2022/03/01
疲れから来るのか、何なのかさっぱり分からないが、初勤務を終える頃には頭がぼんやりとしてしまった。疲れを構成する大半はおそらく、気疲れである。2畳半というスペースでは、パーソナルスペースが辛うじて確保できるだけであって、他者との緊張関係は維持され続ける。そのうえ、食事から水分補給まで常に共にすることになるのだからなおのことである。八時間の勤務には休憩時間が含まれておらず、したがってコンビニなどで事前に買った食事をフロント業務に従事しながら食するということになる。幸いなことに、渋谷は十秒歩けばコンビニが一つあり、二十秒あれば二つ、三十秒ならば四つと、ここいらではコンビニが指数関数的に増加するので、すべての道はコンビニに続くのである。
いずれにせよ疲れがひどく、そそくさと帰り支度を済ませた。退勤時刻である十一時になると同時にタイムカードを切ることができるように構え、実際にその時刻になったので退勤の打刻を行った。フロントから出て、フロント窓から僅かに見える店長へ会釈をし、スキップをするようにラブホを後にした。ラブホの構造上、致し方ないことではあるものの、日中は外部からの灯りが一切入らない。辺りはすっかり夜の帳を降ろして、既に道玄坂は色欲に溢れている。そのピンク色の光景を傍目に、坂を下ってから細い路地へと足を踏み入れた。
路地には今にも外壁が崩れ落ちてきそうなほど黒んずんだビルに、路地にほっぽり出された寸胴鍋、それから中華鍋がある。その脇の穴ぼこから鼠が飛び出してきた。思わず、身体を硬直させるが、随分と元気な歌声のせいですぐにかき消された。たぶん、ビルのなかにあるバーから聞こえてくるものだ。男が何をアピールするか、熱のこもった歌声でラブソングを歌っている。僕はその歌を軽く口ずさみながら路地を抜けていく。進むほどさらに古ぼけていく街並みは渋谷の数回に渡るであろう開発をすり抜けているようで、きっとここには不可視の城壁があると思う。路地を抜けた先にある自転車めがけて、どんどんと歩を進めると、今度はネオンがどんどんと溢れてきて、先ほど見ていたラブホ街と遜色はない。そして、そのラブホ街の手前に置いた自転車の鍵を外すと、そのまま国道246号線へと向かった。