神は細部に宿る
私は鐵で出来ている。名前はバイク。
ハーレーダビッドソンというバイクメーカーがある。
バイクといえば、割と頭に浮かぶアレを作っている会社だ。
舶来品の好きな私としてはとても心躍る会社と製品なのだが、初めて乗ったのは2年前。
なぜだ。
答えは単純。性能が低いから。
と、これだけ書くとハーレー嫌いに思われるかもしれないので補足すると、その2年前に乗ったバイクが今の愛機なのだ。
若い頃の私は、性能至上主義のスペックオタクだった。
馬力のより高い、車体がより軽いバイクを求め様々なバイクを乗り継いできたものだ。
免許も中型免許から大型になり、タイヤも地面をしっかり掴む高性能なものばかりをチョイス。
スペック至上主義モンスターの末路は悲惨である。
私はバイクに乗ることに疲れてしまった。
そんな中、なんとなく友人が売りたいと言ってたハーレーを買い取った。
ある程度の値段はつくだろうと読んで、買取値はかなり高くしたのだ。友人だし。
そんなわけで引き取りに行き、エンジンをかけた瞬間、爆音に心が震えた。
アイドリングの音圧、音質、振動、全てがハイダイナミクスだ。不快に感じる人も多いだろう。
これがとてつもなく心地よかった。
跨って体に振動が伝わる。これも心地よい。なんなんだこのバイクは。
今まで持っていたハーレーのイメージがガラガラと崩れてゆく。
いや待て、それでもこのバイクは重いしパワーはないし、運動性能も低い(はず)。走り出したら萎えるだろう。
スロットルを開ける。
クラッチをつなぐ。
後輪に動力が伝わる感覚。
気がつくと、私はいつも短距離ツーリングで行く山に来ていたのだった。
ここで伝えておく。決して速くない。運動性能も高くない。
しかし感覚に訴えてくるこの心地よさ、気持ちよさは他では味わえないと断言できる。
様々なジャンルのバイクを40台以上乗り継いできたのだ。少しは比較が出来ると自負している。
あの日、ハーレーを持って帰るはずが長い寄り道をした。
それから2年、ハーレーは一度も故障することなく数万キロ共に走ってくれているのだ。売る予定は全くない。
世の中には数字に表れない要素がある、それを教えてくれた最高の相棒だ。
それと、マフラーは純正に戻した。
さすがにうるさすぎた。
いい大人だし、ある程度は弁えねば。
最後に、ハーレーを売ってくれた友人が次に買ったバイクの件など、彼にも伝説は多数あるので機会があれば書いていこうと思う。