ルアンパバーン→チェンマイ地獄の24時間移動
ルアンパバーンを発つ
時刻は17時15分。
バスチケットを取った日本人宿までピックアップのトゥクトゥクが到着。
これに乗ってバスステーションまで向かう。
日本人宿で待っている時もう1人僕と同じようにチェンマイまで行く人に出会った。
移動方法が複雑なので心細く感じていたからこれは心強い。
名前はコヤマくん(仮名)と言い、オーストラリアにワーホリで2年間行っていてワニの養殖のバイトをしたり、自転車で日本一周もしたらしいなかなかアグレッシブな29歳の男だ。
そしてトゥクトゥクでバスステーションへ。
宿の人の話だとバスステーションが市街地から離れているのはトゥクトゥクを儲けさせるためらしい。
トゥクトゥクどんだけの圧力団体なんだ。
そして、バスステーションに着いたらもう1人の日本人に出会った。名前をホソダくんとする。
ホソダくんはカナダに留学後この秋卒業して4月入社まで空いてるから東南アジア来たという僕と同じような境遇だった。
トゥクトゥクでバスステーションに行ったはいいが、ここから更にバス乗り場に行くためにトゥクトゥクを使うらしい。
別にそのトゥクトゥク代はタダだから良いけどバスステーションの意味とは?
そして本当になんでもない所で降ろされる。
本当にバス来るのか?と思ったらちゃんと来た。
なんとなくポーラーエクスプレスを思い出した。
現代の奴隷船、スリーピングバス
ベトナムでもスリーピングバスに乗ったが今回はそれ以上にヤバイ代物だった。
なんとベッド1つに2人で寝ることになる。
ベッドのサイズはシングルベッドぐらいでしかも足の裏が壁にくっつくレベルの短さ。
狭すぎてロクに寝返りも打てないまさに地獄だった。
僕はコヤマくんと同じベッドになったがホソダくんは運良く1人だった。めちゃくちゃ羨ましかった。
ラオスの道路環境はそこまで良くなく、アスファルトで舗装されていてもデコボコが多いのでかなりしんどかった。
文句を言うとキリがないが、いつの間にか寝てたら案外寝られた。
ただ過酷だった。
国境の町ファイサーイ
ルアンパバーンを出て13時間。
翌日の午前6時にバスがファイサーイに到着した。
バスチケットを取ってくれた日本人宿の方からは次の乗り換えのトゥクトゥクが「8時頃来るよー」と言われたが、待ちぼうけた末に結局9時に来た。
遅すぎるというか、むしろ7時半着ぐらいの予定なのに6時に到着したスリーピングバスが早すぎる。
バスステーション、到着の時にはまだ暗かった。
で、その日本人宿の方には「スリーピングバス降りたら、チェンマイ行きのバンが出るバスステーションまでのトゥクトゥクが来てくれるから」と説明を受けたため、9時頃来た「チェンマイ!!」と騒ぐおっさんのバンに一同乗っていく。
トゥクトゥクじゃないんかい。
そして、そのバンは何故かラオスの出国審査場に僕らを乗せて行った。
あれ?バスステーションじゃなくてここに行くの?と思ったがこの東南アジア的適当感にもう何も気にしては行けない。
ラオスの出国審査場。
特に何も無く出れた。
念願の陸路国境越え
ラオス側の出国審査場とタイ側の入国審査場は離れているため、バスに乗って移動する。
川が国境となっているが飛行機以外での初めての国境越えだったのでかなりテンション上がった。
右側がラオス、左側がタイ。
タイに渡った瞬間、道路が立体交差して、右側通行から左側通行になったのには感動した。
そう、タイは日本に馴染み深い左側通行。
海外での左側通行は逆に不思議な気分になる。
そしてタイの入国審査場へ。
ここでも問題なく入国できた。
ラオスの入国なんかは場所によっては賄賂を要求されるらしい。
チェンマイへ7時間のバスの旅
入国審査後、バス会社っぽいおっさんからチケットを“貼られる”。
シールのように服に貼る。
この後僕のチケットは剥がれて紛失してしまったが他の日本人2人と同じだよーって言ったら乗せてくれた。
東南アジア的適当さに救われる。
そして入国審査場から次のバスステーションまでトゥクトゥクで行った。
その後、そのバスステーションから10時30分に出発。
結局チェンマイに着いたのは7時間後の17時半だった。
死ぬほど乗り換えをしたけれどちゃんと着くものなんだなーと感心した。
コヤマくんとホソダくんとはチェンマイで互いの旅の無事を祈り別れた。
この旅程を一緒に乗り越えたからもはや戦友に近い感覚。
長くなってしまったのでチェンマイの初日の夜は後日書くことにする。
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