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世界的物理学者が体験した、東大と京大の決定的違いとは? #5 探究する精神

世界的に活躍する物理学者で、 カリフォルニア工科大学・理論物理学研究所所長の大栗博司さん。『探究する精神――職業としての基礎科学』は、少年時代の本との出会いから、武者修行の日々、若手研究者の育成にも尽力する現在まで、自身の半生を振り返りながら、研究の喜びや基礎科学の意義について論じた一冊。学問を志すあなたへ、そして生涯、学びつづけたいあなたへ、一部を抜粋してお贈りします。

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京大から東大の助手に就職

ふつうは、二年間の修士課程を終えたら、そのまま同じ大学院の博士課程に進みます。しかし私は、京大の大学院で二年を過ごした後、東大の素粒子論研究室の助手に就職しました。京大から東大に移った理由は研究スタイルの違いでした。

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当時の東大の先生方には、日本を代表する大学のメンバーだというプライドがあったように思います。そのため、世界の最先端で進んでいる研究についてきちんと目配りをされていました。日本のエリートとして、「欧米に追いつき追い越せ」という明治維新以来のスタイルが受け継がれていたのです。

一方、京大の先生方には、湯川秀樹や朝永振一郎を生み出したという成功体験があります。湯川自身の研究スタイルの影響もあり、自分たちは世界のどこにもないクリエイティブな研究をするんだという意気込みがありました。海外の研究を追いかけるのは東大の先生に任せておけばいい、というわけです。

これは、どちらがよいというものではありません。東大スタイルでは、流行りの研究を後追いするばかりで、いつまでも最先端に追いつけないおそれがあります。京大スタイルは、湯川や朝永のような天才でなければ、自己満足におちいり、研究がガラパゴス化しやすい面があります。

大学院でその両方のスタイルに触れることができたのは幸運なことでした。九後さんをリーダーとする理学部の素粒子論研究室は当然ながら京大スタイルなのに対して、基礎物理学研究所には東大出身の稲見さんや福来さんがいらしたからです。

ハリネズミ型の九後さんは「大切なことをひとつ知っている」、キツネ型の福来さんは「多くのことを知っている」と書きました。これは、それぞれ当時の京大と東大の研究スタイルでもありました。

大学院二年目の秋に、当時は東大の助教授だった江口徹さんが京大に数週間にわたって滞在されました。その数年前までシカゴ大学の助教授だった江口さんは、帰国後、東大で大学院生だった川合光さんと発表した研究で仁科記念賞を受賞されたばかりでした。

京大には九後さん、東大には江口さんと、それぞれに三〇代の若きリーダーがいたのです。

米国留学をあきらめた理由

私は、江口さんの現代数学を応用した強力な理論手法に感銘を受けました。稲見さんに紹介していただき、江口さんに自分の研究成果についてお話しする機会を得られたのもありがたいことでした。

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当時、超弦理論は革命的な発見が起きたことで激しい競争が始まっていました。世界中で日進月歩の研究が進んでいたので、のんびりしていると取り残されてしまいます。そのため私は、海外の研究など追いかけなくてもよいという京大のスタイルに疑問を感じるようになりました

稲見さんに相談したところ、「米国の大学院を受けてみたら」とのアドバイスを受けました。そこでハーバードやプリンストンの大学院の先生に問い合わせたところ、よい返事をいただきました。

しかし迷いもありました。せっかく京大の大学院に二年間在学して論文も書いていたのに、ここで米国に行くと一年生からやり直しになるからです。

迷いつつも米国行きを決めかけたところで、思わぬことが起きました。東大の西島和彦さんの講座の助手が退職されてポストが空き、私に声がかかったのです。江口さんが西島さんに「京大に大栗という面白い奴がいるから、採用してみたらどうか」と薦めてくださったと聞きました。ありがたいことです。

東京に行く前には、東大の先生方から「博士号は論文さえ書けば東大からでも出せるけれど、修士号は在学していないと取れないから、ちゃんと京都で取ってから来なさいね」と言われました。

どうやら、私は京大の先生方とケンカをして京都にいられなくなったのではないかと思われていたようです。米国留学を画策していたのもそのためではないか。純粋に研究上の興味から環境を変えてみたかっただけなので、この機会に誤解を解いておきたいと思います。

米国留学か東大の助手か迷った末に、私は米国留学をあきらめて東大に行くことを選びました。人生は一回しかないので、それが正しかったかどうかはわかりません。もっと早く海外に出れば、それはそれでよいこともあったでしょう。

しかし超弦理論が急速に発展している時期だったことを考えると、大学院一年生からやり直すより、助手という職に就くことでプロフェッショナルな研究者としての意識を持つことができたのはよかったと思っています。

当時の国立大学の助手は国家公務員で、定年まで任期なしで安心して長期的な視野で研究に取り組むことができました。

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探究する精神 職業としての基礎科学

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