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私の言った通りになったね…泣けるラブ・ミステリー #2 はじめましてを、もう一度。

「私と付き合ってください、君に死んで欲しくないから」。高校二年の北原恭介は、クラスの人気者・佑那から突然、告白された。夢のお告げでは、断ったら「死んじゃう」らしい。思いがけず始まった、謎だらけの関係。その裏には、彼女が言えずに抱えている重大な秘密があった……。若い世代から圧倒的支持を誇る、喜多喜久さんの『はじめましてを、もう一度。』。ラストに向かって涙が止まらない、本作のためし読みをお届けします。

*  *  *

「ねえ、ちょっと」

少し苛立ったような声に違和感を覚え、俺は顔を上げた。

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すぐ目の前に、女子が立っていた。赤地に黒のラインが入ったボーダーシャツと濃い青色のジーンズという格好だ。

肩に掛かるくらいの黒髪に、こちらを遠慮なく見つめてくる大きな目。桜色の唇の間から見える、白い歯。爽やかな笑みを浮かべている彼女の顔を、俺は知っていた。高校の同級生だ。

ただ、学校で何度か見掛けたことはあったが、一年の時はクラスが違ったので、会話を交わしたことはなかったし、彼女の名前も知らなかった。

だから俺は、「ああ……」と曖昧な返事をすることしかできなかった。

すると彼女は、何の断りもなく俺の隣に腰を下ろした。ソファーは別に込み合っていなかったにもかかわらず、彼女と俺の太ももは微妙に接触していた。

「北原くんも、ここに通ってるんだね」

「……まあ、家から近いから」

「そうなんだ。私も私も。今日はどうしたの?」

「奥歯の詰め物が外れたから、仕方なくな」

「それは災難だったね。私は歯のクリーニングに来たんだ。子供の頃から一本も虫歯がないのが自慢でね、せっかくだからずっと継続していこうって思って、定期的に歯を綺麗にしてるんだ」

「……ふーん、偉いな」

俺が適当に答えると、彼女が急に黙り込んだ。

隣を窺うと、彼女は俺の方をじっと見ていた。目が大きいので、瞳に込められた感情がダイレクトに伝わってくる。彼女は明らかに怒っていた。

「もしかして、私のこと、誰か分からない?」

俺は開いた雑誌に目を落とした。美味そうなハンバーグが載っていた。

「……見覚えはあるんだけどな、名前まではちょっと」

「私は北原くんのことを知ってるんだけどなあ。下の名前も分かるよ。恭介、だよね」

「ああ、そうだよ。博識だな」

「うーん……いや、違うなあ。今のは無しにしよう」

彼女は唐突に立ち上がると、俺の正面に立った。

「……何を無しにするって?」

「私が君の名前を知ってることはいったん忘れてもらって、初対面ってことで自己紹介し合おうよ。対等な感じで」

いきなりの申し出に、俺は「はあ」と気の抜けた相槌を打った。なんというか、アメリカ的というか、洋画的というか、とにかく日本人っぽくない社交性だな、と思った。

ふと気づくと、待合室から人影が消えていた。俺の大嫌いなキーンというドリルの音があちこちから聞こえてくるから、それぞれ治療が始まったのだろう。何かの用事で席を外したらしく、受付のお姉さんまでいなくなっている。待合室にいるのは、俺と彼女だけだった。

他人の目がないなら、不可解ではあるが理不尽ではないリクエストに応えてもいいだろう。その程度のサービス精神は持ち合わせている。

俺は立ち上がり、「別にいいよ」と言った。

「じゃあ、はじめまして。牧野佑那です」

にかっ、と音が聞こえてきそうな笑顔と共に、彼女が右手を差し出す。俺は思わず、その白くて細い指を凝視してしまう。まさか、握手を要求してくるとは。

「あんた、帰国子女?」

「ううん。東京生まれの東京育ちだよ。海外旅行どころか、パスポートも持ってないよ」牧野は笑顔のままでそう言って、差し出した右手をひらひらと左右に揺らした。「疲れてきたから、早くお願いします」

「……じゃあ」

ジーンズで手のひらを拭い、俺は彼女と握手を交わした。その手は、柔らかくて生温かくて、俺はいつか撫でた仔猫の背中を思い出した。

手を離そうとしたら、牧野は逆にぎゅっと俺の手を握って、「あれ、まだ名前を伺ってませんけど?」といたずらっぽく笑った。

俺の名前を知っているくせに、と思ったし、なんだよこの茶番は、とも思った。

しかし、さっきのくだりは忘れるという約束だ。俺は目を逸らしながら、「はじめまして、北原恭介です」と律儀に名乗ってみせた。

「北原恭介くん、ね。うん、覚えた」

手をほどき、牧野が自分のこめかみを指先でつつく。

やれやれ、どこまでこの芝居に付き合わなきゃいけないんだろう。そう思ってため息をついたら、「そんなに冷たくしないでよ」と牧野が口を尖らせた。「四月から同じクラスになるんだしさあ」

「……そうなのか?」

「そうだよ」と、牧野が大きく頷く。

「四月からのクラス名簿を盗み見たのか?」

「ぶー、残念、違います」

牧野が両手でバツマークを作ったところで、受付のお姉さんが待合室に戻ってきた。

「北原さん、準備ができましたのでこちらへどうぞ」

「あ、はい」

お姉さんに名前を呼ばれて初めて、俺は奥歯の穴のことを思い出した。そうだ。すっかり牧野のペースに乗せられてしまったが、俺は歯を治しにここに来たのだ。

「よかったね、すぐに診てもらえて。私はもう支払いまで済ませたから、先に帰るね。ちょっと痛むと思うけど、我慢だよ、我慢」

牧野はそう言うと、手を振りながら笑顔で歯科医院をあとにした。

すりガラスの自動ドアが閉まるのを見届け、俺は診察室へと向かった。

一つ、疑問が頭の中に残されていた。なぜ、牧野はあんなに自信たっぷりに、俺たちが同じクラスになると断言したのだろう?

その理由を考えていたおかげで、歯を削って新しく詰め物をする間も、俺は痛みを恐れずに済んだ。

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2848【2017.4.6(木)】

学校や会社は年度という区切りに従って動いており、四月一日をもって俺は高校二年生に進級した。ただ、春休み中はその実感はなく、ひたすらプログラミングばかりをやっていた。

四月六日、午前八時ちょうど。始業式のその日、新しい学年の始まりを渋るような曇り空の下、俺はいつも通りの時間に高校の門をくぐった。

ホームルームが始まるまでまだ三十分ある。普段はがらんとしている時間帯で、俺はその空気が好きなのだが、今朝はすでに結構な数の生徒が登校していた。みんな、クラス分けが気になっているのだろう。

昇降口でスリッパに履き替え、二年生の教室がある二階に向かう。

各クラスの名簿は、階段を上がったところにある掲示板に貼り出されていた。

名簿の文字は小さい。同級生たちが掲示板を取り囲むように集まっていて、その周囲をぐるりと歩いて回ったが、自分がどのクラスなのか確認できなかった。

人垣が途切れるのを待つか、と廊下の壁際まで後退したところで、「おーい、北原くーん」と聞き覚えのある声に呼ばれた。

そちらに視線を向けると、教室の入口から上半身だけを出しながら牧野が手招きをしていた。当たり前だが、今日は白のブラウスとクリーム色のセーターという、我が校の制服に身を包んでいる。

牧野の頭上、廊下に突き出したプラスチックプレートは〈2‐4〉だった。俺は掲示板の方をちらりと見てから、ゆっくり彼女の方に歩いていった。

「おはよ!」

「ああ、おはよう。牧野は四組か」

「そう。北原くんと一緒」

牧野がさらりとネタバレをかましたので、俺はつい「え?」と口走ってしまう。

「あれ、まだ知らなかった? 黒板の名簿で確認してみなよ」

言われるままに教室に足を踏み入れる。席配置と一緒になった名簿が、黒板に無造作に貼られていた。席の割り当ては、苗字の五十音順になっている。先頭から順番に見ていくと、俺の名前は五番目にあった。

「ね、あったでしょ。私はここ」

牧野が嬉しそうに自分の名前を指差す。男子のあとに女子が来るので、〈牧野佑那〉はかなり後ろの方だった。

黙ってその四文字を見つめていると、「私の言った通りになったね」と牧野が勝ち誇ったように言った。自慢の歯を見せつけるような笑顔のおまけ付きだ。

「そうみたいだな。よく分かんないけど、おめでとう」

俺はそう言って自分の席に向かった。

ウチの高校は一学年につき六クラスある。一から三組が文系、四から六組が理系だ。どのクラスになっても構わないのだから、互いに理系である俺と牧野がクラスメイトになる確率は三分の一だ。高いというには低すぎるが、低いというには高すぎる、なかなかいい塩梅の確率ではないだろうか。

牧野の、「同じクラスになる」という予言の裏には何かトリックがあったのかもしれない。例えば、親しくしている教師からこっそり事前に教えてもらっていたとか、そういう手口だ。だが、いちいち訊くのも面倒だし、こちらから話し掛けるほど親しい間柄でもない。偶然の産物だったということで納得することにした。

教室の右端、前から五番目の席に腰を落ち着ける。さりげなく教室内を見渡してみたが、牧野の姿はもうなかった。背を向けている間に教室を出て行ったらしい。

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『はじめましてを、もう一度。』喜多喜久

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