「映像」と「動画」の違いは何か
頭で理解しているのか肌で理解しているのか。すでに差がインストールされて無自覚にふるまっているのか。どうであれ映像→動画への変化を知ることが次世代の常識を知ることにつながり、取り残されないための一歩となる。ああこわい。イマドキ動画観について。
1.例えば、映画を観る時。開始2秒ですぐ本題に入ってくれないと面白さを感じない人は挙手。脳にイマドキ動画観をインストールされている。
2.例えば、映画を観る時。タイトルと予告編で「どんな作品なのか」を予想できない場合は鑑賞を渋る人は挙手。脳にイマドキ動画観をインストールされている。
3.例えば、映画を観る時。映画館だと2時間スマホを触れず通知を確認できないので鑑賞を渋る人は挙手。脳にイマドキ動画観をインストールされている。
4.例えば、TVを観る時。CM明けに数分前のおさらいを何度も繰り返しているのにうんざりする人は挙手。脳にイマドキ動画観をインストールされている。
5.例えば、TVを観ない人、以下略!
1~5に全く当てはまらない人はヤバイ。何がヤバイってたぶん俺のこの文章に巡り合う確率はもうない。つまり家でずっとテレビ点けていると思う。そして確実に中年だ。
著者の明石ガクトさんは俺の5歳上。語り口が気さくで、バンドマンの同級生が通ってる包容力溢れるライブハウスの店長さんみたいな感じ。実際に俺の周りにそんなお兄さんがいた。で、この本はガクトさんが新卒サラリーマンの時にレッチリのライブに行った所から始まる。わかったわかった。もうね、本買うよそんな始まり方されちゃ。
忘れていたけど映像と動画の違いとは、ゼロ年代生まれが「動画」とどう接してきたかの文化の特徴のことだ。1987年生まれの俺はたぶん最後の映像世代。そして最初期の動画世代。高校までちゃんと家でTVを見ていたが、大学時代にニコニコ動画見まくった最初の代でもある。
しかしゼロ年代生まれを一言で表すと、スマホで動画をパーソナルに楽しむ人達だ。パーソナルってのも大事で、映像とはみんなで観るものだけれど、動画は好きなジャンルを自分のタイミングで観る。イマドキこっちが普通なんだ。スマホすげぇ!その視点で考えたら色々納得してくれると思うけど、加えてこの本で十二分に考えを深彫りしたら最強だ。
♪ HIKAKIN TV EVERYDAY
自分のチャンネルにTVを入れているヒカキン。年齢が近い彼の動画は割と好きでたまに観ている。3年前ヒカキンがTVに出る時は「おー!すごい!」と言ってチャンネルをMステや逃走中に合わせたりした。ヒカキンも自身の動画で「緊張したけどよかったー」と言っていた。よかったね。違和感はない。
が、この感覚!これがすでに俺達が映像世代なんだという証拠だ。簡単にいうと俺達は「テレビはすごい」と刷り込まれている。いくら衰退しててもう観ないといっても大人の世界の中心だ。そこにyoutuberが出演することは日本の中心にネット文化が迎え入れられたと思っていた。でも2020年は完全に立場が逆転した。わざわざテレビ(今更だけど地上波ってことね)に出るなんてムダと思ってるyoutuberもいると思う。これは尖がったバンドマンが自分のブランドイメージのためにあえてテレビ番組には出ないと意気込んでいるのとは全然違う。
で、これは過渡期だから今後もっと逆転は進む。
テレビは選択肢の一つになった。
選ばれる理由は、あやしい。
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昔、金曜ロードショーで「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」が流れた。用事があったから録画した。翌日ワクワクしながら観た。でも野球中継の延長で最後の10分ぐらいが観れなかった!具体的にはクララが列車にぶら下がってエメットー!と叫んで列車の第3の加速が始まった!どうする!ぶちぃ!ここでおあずけ!?あんまりだ!この時子どもの俺は野球(中継)が心底嫌いになった。ブルーレイ買ったし今ならアマプラで観れるけどな!は!
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