心の相談室 5¢
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僕はスヌーピーの大ファンだ。
小さい頃から好きだった。
と言っても、コミックを読んでいたわけではなく、ただあのかわいらしいキャラクターが好きだったのだ。自分で絵に描いたりもしていた。
ビデオは持っていた。そこに出てくるスヌーピーは、ただかわいらしい犬ではない。けっこう悪知恵も働く、皮肉屋のちゃっかり者といった感じだ。これもまたいい。というか、そういうスヌーピーこそが本当のスヌーピーであり、そっちのほうがが好きだ。
ジャズピアノのBGMも心地よい。『ライナス&ルーシー』という曲は有名なので、聞けば誰もが「あーこれね!」と思うだろう。
『ジョー・クール』のようなブルーステイストの曲もある。こちらは、なんと最強ブルースギタリストB. B. Kingもカバーしている。
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ところで、数年前、『ピーナッツ全集』が刊行された。日本語訳はすべて谷川俊太郎が担当している。
僕もちょくちょく買って読んでいる。
興味深いのは、ピーナッツの世界には大人がまったく描かれていないことである。
子供には子供の世界があり、その世界は大人とは関係なく自律している。
ここに作者チャールズ・M・シュルツの哲学を読み取りたくなるが、実際にはそういう意図があったわけではないようだ。ただ大人と子供を混ぜると背の高さが違うのでコマが使いにくくなるから、というのが真相らしい。
もう一つ、全集を読んでいて気付いたのは、スヌーピーは主人公ではないということである。主人公はチャーリー・ブラウンである。スヌーピーがチャーリー・ブラウンを食ってしまっている感はあるが、それでも、その構図が成り立つためにも、やはり主人公はチャーリー・ブラウンでなければならないのだ。
まあ、そんなムキになって主張するようなことでもないのだが。
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我らが主人公、チャーリー・ブラウンは実にさえない男である。何をやってもうまくいかない。片思いの相手である赤毛の女の子には見向きもされないし、飼い犬には出し抜かれる。
「ピーナッツ」はアメリカの漫画である。アメリカといえば負け知らずの最強国家(ということになっている)。そしてそれはアメリカ人のメンタリティにも少なからず反映しているだろう。そのような国で、そのような負けしか知らない主人公が生まれ、おそらくはかの国で最も愛されたキャラクターとなっていることが興味深い。
チャーリー・ブラウンの何がアメリカ人を惹きつけるのだろう。僕はその理由をよくわかっていない。勝つことが正義とされる国で、必然的に生み出される落ちこぼれたちの心に響くということだろうか。
いかにもありきたりな考察という感じもする。
だが、もう少し書いてみよう。
僕たちにとって、アメリカは近いようで遠い。アメリカ的メンタリティと日本的メンタリティは互いに相容れないようなところがある。戦勝国と敗戦国の違いというのが、やはり一番わかりやすい表現になるだろう。特に、正義一直線に突っ走るときのアメリカほどよくわからないものはない。こいつらにはついていけない、と思う。それでもついていってしまうのが敗戦国メンタリティというものなのだが。
しかし、「ピーナッツ」はそれとは違う、アメリカの別の側面を描いているような気がする。なにかしら、勝者のためらいや後ろめたさ、疚しさみたいなものが、負け組チャーリー・ブラウンに表象されているような気がする。僕はそこに、正義の国アメリカの後ろ姿を見る。
僕のなかではチャールズ・M・シュルツは、ボブ・ディランと並ぶ、アメリカの良心の象徴である。
(ボブ・ディランについては、いつかまた。)
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さて、「ピーナッツ」はもともと日刊紙に毎日連載されていた。全集は全部で25巻あるが、その期間は1950年から2000年。実に半世紀にわたっている。
こうなると、自分が生まれた日にはどんな漫画が描かれていたのか、気になってくる。
ということで、調べてみた。
登場するのはチャーリー・ブラウンとルーシー。二人とも野球帽をかぶり、グラブをはめている。「ピーナッツ」では野球の場面がよく描かれる。チャーリー・ブラウン率いるチームは弱小チームで、僕が知る限り、試合には勝ったことがない。
画像の転載は著作権的に良くない気がするので、会話の台詞部分だけ抜き出してみる(4コマ漫画になっていて、この回では一コマ一台詞となっている)。
自分にとっての悩みは、他人から見ればどうでもいい悩みである場合が多い。そういうとき、それでも寄り添ってくれる人がいれば幸せに違いないが、逆に、まったく関心がなさそうに突き放してくれたほうが吹っ切れるということもある。ルーシーはそういうタイプだ。
ところで、これは僕の誕生日に描かれたということで、僕はこの「試合」の意味を「人生」と読み替えてしまう。人生という試合に僕は勝てているだろうか。最近はちょっと負け越しているような・・・。
どの人生よ?
深い!
のかどうかよくわからないが、疲れたときルーシーにそう言われたら、なんだかよくわからないまま気が楽になりそうだ。
GOOD GRIEF !