Spása/zúfalstvo
東京に行ってきました。
面白さと学びの入り交じる、実りのある旅になったなと思います。
これからを生きる我々の道標が、もしかしたらあったかもしれません。
点と点を繋いで作る線を組み合わせて、歴史が出来上がると我々は思いがちだ。
そうして出来上がった歴史が素晴らしいものである、真実の積み重ねが歴史であると信じたいから、理由は様々。
もちろんそんな歴史もあるだろう。
しかしながら、それが全てではないことをそろそろ知るべきであろう。
教科書で学んだ歴史が本当に正しいのか?
図書館の歴史書が真実であるのか?
私が知る限りの乏しい事実だけでも、それは否であると言える。
歴史は勝者が作る。
勝者とはつまり、その歴史の支配者である。
そう考えてみると、世の中には違和感や歪みが散らばっていることに気付くのではないだろうか。
きっと小さい頃、授業で習った歴史の中にもそれはある。
疑問に思ったことはないだろうか。
ある地点2点の整合性が取れない。この話にはなんか気持ち悪さを感じる。どうして日本の教科書に現地語の読みで名前を伝えるのか。
数学や理科にはそれはない。答えは(少なくとも授業の中では)一つだからだ。
国語は誰かの作った物語だから、違和感なんて感じていたら読み進められない。
英語はわからん。英語圏の人に聞いてくれ。
この違和感、気持ち悪さは意外と身近なルールの中にも存在する。
今の時代に合わない法律や、形骸化した儀式のようなフロー。
車屋をやっていると、こんなもん作って何がしたいんだという規制や法令が多々ある。
車検なんか最たる例だ。あんなことやったところで車の安全性なんか1%程度しか分からない。
暴走族やDQN、私のようなスポーツカーオタクがやたらと交換したがる排気管、マフラーというパーツがある。
うるさいのは近所迷惑だから論外なのだが、外車は製造時点でかなりうるさいものがある。
これに合わせて騒音規制は作られる。現在の車に関わる規制はユーロ#といった欧州基準で決められている。
なので、外車と同等の騒音が許されるようになった。
代わりにマフラーの交換には厳密な規制が敷かれた。
年式によるが、新しめの車は然るべき機関で認証を受けたマフラー以外は一律車検に通らなくなった。
結果的にうるさい車≒違法改造、となるわけだ。
おかげでマフラー一本変えるのも10万円単位でかかる。世知辛いものだ。
このマフラーを認定する機関はJASMAというが、言ってしまえば利権だ。
天下りもいる。
ね、誰かの都合でルールが作られてる。
そんなうるさい車が好きな方にも抜け道がある。
可変バルブ付きマフラーというものがあるのだが、リモコンのボタンひとつでマフラーの蓋を開けて騒音を撒き散らせる、私からしたら素晴らしい、一般の方々からしたらとんでもなく迷惑なデバイスが現れた。
しかし安心してほしい、非常に高い。
着けられるオーナーはそんなにいない。
しかし、これが用意されている車種は大体高級車だ。
フェラーリ、ランボルギーニ、ハーレーなど。
結局世の中資本主義だと実感させる事例だ。
世の中は不公平で、一部の上級国民が都合の良いルールを作り高笑いして生きている。
庶民である我々は、誰かが作った誰かにとって都合の良いルールの中で、いかに佳く生きていくかを考える必要がある。
そして、時代は必ず変わる。
今、あらゆる方面で変革が起きていることはきっと感じているはずだ。
この変革をよく観察して、自分が佳く生きてゆくための道筋を探してほしい。
探し続け、歩き続けた先には必ず希望ある未来がある。
思考を、歩みを止めないでほしい。
最後に、私も今新しい事業を模索しているのだが、18番目のアイディアが先ほど消えた。
これから19番目を探して考えてゆく。
そんなことをしていると眠れなくなるし、お腹が空く。
深夜のコンビニに余計テンションが上がってしまい、からあげクンとパスタを買ってしまった。
うまいんだが太るんだよなこれ…