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ずっと上を向いていると首が疲れる
届きそうにない遠くのお星さまに向かって手を伸ばす、このよくばりな人間の性が人類を進化させてきたのなら、やはり人である以上、生きている間は常に欲しがるべきなのかもしれない。
みんなの欲しがる気持ちが競争を生み切磋琢磨でより質の高いものが生み出されていくのですね。
でも疲れたな。まず首が疲れた。だってずっと上向いてるし。
いつからだろう、さらなる飛躍という言葉が階段を駆け登るイメージではなくなり、遠くで輝くものを飛び上がってつかみ取り、すぐに飽きてまるきり価値のないものとして暗い足元へ放る、そしてまた遠くへ向かって手を伸ばす。その繰り返しのイメージに変わってきたのは。
プレゼン資料でも引用させていただいたりするのですが、本当この小説は最初から最後まで名言の宝庫で好きなんですよね。
個人的に恋愛小説なんですが恋愛小説っぽさがなくて、なんか現実ベースなので自叙伝を読んでいる気分になります。
恋愛小説を読むことで恋愛におけるコミュニケーションや感受性の向上を期待できるそうです。
そんな私には彼女いません(憤怒) なぜでしょう(怒号) 終わりだよこの国(絶望) etc…
本文
余談はさておき、SNS に疎かった私が最近 X (旧Twitter) を使うようになってから感じた事があります。
『なんか疲れるなぁ』
感覚的な話になりますが SNS を使っているとなんか疲れるというか気力を損なう感覚に陥ることが結構ありました。なんとな~く気分が下がる感覚
SNS とメンタルヘルス
モヤモヤしていたその時ふと思い出したのですが、「スマホ脳」という書籍でも触れられていた "Facebook depression" の事を思い出しました。
(こちらの記事が分かりやすいです)
フェイスブックを使った人ほど、人生に満足できていなかった。珍しいバカンスや高級グルメの写真に集中砲撃されると、短時間でも人生への満足度が下がる可能性があるのだ。
これなんじゃねーの?と思いながらゆる~く調べました
自己評価は他者との比較を通じて行われる
気になったら調べてる内に『社会的比較理論』という言葉を知りました。
『人は正確な自己評価を得るために、他者と比較する』という理論らしいです。
他者と比較するあたって比較方向があり "上方比較"、"下方比較"、"同レベル比較" という様に方向があるそうです。
要は「自分より実力が優れている・実績を上げている」という "上を見る" (上方比較) と
「自分より劣っている・不幸である」という "下を見る" (下方比較) といった具合に他者と比較して自己評価を下しているってことですね。
(同レベル比較についてはそのままの意味なので割愛)
上方比較 の場合、理想の人と比較することで
「自分はあの人のようになってやるぜ!!!」というモチベーションが高まる作用が期待できるそうです。
これについてはイメージしやすいところではあります。
"上を見る" が普遍的に正しい行いなのか
ではなぜ "理想の人" がウジャウジャいる SNS で私は気分が下がったのか、上方比較し放題の絶好の場にも関わらずなんで私は気分が下がったのか。
これを深堀りしていくと次のような資料と出会い腑に落ちました。
仮想上の友達の遂行(学業成績,運動能力など)が自分のそれよりも高い状態(上方比較)の物語を読ませ,その時の感情や行動を自由記述させた。その結果,子どもの中には,“自己向上の努力”というポジティブな行動につながるものもいれば,“友達への嫉妬”や“劣等感”というネガティブな感情を抱くものや“努力の放棄”や“友達への攻撃”といったネガティブな行動につながるものもいた。このように,社会的比較とりわけ上方比較の影響は必ずしも一方向によるものばかりではなく,そこにはパーソナリティ特性や比較の対象など様々な要因が関わってくるものと考えられる
――パーソナリティ特性との関連性に焦点を当てて
- 外山 美樹 著
『"上を見る" (上方比較) という事が必ずしもポジティブな結果をもたらすわけでは無い。要因が多いから比較によって得られる効果は人による。』
ということみたいです。
私は疲れる感覚を覚えた原因はこれだなぁと思いました。
どこか「本当にこういった理想に近づけるのか...?」という疑心暗鬼に悩まされる感じ。
こちらの論文だと実験結果に性別によって違いがあったりと、
こちらの論文だとその時の感情によって違いがあったりします。
これらを踏まえると必ずしも "上を見る" という行為が万人にとってポジティブな効果をもたらすものではなく、 'その人の性格や環境などあらゆる要素' によるというのに尽きますね。
当たり前の事かもしれませんけど個人的には目から鱗でした。
"凄い人"、"凄い実績" の方々を見て「凄い!!あんな風になりたい!!」とやる気を搔き立てられる時がありながらも、どこか「理想ではない自分の現状」と照らし合わせてみると、ふと気分が落ち込むことがあって内心「自分が変なのかなぁ…」とも考えたりしたので。
比較の常態化
使ってみて思うのですがメジャーな SNS って操作が簡単&便利ですね。
赤の他人の生活や考え方を覗けてしまうというのは冷静に考えると恐ろしいですね (しかも写真や動画も添えて)
この記事の趣旨に沿ってかなり穿った見方をすると SNS によって
「スキマ時間にサッと他人と自分を比較可能だから、毎日・毎時間・毎分に自己評価が更新されていく」といっても過言ではないかもしれませんね。
「意識が低い・下を見て安心する」 = 「良くない行い」なのか?
結論ですが「下方比較にも"自尊心を上げる"というメリットがある」ので、一概に悪いわけではないと自分は考えています。寧ろみなさん下方比較しなさすぎではと思ったりもしてます。
(当然相手に下方比較の対称であることを伝えたりするのは品の無い行為に変わりはないのでそれはすべきではないです。自分の心の中で思っておくに留めておきましょうという前提です。)
先述した通り「必ずしも一方向によるものばかりではなく…」という引用した通り下方比較の場合も例外ではないわけです。
悪い言い方をすると「自分より下を見て安心する・見下す」という事ですが、「自分より下を見て安心したい」って考えてしまう程追い込まれた精神状況の最中で
「そんな意識の低い考えはダメだ!!甘えだ!!上を見ろ!!」
って中々酷な話だと思いません?
自分なら「人の心とかないんか?」と言いたくなります。
当然、下方比較ばかりでは成長意欲の低下など悪い作用もありますが、
「そんな邪な!!」と過剰に邪見する必要もないんですね実際。
ここからは主観で恐縮なのですが、この辺のバランスがどうも崩れているように感じちゃいます。
上方比較のための材料が過剰に供給されていて、下方比較のための材料が供給されていないような…。
誰しもネット上に自分の悪行や醜態を晒すのも嫌ですもんね。最悪炎上するかもしれません。ボコボコにたたかれちゃう☆
逆に"パーフェクト"で"スペシャル"で"ワンダフル"な側面だけを見せてれば余程叩かれませんもんね。叩くところが無い。完全無欠。最強。
そりゃ供給のバランスも崩れるわと思ったり思わなかったり
この辺も気張らずゆる~くもっと深堀りしたいところではあります~
【まとめ】 シンプルに首が疲れません?
まとめになりますが、
私が言いたいのは冒頭でも引用した以下の文に尽きます。
でも疲れたな。まず首が疲れた。だってずっと上向いてるし。
たまにはバランスを取るために下向くのも良くないですか?
栄養バランス悪いから足りない栄養素をサプリで摂取するような感覚で。
例えが悪いかもしれませんが。
あと個人的な感想でしかないのですが「みんな常に上を見なければならない」なんて没個性的な話あります?
「あなたの意識が低いだけだ」と言われたらまるで返す言葉も無いんですけどね (笑)
背中に痛みがあり最近整骨院に通ったのですが
「骨盤が歪んでいて姿勢が悪いですね」と言われました…
ずっと上向いていたせいでしょうか
所感
慣れてないのに文章なんて書くものじゃないかもしれません。
ポエミー臭がキツすぎて途中から書いてて嫌になりました。イヤンハズカシイ。
人様に見せても自信が持てるようになりたいので、どこか別の場所でコソコソ書く練習をしたいと思います。今度はポエムにならないように…。
以上になります。
関連資料・書籍
https://soar-ir.repo.nii.ac.jp/records/692
余談
社会的比較理論は小学4年生あたりの年齢から適用できるらしいです。
自覚が無いだけで無意識の内に比較が始まるのでしょうか。
にわかに信じがたいです。
「スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなど IT に精通しているようなエリート達は自分達の子供にデジタル機器の使用を制限していた」という話は有名ですが、やっぱりその辺のメンタルヘルスへの影響を認知しているのでしょうかね?
SNS は使い方によっては幸福度を上げられるそうです。(SNS を所詮は連絡手段だと割り切っているとかですね)
でも SNS で幸福度が上がる人ってどのぐらいいるのでしょうね。
ごくごく一部の上方比較"される"側の人だけな気がしますが…。