離婚して一年
みなさまはじめまして。
この度、友達から「キナリ杯やっとるで」と岸田奈美さんのNoteの存在を教えて頂き、はじめてこのNoteというものへ投稿させて頂くに至りました。キナリ杯には間に合いませんでしたが、とても面白いテーマでみなさん書かれているので、便乗してなにかしら書かせて頂いた次第です。
タイトルからしてすでに「面白いこと」という趣旨からズレてしまってるような感じで申し訳ないのですが、この一年を通して自分にとって大きな動きといえばなんだったか?と振り替えってみると、これが一番書きやすいなと思い、テーマにさせていただいた次第です。
さて、本題に入りましょう。私は現在32歳で、しがないサラリーマンをさせて頂いております。結婚したのは28歳のときで、相手は仙台出身の鉄鋼メーカーに勤める設計・営業を生業とする女性でした。詳しい離婚事由は、それこそ面白い文章でなくなってしまうので省きますが、一言でいえば音楽性の違いならぬ「勤務地の違い」でございました。
結婚3ヶ月目で相手が「ベトナム出向なったわ」と別居。私も相手を束縛したくないし、束縛をされたくないタイプの人間であるため、ならしょうがないと1,000キロ離れた生活を行なってきたわけですが、結局色々とタイミングも合わず、子供もいないため、離婚するに至ったわけです。
そこから丸一年、私自身も転勤によって大阪から生活のベースを東京に移したわけですが、最近は「思ったよりけっこうなんとかなるものだなぁ」と思いつつ生活しております。離婚した経緯についても面白くないこと盛り沢山で書くことはあるのですが、今回は実際離婚してみて気づいたことを書いていきたいと思っております。
元々わたしは学生時代の頃から「あまり普通の感性を持ち合わせていない人間である」という自覚はあったため(機会があればこれについても後々Noteに纏めたいと思っておりますが)せめて就職や結婚といったステージは、みんなが体験するような普遍的なものでありたい。という変なこだわりを持って生きておりました。
結果、自分の描く普通の一般人男性の生態というものから逸脱した「離婚」というものが降りかかってきて、潰れそうになってしまった次第ですが、今となっては「普通とはなんぞや」という過去の自分の変に拘っていた部分を鼻で笑えるような、そんな1年を過ごすことができたと考えております。
というのも、わたしが考え恐れ慄いていた「離婚のデメリット」というものが、実際は全く存在しない架空のものであり、生活していく上で全く障害とならないこと。それに尽きると思います。
現在ようやく精神的にも生活的にも安定してきたため、この東京の地で再び再婚できるよう、活動を始めているわけですが、ここまで持ち直すことができたのは、私が信仰してきた「普通」というものが、実はそんなに価値を持つものではないということに気づいたからである。というのが大きいと感じております。
山形のド田舎に産まれたが、普通に生きるのであればここでは生活しないだろう。普通に生きていくには大学に行くべきだろう。普通であれば親元を離れ、都市部で就職すべきだろう。20代後半であれば普通は結婚するものだろう。離婚するのであれば普通は社会的にバツイチであることを気負わねばならないだろう。
そのような自分の「〜したい」という気持ちよりも「〜であれば普通はこうだろう」という価値観によって塗り固められていた私の行動指針が、離婚によって崩れたわけです。
ただ、崩れたことによって失うものはなにも無かった。これは自分のための備忘録になってしまいますが、「普通」を失うことのデメリットは本当になにもなかったのです。まず考えていた会社や友達からの評価についても「別にお前に責任が伴う形で離婚したわけでないのなら、独身に戻っただけ」という感じに収まり、親や兄弟からは「次はもっと可愛い子連れてこい」といういろんな意味で予想外のお言葉を頂き、それによって私が恐れていたものは何だったのか?と考えるまでに至りました。結局のところ、普通を信仰し、必要以上に求めていたのは自分だけだったのでした。
普段はこんな面白味のないことを人に独白することもないクセに、このような形でNoteに初投稿で殴り書きしてしまいましたことお詫び申し上げます。今回は「普通について」という普通なテーマで文章を書いてみたので、機会があれば今度は普通でないことについてつらつらと書いてみたいと思います。