続けること

「死にたくなったらここに来い」というイベントを主催している。
死にたくなっても一旦ここに来て最高の音楽を体感して、元気をもらって頑張って生きてみるも良し、そこでのライブを冥土の土産に死ぬ勇気をもらうも良し、人それぞれの「救い」の形がある。どっちの意味でも受け取れるようなタイトルにした。

このタイトルをつけたのは1年半前。そのときは本気で、「病んでる人みんな私がどうにかしてやるからな、私が選ぶバンドは本当に救ってくれるんだから」と思っていて、ポジティブの塊だった。病むことも落ち込むこともほぼなくて、今考えると暇だったのだ。

いつの間にか、気付いたら死にたい側になっていた。毎回出てくれる演者たちに救われてどうにか続けている。
MCで触れやすいタイトルだと思う。日本語だし語気が強いし、結構みんなこのタイトルについて話してくれて、我ながら面白いタイトルだなと思った。でも意外というか想定外というか、案外バンドマンはみんな死にたくなったことがないっぽい。誤算。感受性の強そうなボーカルたちすら死にたくなったことあんまないらしい。びっくり。みんながみんな負の感情から来る創作意欲なわけではないんだ。音楽に限らず、創作をする人は結構闇を抱えているイメージがあって、それを発散する方法として芸術を選択しているのかと勝手に思っていたし、実際そうである人もいる。みんないろんな気持ちを持って創作活動をしていて、各々のやり方でそれを伝えている。かっこいい。私も携わる人間として彼らの思いを尊重して、慎重にイベント作りをしなきゃいけない。

箱ブッカーではあるが、箱ブッカーぽい動きをしないように心がけている。全部のイベントに意味を持って、惰性でやらないように。イベンターと言ったほうがしっくりくるような。世の中のライブハウスのブッカー、そういう人が少なくて悲しい。自店も例外ではない。けど文句ばかり言ってもしょうがないので、私がこの箱を引っ張っていくつもりでやらねば。ホームと言ってくれるバンドたちがちゃんと胸を張ってホームと言える場所にせねば。

死にたくなりながら藻掻いても、結局人の心なんて動かせないのかもと思ってしまう。けど他者へのリスペクトを忘れず、時には嫉妬して、悔しくなって、それでも賞賛を送れるような音楽人でありたい。音楽は何一つできなくとも、私は音楽人だという誇りを持って。自分に鞭を打っても、死にたいギリギリのところにいても音楽で誰かを救えるように。続けていきたい。

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