『地図とその分身たちを』を読んで
東辻賢治郎さん(本当は、辻の点は一つ少ない漢字だが、変換で出ないのご容赦ください)の『地図とその分身たちを』(講談社)を読了。
東辻さんを知るきっかけは、レスリー・カーン『フェミニスト・シティ』や
レベッカ・ソルニット『ウォークス』『迷うことについて』などの翻訳で
特に『フェミニスト・シティ』は、日本地理学会でも書籍の内容について言及した研究発表があるほどの名著。
今回の書籍の一部はHPに掲載されていますので、気になる方はそちらをぜひお読みください。
いくつかのエッセイから構成されているのですが、私が気になった箇所好きな箇所をメモ書きします。「」はエッセイのタイトル。
「動くもの、複数の時間」
アルプスがイタリアから入った移民にとって「自然」国境として立ち現れる様が書かれており、またアルプスにある氷河が動くことで国境線が動くということが書かれています。改めて、国境というものが自明のものではないということを教えられた箇所。
「形のないものへの旅」
ギリシャを訪れた際の様子が描かれているのだが、日曜日の様子「帰りのバスを待とうと広場で座っていたろころ、頭上の樹からハトのヒナが落ちてきて血を吐いて死ぬ。歩いて帰ることにする。」ここが、印象深い。最後の一文がなかったら、「えっ」という文章なのだが、「歩いて帰ることにする」は妙に共感してしまった。
「ディタッチメント」
ここは、観光マップの看板では現在地を指で触るため、そこだけすり減っている状況とスマホの地図アプリはGNSSで常に位置が画面の真ん中にくるという対比が秀逸。よく紙地図とWeb地図が対比されることが地理教育ではあるのだが、こうした視点は目から鱗。
「はじめと終わりがある」
初期の地図では道が書かれないという話(水路が書かれていれば、そこに道があるはずなので、水路は書かれるが道はわざわざ書かない)。また、近代では水路に関係のない道が増えていく(地形などを無視した直線の道路など)ので道を書く地図も増えていく。
前回は書いていない気がするのだが、地理教育を学んでいくにあたって、勉強になった書籍もこのNoteに記載していきたい。
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