『ラーゴム』の語源についての俗説 ~語源をどう考えるべきか~
0. ラーゴムとは?
『ラーゴム (lagom)』という概念をご存じでしょうか。「適度な、ほど良い」といった意味を持ち、スウェーデン人の精神性やライフスタイルを表わしている単語(?)として日本でも有名なようです。スウェーデンらしさを示すとして一般に認知されている単語としては、「甘いものを食べながらコーヒーを飲む」意の『フィーカ (fika)』と双璧を成すのではないかと思います。ちなみにデンマークは『ヒュッゲ (hygge)』らしいですね。
1. ラーゴムの語源に関する俗説
さて、今回の本題はラーゴムの語源です。これについて日本語で検索すると、いわゆる民間語源 folketymologi (語の由来に関する俗説、謬説)が流布しています。以下、一例の引用です。
日本語での検索では、これ以外の結果でも『"laget om" に由来する』とするものが大半です。
また、この俗説を唱えるものは有象無象のウェブサイトだけではありません。
『本書は,言語文化をひとつの切り口にして,地域学(北欧研究)を学ぼうとする者の入門書である。』([1], p.1)と自称し,『早稲田大学からの出版助成』([1], p.2)を受けている [1] の第5章「スウェーデン型ワーク・ライフ・バランスの象徴するもの」(担当=岡澤憲芙)の 100-101 頁でも同種の説を展開しています。
しかし、遺憾ながら、これは俗説と見做されています。つまり、根拠に乏しい説ですし、学界での承認度も低いと考えられます。以下では信頼性の高い情報源におけるラーゴムの語源の扱いを解説します。
2. ラーゴムの「正しい」語源は何か?
スウェーデン語の単語のより正確な語源を知りたいと思ったときに参照すべき文献がいくつかあります。
まずはスウェーデン・アカデミーによる、スウェーデン語-スウェーデン語辞典である Svensk Ordbok (SO) [2] と Svenska Akademiens Ordbok (SAOB) [3] の語源に関する記載。より詳細に知りたい場合は語源辞典である E. Hellquist "Svensk etymologisk ordbok" [4] と E. Wessén "Våra ord : deras uttal och ursprung" [5]。英語版もしくはスウェーデン語版の wiktionary も悪くはありませんが、情報が偏っている(一部の説しか記載しない/完全な謬説でなくても不正確な物言いである)ことが珍しくありませんし、情報源として公に記載できる類のものではないと思います。また、各国語版の wikipedia にもその項の概念の語源について記されていることが多いですが、 wiktionary より更に不正確であることが多い印象です。ただし、参照文献が与えられているならそちらを見ればよいですから、wiki系も無益では決してありません。
長くなってしまいましたが、それでは実際に上記の四つの情報源に当たってみましょう。ちなみに全て無料でアクセスできますから、ぜひ有効活用してください。
全て『名詞 lag の複数与格が副詞(形容詞)として使われるようになった』としています。また、これも重要なのですが、enkom, stundom, ömsom という類似した語形成の単語も挙げられています。
1.で述べた俗説のような「名詞 + 前置詞/副詞」型の副詞の語形成が皆無とはいいませんが、この節で述べた「名詞の斜格」型の語形成の方が遥かに一般的です。ですから、仮に前者の説を推すなら、後者の説の存在を認識していること、また、あえて前者の説を取る意図(類似した語形成を持つ語の例示など)を説明してしかるべきだと思います。
また、俗説のようにヴァイキングの習慣に由来しているなら、17世紀まで lagom が登場しないのも変な話だと感じます。
3. スウェーデンでも俗説が流布されている
第1節での二つの引用からも察せられますが(「スウェーデンの友人/語学教師によると」とありますね)、この俗説は日本内のみのものではなくスウェーデン発のようです。しかし、この俗説の存在はスウェーデンでは有名なようで、例えば Institutet för de inhemska språken は以下のような記述を過去にしています(し、検索で上位に出てきます);
それではわざわざこんな記事をなぜ書いているのかというと、日本語で検索するとこの旨の情報源に行き当たらない人が多いだろうと考えるからです。
4. まとめ
ある語の語源に関する説があったときに、まずは信頼性が高いと考えられる文献を複数確認することが必要です。またその説が語形成のルールに従っているか、音韻変化また形態変化などのその言語の歴史に見出されているパターンに従っているかということを考える必要があります。
また、母語話者(の語学教師)といえども語源に関しては手放しで信頼できるものでは必ずしもない、ということも大切だと思います。日本語の単語の語源に関しても多くの俗説が飛び交っていますよね。
そういう意味では、よく分からないウェブサイトはともかく、信頼性が一見高そうな [1] で岡澤先生がラーゴムの語源をこのように記述されてしまっていることはとても残念としか言いようがありません。なぜなら、スウェーデン語の語源に多少通じている者なら必ず知っていると思われる文献を一つも参照していない様子ですし、「若い語学教師」の説明を鵜呑みにしていますし、その説明も主観性が高く感じるからです。
この記事では 「lagom は lag の複数与格に由来すると学問的には考えられている」というファクト自体ではなく、(私自身未熟ではありますが)「語源に関する説に接した時に取るべき態度」についてお伝えしたいと思って筆を執りました。言語に関して堅苦しく考えず楽しみたいとは思いますが、特に人に情報を伝える立場にある方は気を付けるのが誠実さというものではないかなと思います。
最後に簡単に3行でまとめておきます。
・信頼できる文献を複数確認!
・言語学的妥当性(尤もらしさ)を検討!
・母語話者の語源説は必ずしも正しくない!
参考文献
[1] 岡澤憲芙/村井誠人 編『北欧世界のことばと文化』(成文堂、2007年)
[2] Svensk Ordbok (SO)
[3] Svenska Akademiens Ordbok (SAOB)
[4] E. Hellquist "Svensk etymologisk ordbok"
[5] E. Wessén "Våra ord : deras uttal och ursprung"