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生きるのに理由は必要ないのになぜ死ぬのに理由は必要なのだろう

突然だが、あなたは何故生きているのか、何のために生きているのか、と問われたら即答できるだろうか。

恐らくだが、『私は~という理由で生きており、今後の人生は~を目的としている』のようにすっきりと答えられる人は多くないのではないか、と思う。

もちろんこの問いへの答えを用意できないからといってそれはその人が生きているのが嫌だという事を別に意味しない。

別に特に理由なんてないが生きているのは楽しいし別に良いじゃないか、あるいは楽しいというほどではないにせよ別に理由なんて何故考える必要があるのだ、と思う人は多いのだろう。

だけどこれはある種のひとたち(僕自身も含め)にとっては実は非常に切実な問いかけなのだ。

自殺や鬱といった話が話題に上る『なぜ?どうして?』という問いに対して僕はずっと昔から違和感を感じていた、というか疑問に思っていた。

どうして生きたいと思うのが自然、人生は当然生きていく価値のあるもの、というのが当然の前提のように、自殺した人やそういった気持ちを抱く人に対して『なぜ?』と問うことができるのだろう。

別にこれは皮肉でも何でもなく、あるいは形式上の質問で自殺を肯定すべきだ、みたいなことを主張したいわけでもない。

単純に疑問なのだ。

死というのは単なる"生の不在"ではないだろうか。別に死という状態が存在しているわけではない。

もちろん勝手に世界中の死にたいと思っている人の代弁をすることはできないが、恐らく自殺したい人の多くが望んでいるのは『生きていかない』ことなのではないかという気がする。

『生きていきたくない』だけで、別に死ぬという行為に何かポジティブな要素を見出しているわけではない。単に生きていかないことを選択するには死ぬしかないいうだけの話だ。

(もちろん、もしかしたら死後の生や輪廻転生のようなものが存在しているかもしれないので、本当に死が逃避の手段として成立しているのかどうか、知る由もないが)

『生きること』以外の行為全てにおいて、基本的に、人は何かを『行う』際に理由を求める。一方で何かを『行わない』際に理由がないのは別にそれほど不自然ではない。

サッカーをするのは何かサッカーをしたい、あるいはサッカーをしなければならない理由があるからで、何故あなたはサッカーをするのか、という問いに対してもし誰かが『え、だってサッカーをしない理由はないじゃん』と答えたとしたら、少し奇妙に思うだろう。

逆に『あなたは何故サッカーをしないの?』と聞かれたとしたら、その理由として『別にサッカーをする理由がないから』で十分だと思うはずだ。

サッカーをする理由がなければサッカーはしないし、マラソンをする理由がなければマラソンをしない。歌を歌いたければ歌えばいいが、別に特に歌う理由がなければ歌わなくてもいい。

それに対して『サッカーをしたい理由もしたくない理由もないならとりあえずサッカーしとけばよくない?』などという人はいないはずだ。

それならばなぜ"自殺≒生きないこと"に対しては何か明確な理由がないと不自然だ、という扱いを受けるのだろう?

僕に言わせてもらえるのであれば、生きていたくない人よりも、特に理由がないのに生きていることの方がむしろ不自然なことのように思える。

少し大げさな言い方をすれば、特に生きていきたい!生きているべきだ!という特段の理由がないならむしろ生きていたくない方が自然では?ということすらできるかもしれない。

もちろん、別に生きていくことや、特段理由はないが生きていたいと感じる人を否定したいわけではない。その気持ちだって大いに理解できる。

ただ単に生きていかないことを望むことが世でいわれるほど不自然なものだとは思えない、というだけだ。

少なくとも僕の目には明確に生きていくことが自然な状態で、逆に死ぬことは不自然だ、と信じるに足る根拠は特に見当たらない。

別に理由はないがなんとなく生きたいと感じる人と、なんとなく死にたいと感じる人の差というのは生来の好みの違い程度のものに思えるのだけれど。

だからこそ、こういった感覚を理解できない人にそもそも生きたいと感じるのが人として当たり前のスタート地点、のような感じで話されると一生理解し合えない平行線となってしまうのだろう。

この世界にはポジティブな言葉や生きることを称える言葉は溢れている。

一方で、生きることに疑問を呈するような言説はあまり見当たらない。仮にそう感じている人がそれなりに居たとしてもそれらの言葉はあまり表舞台に登場しない。

そしてそれから外れかけているものに対してかなりの音量で『死ぬな!』『生きろ!』『生きてればいいことある!』の大合唱が浴びせかけられるのを見ると逆に自分が(もちろんそれは考えすぎなのだろうが)『お前は生まれつき生きたいと思えない不良品なんだ』といった風に糾弾されているようにも感じてしまって、疲れてしまったりもする。

なぜ自殺なんか・・・という言葉を見るたびに、心の中で僕はこっそり『じゃああなたは何故生きてるんだ?それを説明できないのになぜ生きていかないことが不自然みたいな言い方が出来るんだろう?』といつも疑問に思っている。

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このような書き方をするとまるで僕が自殺をもっと肯定すべきだと主張しているかの勘違いされる方もいるかもしれないので、一応言っておくと、僕は全くそんな風に思っていない。

これを読んでいる方でもし自殺が頭をちらつくような人がいれば、僕はどこの誰かは知らないが、それでもそんなあなたに本当に生きてほしいと思っている。

(僕は牡蠣が好きな人は変だとは思わないが、僕個人としては牡蠣があまり好きではない。それと同じようなレベルで、自殺をしたいと考える人は変だと思わないし、ある種当然だとも思うが、それでも好みとしてこれを読んでくれているあなたに僕は自殺してほしくないと思っている。)

もし誰か話し相手が必要であれば、そしてその相手が僕でも構わないなら、コメントをくれるか、note上でメッセージをくれるなりすれば(クリエイターへのお問い合わせ、という機能だ)いつでも話を聞くので言ってほしい。



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