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麦本三歩は図書館が好き…『君の膵臓をたべたい』の著者が描く心温まる日常 #2 麦本三歩の好きなもの
朝寝坊、チーズ蒸しパン、そして本。好きなものがたくさんあるから、毎日はきっと楽しい……。映画にもなった大ベストセラー、『君の膵臓をたべたい』で鮮烈なデビューを飾った住野よるさん。『麦本三歩の好きなもの 第一集』は、図書館につとめる麦本三歩のなにげない日常を描いた心温まる作品です。その中から、「麦本三歩は図書館が好き」と「麦本三歩はワンポイントが好き」のためし読みをお届けします。
* * *
エレベーターで本達を載せたラックと一緒に四階まで上がる。四階には辞書など大型図書の棚が並んでいる。ここの図書はほとんどが貸し出し不可なので、配架で来ることはまれなんだけれど、今日は一冊だけ新着の百科事典がいた。
四階には利用者も少ない。この階の静けさは、三歩を忙しなさから抜け出たような感覚にさせてくれる。ただ棚と棚の間で深呼吸すると、埃にむせることがあるので注意が必要。けへっけへっ。
筋トレに使われてるんじゃないかというレベルで重たい百科事典の並ぶ棚に、なんとかスペースを作り出し、新しい一冊を仲間に入れる。本達も、心なしか仲間が加わって嬉しそうだ。
次は三階、もちろんラックも一緒。
おかしな先輩が渡してきたメモには、本を番号やアルファベットで分類する為の請求記号もきちんと書かれている。900番台の小説、三階にあるはずの本だ。迷子の本も見つかる時にはすぐに見つかる。大抵、請求記号の見間違いとか、その辺に利用者が勝手に置いたとかそういうのが相場。面倒くさくはあるけれど、その程度の迷子ならいいなと思う。
三階にはわりと人がいる。常連さんから一見さんまで。頼むから誰も問題のある行動を起こさないでくれよ、とドキドキしながら本棚の並ぶ開架スペースに足を踏み入れる。問題のある行動自体も嫌だけれど、立場上それを注意しなくてはいけないのがもっと嫌だ。特に嫌なのは、外での常識的にはグレーだけど図書館の常識的にアウトな奴。例えば、ペットボトルの飲み物を飲んでるとか。いっそ前に一度だけ遭遇した館内でカップヌードル食べるレベルの奴ならこっちが正義とばかりに注意出来るし、最終的には怖い先輩を呼べば一撃で退治してくれるからいい。
利用者をゴキブリみたいに思うのはよくないなと思いながら、三歩は三階の本達を本棚に丁寧に帰宅させる。全てを返し終えたら、三歩はラックをフロアの隅に置く。先輩から捜索を頼まれた本を見つけ出すべく。
図書館の本棚の側面にはそれぞれ置いてある本の請求記号の範囲が書かれているから、すぐにあるべき大体の場所は分かる。ここだここだと小さな声で呟きながら曲がると、そこで一人の茶髪の女の子がしゃがみ込んでいた。
一瞬、体調不良かと三歩は心配になったけれど、彼女は人差し指を本に添えてじっと見ている。恐らく目当ての本を探しているのだと分かり安心。
三歩が彼女と同じ棚の前に立つと、茶髪の女の子がちらりとこちらを確認したのがなんとなく分かった。目が合っても困るので三歩も目当ての本を探すことにした。
のだけれど。
「お姉さん」
どぅわおえあっという叫び声をあげそうになったのを必死にこらえ、三歩はそのエネルギーを飛び上がるのに変換することで、絶叫という一番のマナー違反を避けた。一瞬で汗だくになり横を見ると、先ほどの茶髪の女の子が文字通り目と鼻の先にいて、今度は「ひぇ」という悲鳴が出てしまう。言った後だったので意味はないが一応口を押さえ飛びのくと、女の子はぽかんとした表情を浮かべてから声を殺して笑った。そっちから話しかけてきたくせにっ、と三歩は自分の過剰な悲鳴を人のせいにする。
「そんなに驚かなくても」
「そそそ、そっちがいきなり話しかけてくるから」
「でも図書館で大きい声出せないじゃないですか、さっきのお姉さんみたいに」
だから近づいたんです、という声にかぶせて「ぎ、ぎりぎり我慢しましたし」と三歩は反論する。ひそひそひそひそと二人のやりとりは小鳥の喧嘩。
「で、な、何か御用ですか?」
三歩は態勢を立て直す。驚かされて笑われた、とは言え相手は利用者、お客様とまでは言わないが敬意を払う必要がある。三歩もそれくらい知ってる。
「ああ、本を探してるんですけど」
「あ、なるほど、ちなみになんの本でしょうか?」
「ええと、ええ、これです」
三歩は差し出されたスマホを覗き込む。表示されているのはアマゾンの画面、ん? んんん? これって。
三歩は手に持っていたメモを一度確認してから、一歩下がって茶髪の彼女にぺこりと頭を下げた。距離を取ったのは頭突きをしないため。一ヶ月ほど前にやってしまい怒られた経験をいかした。
「すみません、この本は現在不明本、つまり行方不明となっへおりまして」
せっかく、ミスの再現を免れたというのに、嚙んだ。
笑われてしまう、と思い茶髪の彼女の顔を見ると、彼女は笑ってなんかおらず大変に残念そうな顔をしていたもので、相手を性悪だと勘繰ってしまった三歩の心に去来する罪悪感。
「ご、ごめんなさい。あ、あの、頑張って探しますので」
「マジかー、っていうか本の管理するプロなのに本をなくしちゃったりするんですね」
「ぐふっ」
嫌味がナイフとして突き刺さり、思わず声に出てしまった三歩。な、なかなか言いやがるじゃねえかっと女の子に反論しようとすると、彼女はまた三歩の予想とは違う表情をしていた。
きょとん。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫ですちょっとナイフが」
「ナイフ?」
「いえ、なんでも」
あ、あー、なるほどねはいはいそういう感じね嫌味を狙って言ってくる感じじゃなくて無邪気に感想を言っちゃったのがたまたま人を傷つけてくタイプね。ちょっと苦手だなー。って顔をしてしまっていた三歩はもう一度体調を気遣われ改めて元気なことを表明し、きちんとお姉さんとして説明すべきことを説明する。
「不明本にも色んな理由があって、や、ありましへ」
駄目だ、刺し傷を引きずっている。
「一番多いのは、手に取った利用者の人が元あった場所に戻さないパターンです、でもこのパターンだと一生懸命探せば見つかるので戻ってきます」
「戻ってこないことあるんですか?」
「えー、はい、貸し出し処理でミスしてたりしてると、たまにはい」
「えーダメじゃないですか」
「げふっ」
二刺し目。自分がダメなのは知っていてもそれを面と向かってダメと言われれば三歩だって傷つく。重症です、担架を用意してください。
「そっか、残念。珍しく本読もうって思ったんだけどなあ」
「……ごめんなさい、よかったら他の図書館から取り寄せますか?」
「あ、そこまでじゃないから大丈夫です」
「そ、そっか」
思わず出てしまったタメ口。茶髪の彼女は特に気にしてない様子なので、三歩はきちんと敬語使いましたけど顔、もしくは年下には気さくにタメ口で話しちゃう小粋なお姉さん顔でやりすごそうと思う。すぐさま「な、なんのドヤ顔ですか?」と言われたので後者はやめて前者に切り替える。たった二択を間違えた。
表情をころころと変えながら、三歩は本のタイトルを思い浮かべる。三歩と彼女が探す小説、読んだことがあった。二十字以内で説明出来る小説はいい小説なのだと聞いたことがある三歩は、その不明本の二十文字を考える。主人公が元鞘に戻ろうと奔走する話(実話)。ぴったり二十文字。記号使ったっていいじゃない。
取り寄せるほどじゃない、ということは、見つかったら連絡がほしい、というほどでもないのだろう。
「一生懸命探しますので、見つかったら今度お見かけした時に伝えますね」
それくらいの距離感でよさそう、そんな風に思って言うと、茶髪の彼女は唇を尖らせた。
「んー、でも図書館あんま来ないんで」
「あ、そうなんですか。じゃ、じゃあ、縁があったら」
それでは、という感じを自分の頭頂部に込め、三歩は頭を下げて一旦配架に戻ることにした。彼女が探して見つからなかったということはこの棚にはないと見た方がよさそうだし、なによりこれ以上絡まれて配架が異様に長引き、怖い先輩から怒られることを恐れた。しかし大抵三歩の計算が上手くいくことなんてなく、会話を打ち切り背中を向けようとすると、「お姉さん」ともう一度女の子から呼び止められ、反射で振り返って腰がグキッといった。
「ふぇっ」
変な声が出たけれど、茶髪の彼女は笑いもツッコミもしてくれなかった。笑われるのは複雑だけど、なにもないとそれはそれでなんだか悲しく切ないものがある。わがままな大人。三歩。
「は、はい、なんでしょう」
「図書館って、楽しいもんですか?」
見ると、茶髪の彼女がそれまでとは違う複雑な表情をしていた。一瞬、嫉妬に見えたけれど、今嫉妬される意味が分からないので三歩のセンサーがおかしい。
三歩は、一概に答えきれるような質問ではない彼女からの問いを受けて、しっかりと相手を正面に見据え、答えた。
「分かりませんけど、いるだけで良い匂いがします」
正直に答えた。正直に答えただけなのに、三歩の答えのなにが気に入らなかったのか、茶髪の彼女は首を傾げて、三歩の方へとツカツカ歩み寄って来た。
わっヤンキーから暴力を振るわれる! 言葉にすればそんな大人とは思えないことを思って顔と腹部を腕で覆った三歩の横を、茶髪の彼女は無言で通り過ぎ去っていった。利用者をいじめっ子扱いしてしまったことにより三歩の心に去来する罪悪感。
「い、良い匂い、するよ?」
いなくなってしまった彼女の後に、きっと香水をつけていたのだろう匂いだけが残っていて、三歩はその匂いに名残惜しさを覚えつつそそくさと配架に戻った。
◇ ◇ ◇
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麦本三歩の好きなもの 第一集
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