【映画日記】『シビル・ウォー』『HAPPYEND』
2024年10月14日(月,祝)
立川シネマシティ 『シビル・ウォー アメリカ最後の日』
米国は4年に1度の大統領選挙を控えていますが,トランプ氏が大統領に立候補していた8年前から米国での分断が加速し,さらにトランプ氏による再度の立候補で分断の危険性がかなり懸念されている。そうしたなかで,米国にも近い将来国内紛争が起きるのではないか,そういう不安を映像化した作品。そこまでは知っていたが,ちゃんと予告編を観ないまま急遽劇場に足を運んだ次第。なんと,主演がキルスティン・ダンストでした。ネタバレ注意です。
civil warとは米国の文脈では通常南北戦争を意味する。この映画ではその再来として,東西の分裂から生じた紛争を想定している。とはいえ,戦争自体は後景に遠のいていて,前景にはキルスティン演じる女性戦争カメラマンたち4人のジャーナリストたちがいる。そう,ジャーナリストの目から見た米国の戦争なのだ。少し前に見た『ソウルの春』は過去に実際に韓国で起こった軍事クーデターで,戦闘自体は首都ソウルをめぐる比較的狭い範囲だが,近未来を描き,ほぼ全米を巻き込んでいる本作とかなり重なり合う。本作はあくまでも想像上の紛争なので,あまり具体的に東西陣営の州の分割などは描かれていないが,ウェブサイトにはテキサスとカリフォルニアを中心とする西部勢力が反乱(反現政府)側で,19の州が連邦から離脱したと書かれている。
ロシアによるウクライナ侵攻,イスラエルによるガザ攻撃がリアルタイムで世界中に伝えられる今日,皮肉なことにフィクションとしての戦争映画のリアルな描写の精度が上がってしまったという印象。しかし,一方で確かにミサイル攻撃やドローン攻撃といった最新技術を用いた戦闘の様子も再現されていたが,戦術としては本当にそうなるのかな,という素朴な疑問もわいた。そういう意味でも戦術が分かるような描き方はしていないのだが,結局は陸続きで首都(ワシントンD.C.)陥落に向けて攻め入っていくというのはなんか古臭い想定のような気がしないでもない。そして,最終的に現職の大統領を有無も言わせず殺害してしまうというのもなんか古臭い。それだけ,この作品は近い将来を描いているのであって,少し遠い未来を描いているわけではないのかもしれない。
2024年10月20日(日)
立川キノシネマ 『HAPPYEND』
空 音央という監督の長編デビュー作。先日,Dialogue for Peopleが配信するRadio Dialogueという番組にゲストで出演したので,この作品の存在は知っていたが俄然見たくなった。しかし,多摩地域では夕方からの回しかなく,母娘が一日出かける日を狙って息子を連れて観に行くことにした。ネタバレ注意です。
舞台は緊急事態条項が書き込まれる憲法改正が成立した近未来の日本。高校生が主人公で,佐野史郎が校長を演じる高校が舞台。在日外国人の生徒の割合が高く,1/3ほどが日本国籍を有しない。なぜ,このことが分かるかというと,高校の特別授業で自衛官が講師を務めるというシーンがある。要は自衛隊員の勧誘を兼ねているわけだが,外国籍の生徒は対象にならないので,別教室で自習をしろということだ。白人はほとんどおらず,黒人と中国,韓国が目立つ。外観からいわゆる東南アジアや中東的な生徒は少なかったような印象。いつもつるんで音楽系のサークル(いわゆる軽音的な自分で演奏するのではなく,DJ機器を使ってパーティ的な盛り上がりを楽しむ感じ)の5人が主たる登場人物。一人が在日朝鮮人の男子生徒,一人がアメリカ国籍を持つ黒人ルーツ,一人が台湾にルーツを持つ女性,残り2人は日本人男子。主人公2人のうち一人が在日朝鮮人でもう一人が裕福だがシングルマザーで不在がちな家庭の日本人。この2人がDJ目指して音楽制作側,残り3人は楽しむ側。緊急事態条項が成立した背景は戦争というより地震。頻繁に地震のシーンがあり,また誤報も含めて地震計画アラートが鳴り響く。しかし,現実における緊急事態条項と同じように有事の際のことも含まれているようで,舞台である高校に自衛官が特別授業をしに来るシーンがあるのは上述した通り。そして,街中では緊急事態条項に反対する市民のデモがあり,それを警官が弾圧するシーンもある。高校という狭い世界でも,生徒たちを監視するシステムが導入され,監視カメラによる固体認証,発言や行動をAIが校則にのっとったものかを自動判別し,点数化する。街中では自警団によるパトロールが行われ,警察官はレイシャル・プロファイリング(外国人的な見た目をした人を狙って職務質問をする)など,近年話題となっている日常生活に忍び寄る政治的問題がてんこ盛りになっている。かといって,それらをごく自然に高校生の日常生活に含ませる演出は素晴らしい。とはいえ,個人的にはデモのありかたは少し不自然にも感じた(デモに自分が参加したことはほとんどないし,街中で見かけたことも多くはないが)。そして,面白いのが,高校生たちの保護者として登場するのが女性だけということだ。今日であればそれは残念ながらまだ自然だが,外国籍の生徒の割合がこれだけ高い社会が想定されている未来においてもまだ市民の日常におけるジェンダー平等が進んでいないように見えるこの演出は,監督が意図したものなのか。ともかく,考えさせられることが多い作品。
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