幸せな時間とワーキングホリデー
2024年2月29日
うるう年は4年に1回で。
亡き祖母の誕生日。
幸せだな。と思った瞬間は人生の中でいくつかあって。
いまPOOLOというコミュニティに属している。
月末、週末、年度末に向けてお仕事お疲れ様でした。
サブスクの整理をしていてnoteの有料会員であることを知り「もったいなっ!」と慌てて記事を書いている。解約しないためにムーブでとりあえず書くぞ。
このブログは祖母のことを思い出しながら4年に1度の2月29日にあげようと思うも寝てしまったので、週末に読み直しながら少し編集してゆっくり公開している。
2,000文字ほどこんにちわ。
みよっしーあらためみよっちゃんと申します。3本目の記事。
2008年23歳
社会人1年め
つっぱって、独立して自分はひとりで生きていく。と思っていて。実家は大学生の時に引っ越しがあって家族が住む他人の家になり帰る場所を見失って、その違和感は一人暮らしの1ルームの隅において社会に爪痕を残そうとがむしゃらだった。
2010年25歳
社会人3年め
海外に行きたかった。
10代の頃に地元を離れて千葉から東京の私立に通い。前後して引っ越して当時SNSも携帯もつながりがなくて地元が完全になくなって。その重なりがコンプレックスになって。
「地元づくりをして生きていく。」
となんとーなく就職活動をして千葉の不動産会社に就職し契約がゴールでなくスタートとなり地元づくりの仕事をしていた。
ある日、しつこい親の連絡で実家みたいな住んだことのない知らない家に行った時に、祖母が小さい頃に好きだった料理と温めた布団と部屋を用意してくれて待っていてくれた。父親は新聞を読みながらテレビを見て笑っていた。
心がほぐれた。
2014年29歳
父が余命3年の通告を受けた。
海外に行きたかった。
仕事を辞めて実家に戻り、家業を手伝いながら父の介護をした。
記憶はあいまいだけど精神がもうどうにかなっちゃう時に、深夜のBSで流れていたニュージーランドの特集を見て
日本と同じく島国で四季があり羊が人口より多いとか可愛い過ぎる!行くわ!羊飼いなるわ!と、調べるてみるとワーキングホリデーという制度があることを知った。
SNS集客が世にあまりない中なぞにsns集客を成功していた、
SATという会社と出会った。
結論から言うと、ワーキングホリデーは自分で全部手配すれば行けるし一番安い。
説明会に行き話を聞くと、SATという会社では、「0円ワーホリ」というプランがあって。
①海外保険の代理店手数料
②ホームステイ先からの紹介料
この2点で事業を成り立てていて広告はSNS、サポート料はとらないため、他社と比べると数十万円安く事業を運営することが出来ていた。(賃貸仲介のビジネスモデルと近いかも。と遠縁ながら親近感を感じたのを覚えてる。)
海外に行く決意をした。
2016年31歳
結局ワーキングホリデーにいかなかった。
ワーキングホリデーには30歳までの年齢制限があって、前述したSATの社長にも相談して、飲み友達になって、(たまに)交流会を一緒に企画して、BBQしたりフットサルしたりただただ行きつけの居酒屋で朝まで飲んで路上で潰れたり、海外に行く人を見送って、帰ってきたらまたみんなで飲む。という生活を送っていた。
気づけば実家を離れることが出来ずに30歳が過ぎていた。
家族と実家をとてもとても愛していた。
2016年3月31日祖母、4月1日に父が亡くなり、感情が怒涛のように上下左右にありえないぐらい揺さぶられ、それでも2014年から16年の2年間、最後に家族と過ごせた時間はいまでも毎日寝る前に思い出す。
2024年39歳
コロナが明けて久しぶりにSATの社長と当時のメンバーと集まって飲むことになった。(5年ぶり)カナダについた時に所持金が5万円だった話しとか。オーストラリアの半同棲とか、フライトトラブルに、戻ってきて各々独立したりサラリーマンに戻ったり、恋愛とか夢とか家族に。思い出話に花を咲かせた。
やる気がでた。
楽しかった。
海外に行きたいのであれば行こう。
迷っていてもその声は誰にも届かない。
行動すると失敗でも成功でも何かの声が届いてくる。
何が言いたいかと言うと。
2024年
コロナも明けたし。ワーキングホリデーに行きたい人がいたら紹介したい気持ちがいますごくあってよかったら連絡くださいいいいいいいいいいい!!!!!!(興味あるかも壁打ちでOKです・!)
結局ワーキングホリデーには行かないで、セブ島に語学留学に行った時の写真を掘り起こした。(英語はしゃべれない)
これから週に1度ブログを書いていくことを目標にして、最後にゲストハウスやりたい話をしたスライドを1枚ずつシェアしていく。
次回は今年のやりたいことリスト100で投稿予定です!
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