追憶の答え合わせ

32歳は人生の通知表とはよくいったもので、仕事、私生活、色んなものに対しての己の評価が一気に帰ってくる時期だなぁとひしひしと感じる。将来に対しての不安もひとしお。中学生の時に感じていた将来の成功を渇望しながらも漠然と感じていた不安感ではなく、今までの自らの行動が全て自分に返ってくる感じ。少なくとも私はきっと通知表はオール2あたりになると思うので、ここからの将来は絶望しかないなぁと感じるわけですわ。アーしんど。人生二度目の思春期です。

さて、昨日は妹と飲みに行ったわけなんですが何のスイッチが入ってしまったか、私は散々泣く羽目になってしまいましたとさ。

ここではあまり書いていなかったんだけど、私は正直家族にはトラウマがあります。
私は4人姉妹の長女で、下に3人の妹がいます。そのうちの一人は、私が断固として拒否した家業と同じ職業になるべく今大学に通っています。

妹が家業を選んだことによって、家族の中の私のヒエラルキーが一気に落ちたこと。
2年ほど前に、家業を継ぐために地元に帰ることもやぶさかでもないという話をした時、妹に「部外者」と呼ばれ、他の家族も誰もその発言を咎めなかったこと。妹は家業など関係なく今の職業を選んだのであればいいなと思っていたが、私が家業を継がなかったから今の職業を選んだだけだったことが、言葉の節々から伝わってきたこと。当時、実家に骨を埋めることを選択することに対しかなり本気で考えており、勤めている会社にも相談をしていたし、本気であることも伝えていたにもかかわらず、家族はそれをただの戯言でどうせリップサービスだろうと取り合っていなかったこと。

それでも、私が縁を切れないのは、母や父は彼らなりに私を想ってくれていることは明白であり、今の私が人の道を外れることなく生きていられるのは家族の愛情があったからであり、それを簡単に蔑ろにすることはできないこと。
側から見れば大したことないことばかりに思われるかもしれませんが、私にとってはとても大切なことばかりであり、その一つ一つが、私を孤独に感じさせていることに間違いはありません。

母は私が中学生の時に精神を来した時に、それに関するたくさんの書籍を読んでいたそうです。
父は私がいじめられていることに関し弁護士に相談をしていたそうです。
母の理解しようという気持ちも、父の行動に移してくれる気遣いも嬉しいです。
けれど、ではなぜそれを私に素直に還元してくれないのでしょうか?
「辛かったんだね」
これを言ってあげるだけでいいとどこの書籍にも書いてあるはずではないでしょうか?どうしてそれをできないのかが全然わかりません。

妹は言いました。
「それだけ家族のことが嫌いなら縁切ればいいじゃん。けどあんたは完全に縁を切ることはできないと思う。」
「あんたはただ愛されたいだけなんだろう。どれだけ酷いことを言ったとしても、許されると思っているという甘えを感じる。」
間違ってはいません。むしろ正解です。私の言葉の節々からよくそれを読みとったなぁと感心します。

認知の歪みについて、私は私なりに自覚しています。だから今、それを少しでも正そうとしている過程なのです。本当に辛く、心に押しかかるばかりでこれことを考え始めてしまうと思考がそれだけに支配されてしまい本当にしんどいです。

普段ODなどはしないのですが、感情の昂りと、酒が入ったことによる判断能力の低下により結構な薬を飲んだ記憶があります。
そんなに大した量じゃないですが、普段1回で飲む量の3倍程度を摂取したように覚えています。確かリスパダール1.0mg、アルプラゾラム1.2mgくらいだったかな。それでやっと自傷を抑えて、バタンと寝付くことができました。最近色々ぐるぐる考えちゃって寝つき悪いんだよね〜睡眠薬処方してもらうようにしようかな。
医師から実家に帰るのはより悪くなるからやめた方がいいと言われていたため、今回は父母には会わない工程としていたのですが、妹の存在を忘れておりました。
私の心情に関する答え合わせは、家族全員でいつか膝突き合わせて話をしたいところではあるのですが、今はまだお互いカッカしている時期だから避けた方が良いのでしょうね。
あとやっぱ酒は良くない!酒やめます。

私はいつになったら大人になれるのかな。一生思春期アンネの権化をやっているつもりなのかなぁ。


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