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サル学からみる「コロナハラスメント」がなくならないわけ #3 自粛するサル、しないサル

新型コロナ危機で生まれた、「自粛派」「反自粛派」の対立。霊長類学者の正高信男さんによれば、前者は本能的に感染症を怖がる「サル的」で、後者は理屈で恐怖感を抑制できる「ヒト的」だそう。「ヒト的」のほうが進化形ですが、命を守るうえでは「サル的」のほうが合理的とも……。

そんな正高さんの『自粛するサル、しないサル』は、霊長類学の観点から新型コロナをめぐるできごとを考察したユニークな「コロナ文化論」。なぜ対立は生まれるのか、はたして両者はわかり合えるのか、ぜひ本書で考えてみてください。

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根深く流布しているハラスメント


テレビのワイドショーなどを見ていると、感染者あるいは感染者にかかわって仕事をしている人への、いわれのない誹謗中傷が行われているという話を頻繁に耳にします。

たとえば、2020年の秋以降のいわゆる感染の第3波の襲来で、各地で医療崩壊の危機が報じられました。

そうすると病院内ですら、コロナ患者に接している医療従事者が、そうでない同僚と同じフロアにいると、どうしてここにいるんだとか、感染していたらどうしてくれるのだとか、詰問されるという

手当の支給よりも、こういう状況をどうにかしてくれと訴えている話をとりあげていました。
 
PCR検査でコロナ陽性だと判明すると、多くの場合は隔離されるのですが、そういう人々も冷たい仕打ちに遭うことがしばしばあるとは、容易に想像されるところです。

ただ詳しい体験談というのは、伝わってきません。あえて体験を話そうという人が見つからないのかもしれません。それはそうでしょう。そんなことをすれば、自分の身に「報い」みたいなものが返ってくる怖れが多分にあるのですから。

ハラスメントは起こるべくして起きている


コロナに感染して治癒しても、あるいは感染の疑いをかけられて結果がシロであっても、冷たい目で見られる、あるいはそういう思いにかられることは、覚悟してかからないといけない。コロナハラスメントは、社会で認識されている以上に根深く流布しているのではないでしょうか。

科学的根拠のない中傷です。ただし、自分自身の過去を振り返って、あえて書くと、ハラスメントをする側にも、そうするだけの根拠は存在すると思うのです。

というのもハラスメントをする側に立ってみると、結局ウイルスに恐怖を抱いているわけで、それは生物としてのヒトがヘビや毒キノコに対して抱くのと同様の感情であることを、サル学の研究が示唆していることは、すでに説明した通りです。
 
しかし非常に困ったことに、病原菌というのはヒトにとって目に見えない危険であるわけです。ウイルスにいたっては、実体顕微鏡ですら存在がわかりません。
 
テレビのニュースを見ていると、いつも黄色を背景にどす黒い点が表示されていて、あれがコロナだという。あれに恐怖を感じよといわれても、感じることのできる人はまずいないでしょう。ではどのようにして、リスク回避のための恐怖感情を喚起することができるのか?
 
ウイルスに感染している同種個体としての仲間を怖れるしか、方法がないのです。
 

「罪を憎んで人を憎まず」という戒めがあります。犯罪者が悪いのではなく、その人物を犯罪にいたらしめた背景を問題にせよということでしょうか。なるほど、理屈ではわからぬでもありません、だが、被害者の側に立つと、これは実践するのが大変です。
 
けれども「病原菌を怖れて、その保菌者を怖れず」、あるいは「コロナを怖れて、その感染者あるいは感染の怖れがある人物を怖れず」という戒めも、これと同等あるいはそれ以上に実践がむずかしいと、私は考えます。
 
しかも行政が「コロナに気をつけろ」と、しきりにあおっていると書いてもいい状態が続いています。それに従おうとする態度でいればいるほど、つまり自粛に前向きであるほど、コロナハラスメントに走りがちになるのは、必然的な結果であるといえるでしょう。
 
それを行政が、コロナハラスメントみたいな行為はけしからんと警告を発したところで、自分で火をつけておいて火消しに走る、「マッチポンプ」のようなものです。
 
誤解のないように付け加えますが、私はコロナハラスメントを容認しているわけではありません。ただサル学の立場からすると、起こるべくして起きていると客観的に分析しているので、問題は解決されるべきだと感じています。

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自粛するサル、しないサル


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