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【読書日記】日本原水爆被害者団体協議会編『被爆者からあなたに』

日本原水爆被害者団体協議会編(2021):『被爆者からあなたに――いま伝えたいこと』岩波書店,82p,680円.


私は今年,原水爆禁止2024年世界大会・広島に参加した。所属する日本共産党の支部から薦められてのことだが,最終的には日野革新懇という団体の代表として行くこととなった。そもそも,このイベントがどういうものか分かっていないのだが,本書の編集者である日本原水爆被害者団体協議会(被団協と略される)とは別に,原水爆禁止日本協議会(原水協と略される)という組織があり,全国に支部があり,おそらく全国―都道府県―市町村という下位層構造になっていて,日野市にも日野原水協なる組織がある。そしてこのイベントは原水協のなかにある原水爆禁止世界大会実行委員会が主宰ということになっている。日本共産党は平和を掲げる党であり,各種社会運動・労働者運動と連帯する組織であるので,各地で運動する団体のメンバーには党員も多く,そしてそれら団体を束ねる協議会などとも関係が深い。ということで,日野革新懇のメンバーの多くも党員である。今回日野市からは代表団として私のほかに2名が参加したが,もう一人は新婦人の会代表,もう一人は日野市議団の代表(もちろん共産党)となっている。各団体,そして党員の場合は所属する支部などからカンパを募り,自費ではなく,まさに代表として皆さんから募ったお金で,大会参加費,旅費・宿泊費をまかなっている。また,このイベント自体が組織だって行われていて,個人でも参加できるようだが,先ほど書いた原水協の組織で束ねられていて,事前にその日程の周辺ホテルや新幹線は押さえられていて,参加者が決定してからそれらがある程度の希望に合った形で割り振られる。なので,参加者は参加費を捻出する(自身でカンパは募るが)必要もなく,もろもろ予約などの手続きも必要はない。
原水爆禁止世界大会は手持ちの資料からはいつから行われているかは分からないが,毎年,原爆投下の8月6日から9日にかけて開催され,大会総会は広島と長崎の持ち回りで行われ,今年は広島だった。とはいえ,閉会式にあたるヒロシマデーは6日に広島で,ナガサキデ―が9日に長崎で開催されているのは毎年同じのようである。さて,原水爆禁止世界大会についてばかり書いてしまったが,本書は著者の一人である濱住治郎さんにいただいたもの。日本共産党の組織的に日野市は南多摩地区に属していて,南多摩地区の早川さんが原水爆禁止世界大会に参加するということで企画した事前学習会が開催され,濱住さんのお話しがあった。濱住さんは胎内被爆者,読んで字のごとく母親のおなかにいる時に母親が被爆した人。濱住さんは日本原爆被害者団体協議会の事務局次長という立場で,お話を聞くだけでも本当に積極的に活動されているが,実は被爆者としての活動を始めたのはつい最近だという。たしかに,被爆者に限らず慰安婦など戦争体験(戦争体験に限らず性被害などもですね)を他人には話せずにきた人は多いという話はよく聞くが,目の前で直接その話を聞いたのは初めてでかなり驚いた。この日の濱住さんの話は1時間程度だったが,知るべき情報量が多すぎて,自由に質問をどうぞといわれたが頭の整理ができなかった。こうして,当日の配布資料を目の前にしても具体的にどんな話だったのかは思い出せないくらい。ともかく,こういう話は機会あるごとに聴いたり読んだりする必要があると感じた。出発前にいただいた本書を読む時間は取れなかったので,広島行きの新幹線で読むことにした。本書は岩波ブックレットの一冊。

はじめに
I 原爆は人間に何をもたらしたか
 1 人類史上初めての核兵器被害
 2 人間として死ぬことも,生きることも許さない――原爆の反人間性
 3 原爆は人間と共存できない――絶対悪の兵器
II ふたたび被爆者をつくらないために――被団協運動のあゆみ
 1 被害者自らの立ち上がり――日本被団協の結成
 2 原爆被害者援護法の要求と原爆二法の成立
 3 1977年NGO国際シンポジウム――被爆者運動飛躍の契機
 4 「基本懇」の「受忍」論と「原爆被害者の基本要求」
 5 核兵器は廃絶するしかない――被団協独自の国際活動
 6 日本被団協と国連
 7 「受忍」できない原爆被害――「国家補償」を求めて
 8 ヒバクシャ国際書名――核兵器禁止条約への道
III 核兵器も戦争もない世をめざして――核時代をのりこえる人間の生き方
 1 「被爆国」政府が核兵器禁止条約に署名しないのかなぜ?
 2 「被爆国」日本の政府の責任とわたしたち
おわりに
参考文献
《略年表》日本被団協のあゆみ

目次にあるように本書は分かりやすい三部構成になっている。第一部は被害者の証言を含む核兵器の被害について説明されます。日本は1945年に米軍によって広島と長崎に原爆が投下された。映画『太陽の子』で描かれたように,戦中に日本でも核融合を用いた爆弾の開発を進めていて,広島に米軍が投下した巨大爆弾については原爆の可能性があるとして日本の原爆開発チームがすぐさま広島入りしている。なので,日本人が原爆について全くの無知であったかというとそうではないが,敗戦後日本に連合軍の占領軍として入った米軍の管理下において,広島と長崎の被爆者に対する医療支援はなされたものの,その実態解明は隠蔽され続けた。1947年に米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島に設置され,長崎でも調査をしたが,その結果は日本と共有されていない。1952年に日本が主権を回復し,日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されたのは1956年のことであり,1954年にビキニ環礁で水爆実験が行われ,第五福竜丸をはじめとした日本の漁船も被爆したという事件があって,市民が立ちあがり,署名運動を始めて以降のことである。日本政府も1965年以降に被爆者実態調査を実施したというが,被害者証言の収集は,日本被団協に集結する以前に各地にあった被爆者の会によるものであった。1977年にNGO被曝問題国際シンポジウムがあり,それに向けた被爆者調査があり,また1985年にも原爆被害者調査が行われるということで,民間の手によって原爆被害の実相が広く知られるようになっていく。
本書には巻末に被団協関連の年表もつけられているが,第二部では日本被団協の結成の過程が丁寧に説明されている。結成大会にかかげられた四つのスローガンは,「原水爆禁止運動の促進」,「原水爆犠牲者の国家補償」,「被害者の治療・自立更生」,「遺家族の生活補償」(p.25)であった。日本被団協の日本政府への訴えによって,1957年に「原子爆弾被害者の医療等に関する法律(原爆医療法)」が制定された。そして,NHKの朝ドラ『虎に翼』でも取り上げられたようだが,1955年に広島・長崎の被爆者が原告となり,原爆を投下した米国の責任に対して対米賠償請求権を放棄した日本政府を訴えた。「原爆裁判」の東京地裁判決は1963年だという。そして,1968年に「原子爆弾被害者に対する特別措置に関する法律(原爆特措法)」が制定された。
そして,先の述べた1977年にNGO国際シンポジウムの内容が説明されている。市民の運動は政府への働きかけだけではなく,日本国民のみならず,全世界に向けて核被害の悲惨さを訴えることで核兵器のない世界の構築へと向けたものである。こうした市民の運動に突き動かされ,1979年に製麩は「原爆被害者対策基本問題懇談会(基本懇)」を発足させ,1980年に「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」という意見書を出したが,この考え方を本書では「受忍」論と呼び,被害者にとって決して受け入れられるものではない。「被ばく者が求める救護法とは,日本政府が戦争責任を認めて原爆被害を償うものです。」(p.41)日本被団協はそれに対抗するものとして1984年に「原爆被害者の基本要求」を作成する。これは冊子にもなっていて,本書と一緒に濱住さんにいただいた。私がいただいたのは2006年に「新版」として再版されたものの2014年の第2版である。56ページの冊子で,「基本要求」本文に加え,その作成過程が記されたもの,そして資料編として「基本懇」の意見書,それに対する日本被団協の見解,そして,上記2つの法律が後に一緒になった法律の前文が収録されている。巻末には2012年時点の被爆者健康手帳所持者数が都道府県悦に掲載されていて,全国で20万人,そのうち広島市が6万4千人,長崎市が3万7千人となっている。広島と長崎の原爆の被害,そして第五福竜丸を含むビキニ事件による船舶の被害の元凶はアメリカ合衆国であり,日本被団協はアメリカ政府にも要求しているし,また日本政府からも明らかに国際法違反の非人道的な兵器である原爆の使用に関してはアメリカ政府に謝罪と補償を要求すべきだとしている。
1980年代は冷戦真っただ中で,映画などでも核戦争の危機が多く描かれた。日本では実際の戦争における核兵器被害ということで,核兵器反対の運動が被爆者とそれを支援する市民によって自ずから起こってきたわけだが,この時代には世界各地でもこの日本の訴えに呼応してくる。第一回国連軍縮特別総会(SSDI)が開催されるのが1978年で,日本被団協からも代表団を送った。被曝40年にあたる1985年には日本被団協は独自に当時の核保有国(米・ソ・英・仏・中)の首脳に訴えることを企画し,いくつかは成功し,1987年には中距離核戦力(INF)全廃条約が結ばれた。
こんな調子で説明しているときりがないが,先述した日本の法律「原理爆弾被害者に対する援護に関する法律」が制定されたのが1994年,核不拡散条約は1970年に発行しているが,国連で核兵器禁止条約が発効されるのが2021年であり,随分長い月日が経っています。それはもちろん日本被団協をはじめとする世界中の市民の運動によるものではあるが,第二次世界大戦における戦勝国である連合国の主要なメンバーが核兵器を保有することで世界を牛耳ってきた国際政治の構造が,新興国の台頭という国際経済での構造変容と共に変化してきた結果だともいえる。とはいえ,ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルによるパレスチナ人民族浄化など軍縮とは程遠い状況もなくならない。どうしたらよいのか途方に暮れるが,ともかく本書では,唯一の戦争被爆国である日本がまずは核兵器禁止条約に批准し,日本が中心となって全世界的なその遂行に進んでいくにはどうしたらよいのかを議論している。

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