2022/02/01
事務所には茶色の髪色をした短髪な男性が待ち構えていた。ここまで僕を案内した長髪の男性は「よろしく」とだけ言って、事務所を後にして、残ったのはその小柄な男性と僕だけであった。彼は目元を細くして笑いかけるように、「はじめまして」と言ったので、同じように挨拶をする。机に並んだ書類に目を通してほしいとのことで、椅子に腰かけてから、書類に目を通した。それから印鑑やらマイナンバーやらを書類へと書き込む。どうやら彼は店長らしい。店長は小柄ではあるものの、えらくガタイが良い。そう思って、書類を書きながら耳元に視線をやったけれど格闘技の名残はなかった。書類を書き終えると店長へそれを手渡して、数十秒の沈黙が訪れる。おそらく問題はなかったようで、晴れて僕の初出勤が決定的なものとなった。
まずは業務内容を知るところから始めよう、店長はそう言って僕をフロント内へと案内した。期待を胸にフロントへと足を踏み入れたが、その期待は即座に瓦解した。フロント内はおそらく二畳程度しかない。しかも、その二畳は正方形ではなく、長方形に構成されている。したがって、かなりせせこましい。それだけならまだしも、天井を眺めればそれぞれの角度から合計三つの監視カメラがある。つまり、勝手なことはできない。きっとパノプティコンの囚人はこんな気分なんだろう。店長は僕に椅子を用意して、彼自身は鍵と現金を受け渡すフロント窓の前へ腰かけた。
真っ先に驚いたことは親父ぐらいの年の男が異様に多いこと。ほとんどがその年代の男性だと言ってもおかしくない。しかも、平日の真っ昼間からひっきりなしにここへ訪れるので、存外、暇がない。そもそも僕がこのバイトを始めた理由は本が読める、あるいはレポートを書けそうだったからだ。したがって、当初より立ち仕事は選択肢から外れていた。この世には等速直線運動があるとは言え、立ち仕事はやはり辛いし、何より本が読めそうにない。暇がありそうで、座り仕事。こういう条件でアルバイトを探したら、残ったものはたった四つだけであった。病院の夜間受付、駐車場の受付、あるいはデリヘル嬢の送迎にラブホテルのフロントである。そのうち最初の二つは既にその席が奪われていたので、そもそも募集がなかった。きっと邪な人間たちがその席を独占しているに違いない。残る二つのうち、デリヘル嬢の送迎は有り余るほどの求人があった。ただ、自車が必要らしい。実家に暮らしている僕にとって自車の調達は何とか可能なものであったが、バレたときの父の吊り上がった目に母の呆れた視線、そういうものを想像するだけで心に靄が覆う。つまり、僕のアルバイト応募はラブホのフロント業務一択であった。
しかし、知命を迎えた男たちが何やらその天命を悟って、足繁くラブホに通うのだから、僕の願いは直ちに叶わぬ願いとなりそうだ。