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金曜日の放課後に…泣けるラブ・ミステリー #3 はじめましてを、もう一度。

「私と付き合ってください、君に死んで欲しくないから」。高校二年の北原恭介は、クラスの人気者・佑那から突然、告白された。夢のお告げでは、断ったら「死んじゃう」らしい。思いがけず始まった、謎だらけの関係。その裏には、彼女が言えずに抱えている重大な秘密があった……。若い世代から圧倒的支持を誇る、喜多喜久さんの『はじめましてを、もう一度。』。ラストに向かって涙が止まらない、本作のためし読みをお届けします。

*  *  *

ホームルームが始まるまで、まだ時間がある。問題でも解くかと、数学の参考書を出したところで、「――おい、北原」と背後から声を掛けられた。

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「……今日は朝から忙しいな」

そうひとりごちて俺は振り返った。妙に眉毛の太い、坊主頭の男子生徒が近づいてくる。会話の際に近くに寄りすぎる癖のあるこの同級生の名は、高谷吾郎という。下の名前が谷吾郎だ……というのは冗談で、普通に高谷が苗字だ。

高谷は俺の机のすぐ脇に立つと、「北原は四組か」と腕組みをした。俺は椅子を動かして高谷と距離を取りつつ、「そっちは?」と尋ねた。

「俺は五組だ。教師が気を遣ったのかもしれないな。成績一位と二位が同じクラスだと、クラスの平均点に偏りが生じる」

「そういう意味ならちゃんと分かれてるだろ。っていうか、二位の人に怒られるぞ」

「怒られる筋合いなどない。一年最後の模試で、俺の化学の点が学年二位だったのは間違いない事実だ」

「ふーん。で、総合では何位だったっけ?」

意地の悪い質問を投げ掛けると、高谷は目を逸らし、「……八十二位」と小声で答えた。「っていうか、そんなことはどうでもいいだろ」

「どうでもよくないって。仮に成績重視でクラス分けをするなら、総合点が重要になるはずだろ」

「なんだよ、自慢か?」高谷が味付け海苔のような眉をVの字にする。「というか、ちょっとは遠慮しろよ。他の科目で全部一位なんだから、化学くらいは譲ってくれてもいいじゃないか!」

高谷が顔を寄せながら俺に文句をつけてきた。

「だから近いっつーの」

俺はやつの肩を押し返し、「譲れって言われてもな……テストでわざと間違えろっていうのか?」と首をかしげてみせた。

「勉強時間を減らせばいい」

「減らすもなにも、化学はそんなにやってないけど。あれは勉強の合間の息抜きみたいなもんだから」

事実を伝えると、高谷は天井を見上げて、「きーっ!」と餌を取られた猿の悲鳴のような声を上げた。「これだから天才は!」

「……別に天才じゃねえし」と俺は顔をそむけた。

高谷は常々、「将来は絶対に化学者になる!」と公言している。なんでも、白衣に憧れがあるらしい。変わったやつだと思う。

とはいえ、口だけではない。偏って勉強しているだけあって、化学の成績はトップクラスだ。しかし、二位は取れても一位は取れないという状況が許せないらしく、俺をライバル視してはしょっちゅうこんな風に絡んでくるのである。

「まあいい。だんだん試験の範囲も広がっていくからな。いずれ俺が一位になるのは間違いない。それまで、せいぜいかりそめの王座を楽しむといいさ」

俺は露骨なため息をつき、「分かったから、さっさと自分の巣に帰れ。新しいクラスメイトと交流してこい。そして、新しいライバルを見つけてこい」と手を振った。高谷はいつも無駄に熱血系なので、話に付き合っていると疲れて仕方ない。

「心配はいらない。俺はお前と違って社交性もあるし、友達も多い。いちいち挨拶して回らなくても、ほとんど知り合いばっかりだよ」

「あっそ。おめでとう。友人の数なら俺は完敗だわ」

「ロンリーウルフ気取りか。あれか? 自分は特別だから、凡庸な同級生たちと交わる気はないぜ、みたいな勘違いか?」

「誰が中二病患者だ」と俺はツッコミを入れた。

「そろそろスタイルを変えた方がいいぜ。将来、確実に後悔するぞ。『ああ、高校時代にもっと青春を楽しんでおけばよかったあ~』ってな感じに」

高谷は早口でそうまくしたて、「いや、もう楽しんでるのか」と思案顔で呟いた。

「は? なに調子に乗ってんだよ。悪いけど、俺はお前との会話を青春の記憶に認定するつもりはないからな」

「いや、そうじゃない。さっき、牧野と親しそうに話してただろ」と、高谷が黒板の方を指差す。

「親しそうに? いや、普通に世間話だけど。っていうか、見てたのか」

「珍しい光景だから、こっそり見学してたんだ」と高谷がなぜか得意げに言う。「なかなかの衝撃シーンだったな。少なくとも、俺はお前が女子と話しているところを見たことはない」

「『なんでも知ってるぞ』的な雰囲気を出すのはやめてくれ。話し掛けられたら返事くらいはするっての」

「確かに、誰かさんと違って牧野は非常に社交的だからな。去年、同じクラスだったんだけどな、牧野は全員から慕われてたぞ。担任と副担任も含めて」

「へえ、それはすごいな。お前もか?」

「うん、まあ、俺もその、話ができると嬉しいかな……可愛いし」

高谷がもじもじしながら言う。ちょっとキモい。

それはともかく、どうやら牧野は、「スクールカーストの一軍選手」だったらしい。確かに、彼女は人目を惹く容姿の持ち主だ。それにプラスして明るい振る舞いを身につけているなら、カーストのピラミッドの上位に君臨して当然だ。

なぜ牧野が自分に声を掛けてきたのか不思議に思っていたのだが、何のことはない。彼女は誰とでも仲良くしたい主義者だったのだ。

過度に意識をする必要はない。同じクラスの臣下の一人として、カーストの位に応じた対処を心掛ければいい。俺は自分にそう言い聞かせた。

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2856【2017.4.14(金)】

新学期が始まって一週間と一日が経った、金曜日の放課後。俺は教室に残り、数学の問題集と向き合っていた。

時刻は午後五時になろうとしている。ずいぶん日も傾いてきた。どこか遠くの方から、カラスの鳴き声が聞こえてくる。やけに哀愁の漂う声だった。

とっくの昔に、他の生徒は教室から姿を消している。俺は、こんな風に誰もいない教室で勉強をするのが好きだ。自宅でやるより明らかに集中できる。たぶん、がらんとした広い空間がしっくりくるのだと思う。

数学は重点的に取り組んでいる教科だった。俺の趣味であるプログラミングと密接に関わるからだ。特に、数列の処理は重要だ。データを扱う際には、何行目の何列目にある数値を読む、という操作が頻発する。数学をやればプログラミングの技術が向上するわけではないが、基礎的な知識として、しっかりこなせるようになっておきたい。陸上選手にとっての筋トレみたいなものだ。

そうして黙々と問題を解いていると、誰かが廊下を歩いてくる音がした。残っているやつが他にもいるのか、と思いつつ、俺はシャープペンシルを動かし続ける。

近づいていた足音が、ふいにやんだ。

おや、と思って顔を上げると同時に前方の引き戸が開き、牧野が教室に入ってきた。

俺に気づき、彼女がぱっと笑みを浮かべる。

「あれ、北原くん。まだ学校にいたんだ」

「見ての通りだよ。牧野は部活か?」

「ええー、ショックぅ」俺の質問に、牧野が突然頭を抱える。「私、部活はやってないんだよぉ。北原くんは、私に全然興味ないんだあぁ」

なんだそのミュージカルみたいなリアクションは、と若干引きつつ、「……そうなんだ。悪い」と俺は頭を下げた。

「いいよいいよ、そんなにマジに謝らないで。冗談だから、冗談」

牧野はそう言って自分の席に向かい、机の中に手を差し入れた。前屈みになると、さらさらと髪が流れて、彼女の横顔が隠れた。

牧野はすぐに体を起こし、「やっぱりあった」と数学の参考書をこちらに向けた。「図書館でみんなと勉強してたんだけど、これが見つからなくって」

「ふうん、そっか。お疲れ」と、俺はそっけなく言った。

早く出て行ってくれないかな、という気持ちを込めたつもりだったが、牧野はぴょこぴょこと跳ねるように俺の方に近づいてきた。

「そっちも数学の勉強してたんだ。北原くん、すごいよね。三月にあった全国模試、成績上位者に名前があったよ。数学の偏差値、九十五とかだったじゃない」

「平均点が低かったからだよ。その中で高い点を取ると、偏差値が高く出るんだ」と俺は説明した。偏差値は集団における位置を示す指標だ。平均から離れれば離れるほど、値は大きくなる。分布が極端にいびつな場合は、偏差値が百を超えることも、マイナスの値になることもある。

「そうなの? でも、全国でもトップクラスなのは事実じゃない」

「まあ、その試験に関しては」と俺は頷いた。

「そんなすごい人に頼むのは心苦しいんだけど、よかったら図書館でみんなと一緒に勉強しない? 先生の説明だけじゃ分からないところがあって、それで困ってるんだ。ゴールデンウィーク明けに実力テストがあるし、今のうちに疑問を解消しておきたくて」

俺は視線を上げ、斜め前に立っている牧野を見た。三日月形の目に白い歯。クラスメイトと一緒にいる時に彼女が見せる、おなじみの表情がそこにあった。人を惹きつけることに長けた、偏差値九十超えの笑顔だ。

目が合ったのは、一秒にも満たない時間だった。俺は手元に目を戻し、「遠慮するよ。俺、一人でやるのが好きだから。他の先生に聞いてみたら」と答えた。

すると牧野は「はあーっ」と長いため息を漏らした。

「……残念だけど、仕方ないか。北原くんの勉強法を盗みたかったんだけどね」

「盗むほどのもんじゃないよ。手当たり次第に参考書の問題を解くだけだし」

そう返すと、牧野はその場にぱっとしゃがみ、低い位置からこちらを見上げてきた。雲間から顔を覗かせる満月のように、赤いチェックのスカートの端から彼女の白い膝が見えていた。

「本当にそれだけ?」と、いたずらっぽく牧野が訊いてくる。

俺は曖昧に頷き、「そうだよ。それだけ」と答えた。

「そうかー。それはもう、脳の造りが違うとしか言えないなー。苦手な教科はないの?」

「特には。……っていうか、椅子に座ったら。疲れるだろ」

うん、と嬉しそうに頷き、牧野は俺の一つ前、出席番号四番の席に座った。

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『はじめましてを、もう一度。』喜多喜久

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