ちょっとずそずわしますが…じわじわ笑える旅エッセイ! #5 わたしの旅に何をする。
ヒマラヤ、ミャンマー、インド、ブルネイ。ある日、サラリーマンがたいした将来の見通しもなく会社を辞め、東南アジアの迷宮へと旅立った……。旅を中心に、ジェットコースター、巨大仏、ベトナムの盆栽、迷路のような旅館、石まで、一風変わったテーマで人気を誇るエッセイストの宮田珠己さん。今回は初期の傑作として知られる、『わたしの旅に何をする。』をご紹介します。
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「おほようございまよ」って?
中国を旅行した際、言葉は筆談でOKと思っていたら、実際にはいちいち紙とペンを取り出すのが面倒くさかった。例えば「バス停はどこですか」ごときでいちいち筆談してられないのである。できれば口で「この切符売場は何時に開きますか」とか、「押さないでください」とか、「次は私の順番です」「抜かすな、コラ!」とか言いたい。
結局、私は北京の地下鉄構内で、ポケットサイズの中国語会話の本を買った。
『説日語』というのがその本の名前だ。正確に言えば中国語会話ではなく、中国人向けの日本語会話集であった。出版発行は西北大学出版社。西北大学はよく知らないが、大学であろう。
まずこの会話集の使用法を読んでみた。
「本文では、中国語の文章の下に日本語の表記と発音を併記してある。例えば日本語で『早上好』は『おほようございまよ』と表記されるが――云々」
ん?
「おほようございまよ」は変だろう。
さらにページをめくると、常用会話の項で、
「ありがとうでぞいます」
おいおい、どっちも超基本会話ではないか。しかもさらに見ていくと、
「おほようごぎいます」
同じ「おほよう」でもさっきは語尾が「ございまよ」だったのに、今度は「ごぎいます」だ。
「ありがとう」の語尾は「でぞいます」である。統一性すらない。
だがそんなのはまだ意味がわかるほうで、
「であんをさい」
というのは何だ。さっぱり意味不明だぞ。
「いれはどうごしょう」
「どうぞねかはくだちい」
私は地下鉄の座席からずり落ちそうになった。
一体、どうなっているのか西北大学。
本の巻頭に『再版声明』と題して注意書のようなものが載っていたので、それも読んでみる。
「『説日語』は発売以来、すぐに役に立つ! と広大な読者の歓迎を受けた。しかし盗用が横行し、われわれの著作権は侵害され、非常な不利益を被った。そのため、ここに以前陝西旅游出版社から出版したものに手を加え、あらためて西北大学出版社から『説日語』を出版することにした。これを勝手に盗用した者は法的責任を追及されることになるであろう」
まず、おのれが責任を追及されんかい。
あまりにずさんな会話集
こんな会話集では全然役に立たないうえに、あまりにずさんで面白いので、もっと紹介したい。
「ね元気ぞすか」
「まあまあごす」
なんだか力士っぽい会話である。調べてみると、この他にも力士ふうの会話はたくさんあり、代表的なものを次に記す。
「いまは九時二十五分ごす」
「てれがあれとり上等ごす」
「わつりごす」
「ぴつそりごす」
九州男児のつもりなのかもしれない。
「すごいわや」
という中部地方っぽいのもある。
私もこのへんまでくるとだいたいわかってきたが、間違い方には法則があるようだ。多いのは、『お』と『ね』、『ご』と『で』の混同である。『お元気』が『ね元気』になり、『です』が『ごす』になるのだ。たしかに書き文字にすると見た目が似ている。さっと書いた文字なら、どっちかわからないこともあるだろう。この本の編集者は日本人が書いたひらがなを見て活字を拾ったのではないか。
「あななはどちちかちね出でですか」
「ねをかが空さました」
これらは、あなたはどちらからお出でですか、と、おなかが空きました、であろう。『ら』と『ち』、『な』と『を』なども混同されている。
なんていい加減な仕事なんだ。どうしようもないぞ西北大学。
さらにひらがなの読み間違いとは思えないものもある。
「たろたろ失礼します」
「スープピにしますか」
馬鹿なんじゃないか。
「遠いのよ(遠くないのよ)」
これはいきなり桃井かおりみたいだ、意味はあってるぞ。
そして次の作品。
「ミンブしますからどうぞてちらへ」
ミンブって何だ。
「頭、顔、手、足、アッヤー」
アッヤーて何なんだ。それは体の一部なのか。
「もうなんたたろいたしたか」
「やかをとてそへ行またいぞすか」
「ちょっトずそずわしますが、郵便局は何時から開きますか」
ずそずわするらしい。
一カ所や二カ所の間違いならともかく、こんなものを日本語の会話集として堂々と出版してしまうのは、あまりに豪快ではないか。
「どのようにずりしましょうか」
ひょっとして、わざとやっているのか西北大学。一体どういう大学なんだ。本当に大学なのか。
私は、謎の西北大学に、二十一世紀を切り開く新しい何かを見た気がした。
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