大好きでした。お小遣いをすぐに使わずに貯めて、セールで3000円くらいのANGEL BLUEのTシャツを買った日のことは、今でも不思議なくらい鮮明に覚えています。
ANGEL BLUE、今はブランド自体がなくなってしまって、今の小学生は知らないんですよね…
当時(2000年代後半)のANGEL BLUEを覚えていらっしゃる方にはわかって頂けると思うのですが、このブランドと言えば彩度高めでカラフルな色使い、そしてナカムラくんをはじめとしたキャラクターの存在感が特徴でした。アイテム単品で見るともちろんかわいいのですが、正直コーディネートはめちゃめちゃしづらい。
実際わたしも、当時はとんでもない組み合わせで着ていたな… と、いま振り返ると思います。
でも小学生のわたしにはまだ配色のセンスもなく「着たい服をそれぞれ着る」という考えしかありませんでした。
しかし中学生になり、友達と私服で出かける範囲が広がると、人からの見え方を気にし始めるようになります。またこのときは、サイズや周りの雰囲気の変化から、ANGEL BLUEなどの「子供服」を卒業する時期でもありました。
そして直面するのが、ティーン向け(「ヤングカジュアル」とでも言うのでしょうか)のブランドの多さです。子供服のそれよりも膨大な選択肢、またこれまで意識していなかった”コーディネート”という概念に、わたしはただ困惑してしまいました。
とりあえず、何かお手本がほしい。
このとき初めて、わたしの頭のなかに「ファッション誌を読む」という選択肢が浮かびました。それまではもっとお姉さんが読むものと思っていたけれど、ファッション誌なら何か答えがありそうな気がする。
ちょっとどきどきしながら、本屋さんで誌名を知っていた『Seventeen』を手に取りました。
これ! まさにこれです!!!
まったくの非日常だった
当時の『Seventeen』、今見るとなんかもう、時代… って感じですが、当時の流行を凝縮したような誌面に、田舎の中学生だったわたしはひたすらに衝撃を受けていました。載っているものが大体、普段の生活で目にしないものだったからです。
掲載されているブランド(当時はCECIL Mc BEEやdazzlin、OLIVE des OLIVE、あとはWEGOやスピンズが多く載っていた記憶があります)は名前くらいは聞いたことがあったけれど、どれも地元には出店していなくて。どんな洋服を出しているブランドなのかは、すべて誌面から知りました。
いまやCECIL Mc BEEはブランド自体がなくなってしまったし、dazzlinはいつの間にか(良く言えば)リブランディングされてもっと低価格なブランドになってしまいました。それこそ時代… って感じですね…
ごくたまに遠出してショップに行っては、『Seventeen』で見たブランドの雰囲気を味わいながら買い物をするのが、当時のわたしにとって何よりの楽しみでした。
でも、ショップに行くのに服が1着買えるほどの交通費がかかっていて、中学生のお小遣いではコンスタントに行ける場所ではとてもなかったので、雑誌で見つけた欲しいアイテムは基本的に完売後でした。雑誌のなかのものを自分の暮らしに取り入れるには、なかなかハードルが高かったのです。
ファッション特集以外にも、巻末には読者参加コーナー(「学校生活のリアル」だとかアンケート企画だとか、そんな感じの)読者の中高生から寄せられたコメントを元にした特集も毎号ありました。でも、そのなかのほとんどがわたしの周りでは耳にしないもので、微塵も「リアル」ではなかったことだけを覚えています。
そのときからわたしにとって、雑誌はドラマ等と並列の、パッケージ化された「フィクション」であり、「非日常」の世界と捉えていました。
今のわたしの「ファッション誌」の読み方
冒頭でわたしは、今でもファッション誌を購読しているとお話しました。その通り、わたしは今『装苑』を毎号(紙で)購読しています。
ウェブサイトも充実してて好き。
わたし自身が大人になって行動範囲が広がったことに加えて、さらにインターネットが圧倒的に充実したことで、「雑誌の中の世界」=都会と地方との差も、わたしの中学生当時よりは縮まってきているのではないかと感じています。誌面のブランドは相変わらず近くにショップはありませんが、それでもネット通販で手軽に買うことができます。
しかし、誌面の商品が「実際に手に取れるもの」へと変わったとはいえ、特に『装苑』の世界はわたしの普段の暮らしとは程遠いです。雑誌に載っている服、たまに買いますが、実際地元で着ると結構浮きます。これは雑誌のテイストの問題もありますが、職場に着ていくのもちょっとハードルが高い。
もちろん、もっと着やすい実用的な服が載っている雑誌もあります。『FUDGE』とか『GISELe』とかも好み。でも毎号購入して、手元で長く残しておこうとはあまり思いません。
一時の「そのとき着るもの」を知るのに、わざわざお金をかけて、さらにそれをストックしておく必要性を、あまり感じないからです。
『装苑』はカルチャー色が強く、ファッションだけでない発見もあるというのも毎号買っている理由ですが、それよりも、わたしは中学生から(深層心理的に)思っていた「雑誌は、自分の理想・知らない世界を見せてくれるもの」という認識がずっとあることが、一番の理由なのかもしれません。
「そのとき着るものを知る」ではなく「知らないものを知る」ことを目的に読むと、時代の流行は「その時代を映すもの」と捉えられるので、古いものを読み返してもめちゃくちゃ楽しいです。
いわば、わたしは大人になった今でも、ファッション誌を「ファンタジーのもの」、そして「アーカイブ」として購読しているのです。
結局、ほんとうはどうなんだ?
と、ここまでつらつらと振り返ってみましたが、ふと思うのが「雑誌のペルソナ(=ターゲットとする人物像)にぴったり合致する人なんて、実際そんなにいるのか?」問題です。
わたしはずっと「田舎育ちなこと」がこの思考の原因だと思っていましたが、都会育ちであっても、(特にティーン向けの)雑誌で描かれているような"キラキラ生活"を送る人はそれほど多くないはずです。
大人向けの雑誌は細分化されているぶん確率は上がる気がしますが、それでも読者がひとつのタイプに画一化されているはずはありません。
つまり、読者の文化的素養・環境はそこまで関係はなく、ファッション誌を手に取る人は少なからず、誌面に「憧れの世界」を求めているのではないでしょうか。
でも、田舎育ちしか経験できなかったわたしにとって、その真偽を確かめる術はありません。小学生もスマホを持つ時代、今はまた状況が違うだろうし。
いま、ファッション誌の役割ってなんなんでしょうか。
みなさんは、どんな目的でファッション誌を手に取りますか。
また、手に取らない理由はなんですか。