
Creepy Nutsにとって、ラジオとはどんな場所なのか #1 HIPHOPとラジオ
ラッパー・R-指定と、ターンテーブリスト・DJ松永による人気ヒップホップユニット、Creepy Nuts。彼らがパーソナリティをつとめる『Creepy Nutsのオールナイトニッポン』が、多くのリスナーに惜しまれつつ、3月をもって終了することが発表されました。
『HIPHOPとラジオ Creepy Nutsのオールナイトニッポン読本』は、同番組のすべてを詰め込んだオフィシャルブック。リスナーなら絶対見逃せない本書から、内容の一部を公開します。
* * *
――リスナーとしてのラジオとの出会いから振り返っていただけますか。
DJ松永(以下D) うちはむちゃくちゃ貧乏、かつ親がめためたに厳しくて。テレビはNHKの「ニュース7」しか見せないような家庭だったんですけど、自分の部屋に行くとラジオが聴けるコンポがあって。テレビが見れない環境だったから、ラジオから流れてくるCMがむっちゃ嬉しかったんですよ。自分しかいない空間で、超テレビっぽいものが聴けてることにテンションが上がってた。テレビを制限されてたからならではの感覚だったんだろうなと思うんですけど、それがラジオへの興味の入り口でしたね。
――いくつぐらいの時ですか?
D 小学校後半から中学校にかけてぐらいの時ですね。
――まわりの友達ではラジオを聴いている人はいないですよね。
D いないというか、そもそもラジオを聴いてるって、人に言ったことがなかったんです。初めて公言したのが1stEP「たりないふたり」(2016年1月発売)を出した時だった。
――そうなんですね。
D それまでほとんど人に言ってこなかったんです。で、ラジオの原体験としては、「WANTED!」(2005年~2007年まで月~木の深夜3時から放送されていた帯番組)のバナナマンさんとRHYMESTERの回を聴くようになったこと。当時、MDでLP4っていう4倍録音できる形式があって、120分の番組を1枚のMDに2本ぐらい録音してたんです。それは、今も家に大事に取ってあるんですけど、聴きながらテレビとラジオの違いも感じていて。テレビを見ているとすごく楽しいし、面白い。でもそれは、自分のためじゃなくて、いろんな人に向けて作ってるという認識だったんですよね。もちろん、癒やされたりするし、楽しいなと思ったりするけど、自分としゃべり手が一対一で密になれるのはラジオだけなんだろうなって感じてて。ある種、学校生活での現実逃避先として作用したんです。だから、自分がラジオを聴いてることを人にしゃべっちゃうと、逃避先の自分の秘密基地をばらしちゃうことになって、それこそ安息の地ではなくなっちゃう。だから、ずっと言わずに、そのまま大人になりましたね。地元の友達にラジオを聴いてるなんて、まあ、言わんかったですね。Rには言ったけど。
R-指定(以下R) そうですね。
D メディアで公言することも避けてたけど、「たりないふたり」を語る上では、文脈的にラジオを外せないので、その時に、いいや、言っちゃえと思って言った感じですね。

――一方で小学生の頃のRさんは?
R 俺もなかなか貧しい家庭やったんですけど、おとんが映画好きやったり、おかんが超テレビ好きみたいな感じやから、「テレビを見るな」って怒られるんじゃなくて、チャンネルの争奪戦でめちゃくちゃ怒られてました。おとんが見てる番組に対して、俺が「何や、おもんない」とか言ったらしばかれるみたいな(笑)。で、自分の部屋にテレビをつけてもらってからは、ずっとテレビを見てる、超テレビっ子でしたね。だからラジオは、たぶん音楽がきっかけやと思うんです。おとんが車で流してるFM802を聴いてるとか。で、よくよくたどったら、家族で牛丼屋へ飯行った時に、SOUL’d OUTの「1000000 MONSTERS ATTACK」がラジオから流れてきて。それまでにもいとこの姉ちゃんから、KICK(THE CAN CREW)やRIP(SLYME)を聴かされてたし、小学校5年生ぐらいの時にジブさんの「MR. DYNAMITE」を聴かしてきたことも思い出したんですよ。
――リスナーには〈改編突破 行くぜ HIP HOPPER〉の元ネタでお馴染みの曲!
R そう、でも、その時は全く反応しなかったんですよ。「カッコいいやろ? これ」って言われて、「へー」とか言ってて(笑)。で、小6か中1ぐらいの時に、SOUL’d OUTを聴いて、「これ、あれか。いとこの姉ちゃんが聴かしてきた、一点突破みたいな感じのやつか。何言ってるか分からんけど、めっちゃカッコいい!」ってなって、地元のTSUTAYAに行って、日本語ラップのコーナーを漁って。RHYMESTERを手に取り、日本語ラップ全般にはまっていって。普通にラップが好きで、ずっと音楽を聴くっていう時期が来るんですけど、18、19ぐらいの時に、RHYMESTERの宇多丸さんがやってる「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」っていうラジオのポッドキャストをホームページで見つけて。もともと俺は映画やテレビが好きやったから、自分の好きやったものと好きやったものが、思わぬとこで合致して。めっちゃ好きなラッパーが自分の知らない世界をめっちゃ教えてくれる、みたいなことで、能動的に聴きに行くようになったのが20歳前ぐらい。それで、宇多さんが、山里(亮太)さんの「不毛な議論」にゲストで出た回がめちゃくちゃ面白くて。そこから山里さんの「不毛な議論」も聴きだして、松永さんと出会い、いろいろ話してるうちに、お互いRHYMESTER好きやから、「WANTED!」や「ウィークエンド・シャッフル」の話になって。松永さんちに行ったら、もうずっとオードリーさんの「オールナイトニッポン」がかかってるみたいな感じでしたね。
――松永さんはオードリーさんを聴いてたんですね。
D 一番長く聴いてて、自分の人生に大きく関わったのはオードリーさんですよね。最初に好きになったのはバナナマンさんで、「JUNK」や「サンドリ」(「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」)も聴いてたりしたんですけど、芸能人に自分を重ね合わせて共感するみたいな経験を初めてしたのがオードリーのラジオで。それがあまりにも自分の心に深く刺さりすぎて、そっからもうオードリーのラジオを何度も何度もひたすら聴き続ける、みたいなやつが始まったんですよね。
――その刺さった部分というのは?
D 自分の地元の友達は本当にもう「肩パンけつキック」みたいな感じなんですよ。カルチャー好きなやつも誰もいないですし、俺がラジオを聴いてたなんてことも言わないし、やっぱ狭い田舎の学校だから、みんなと足並みをそろえないといけなかった。自分の形を変えてみんなと付き合ってたんですけど、ずっと無理が生じてて、自分の中でぐるぐるしたものがあって。そういう苦しかったもの、それこそ内省的な悩みみたいなものを若林さんが言語化して、言葉にしてしゃべってくれた。はっと答え合わせされた感覚もあったし、若林さんも芸能界で同じような経験をしているっていうことでめちゃくちゃ救われたし。何よりもその話で、俺自身がめちゃくちゃ笑ってたっていう。それが何よりも救いだったんですよね。だから、もう完全にシェルターでした。本当にしんどい時、「オードリーのオールナイト」がないと、マジで明日一日生きれません、みたいな感じの日もありました。
――秘密基地より一歩先に進んだシェルターである番組をRさんには聴かせたのはどうしてでしたか?
D 聴かせたつもりはないですよ、流してたんですよ。
R 流れてました。「これ、聴いて」とかじゃなくて、普通に、「先、寝ますわ」「オッケー」とか言って寝始めたら、〈♪トゥトゥントゥン〉って、「ビタースイートサンバ」が流れ始めて。「好きなんすか?」「好きなんだよね」みたいな会話をして。俺も横になって、笑いながら聴いてて。
D 中学生の時からずっと、ラジオを聴きながら寝てたんですよ。
R それ、俺も一緒やったんです。俺も宇多さんや山里さん、ラジオじゃないんやけど、落語や怪談話とか、人がしゃべってるのをかけながら寝るっていう習慣があったから、それ、できんねやと思って。
D それは一緒だったよね。だから、別にRに聴かすわけじゃなくて、Rが俺と同居する=俺が普段してる生活をするから、必然的にそういう場面に遭遇するっていう。
R 最初、気を遣って、すごく小さい音だったんですけど、俺も聴きたいから、普通のボリュームでかけましょうよって言って。そのまま、落ち着くみたいな。
D でしたね。

――その時から、いつか二人でラジオ番組をやりたいねっていう話をしてました?
D いやいや、そんな、全く想像もしてなかったですね。
――でも、2016年1月からはディスクガレージのウェブサイトでラジオ連載「“悩む”相談室」をスタートさせてますよね。
D あれは、何か連載やってくれって言われたんですよ。文章を書くのはなかなかカロリーが高いけど、しゃべったらその場で完パケでいけるかなって。連載の内容も何でもいいって言われたんで、「じゃあ、ラジオをやる?」みたいな話になって、俺んちにあるマイクを使って録音して、俺が編集して、ジングルも作って。大まかな台本も見よう見まねで作ったりして。「“悩む”相談室」の時はラジオサークル気分でやってましたね。
R 松永さんちに集合して、二人だけでしゃべって。
D だから、あれは、番組と思ってない。何かしらのプロ意識みたいなものはないわけですよ。いろんな人が聴くとも、別に思ってない時期だったんで……。
R そうでしたね。
D 別にラジオをやってるなんていう意識はなかったよね。
R 全然なかったすね。
――でも、そのあとすぐですよね。同じ年の2016年11月に、単発ではありましたが、初めて「オールナイトニッポンR」のパーソナリティに抜擢されました。
D そん時はさすがにびっくりしましたね。「まじで?」みたいな感じ。
R 「えー?」とか言って。びっくりしてる状態のまま……。
D あまり受け止め切れてない状況のまま本番を迎えてましたよね。ずっと聴いてた逃避先だったところに自分がいて、ここからしゃべるんだ、みたいなことは、事実として頭で理解しても、心では全く分かんないみたいな。

――当時は、どういう番組にしようと考えてましたか。
D ヒップホップの番組にしようっていうのは、Rと話してたかな。ヒップホップのラジオにするしかないし、それしかできないし……。
R そうやんな。
D 餅は餅屋だから、ヒップホップのことを話さないで芸人さんみたいなラジオをやんのも違うし、うまくいくはずないし。
R 自分らのことを話すしか、たぶんないし。
D それしかできないし、それが最適解、かつ、それ以外の選択肢ってラジオってあんまないと思うんで。俺的には、「朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0」の存在がでかくて。小説家の二人が小説の話をして、エピソードトークも小説界隈の話。完全に聴き手に寄り添わない、本当に自分たちの畑の話をし切る番組だったんですけど、むっちゃ面白くて。俺は小説に詳しくなかったし、すごい興味があったわけではないんだけど、めっちゃ面白かったんですよ。1年間で終わった番組ですけど、俺の中ではオードリーに次いで、心に残ってるラジオなんですよね。自分の知らない、もともと興味のない話だったとしても、その世界のプロフェッショナルが熱量を持って話せば、何でも面白いんだなと思って。自分たちがラジオをやるに当たって、もうゴリゴリのヒップホップラジオでいいっていう発想になったのは、「朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0」を聴いてたからですね、きっと。
――その朝井リョウさんはもともと「“悩む”相談室」のリスナーで、Creepy Nutsのラジオを年間ベストに挙げたりしてましたよね。
D そう、そう、そう。あいつが……。
R 何の番組に上げてくれたんやっけ?
D (フジテレビのウェブ専門ニュースチャンネル「ホウドウキョク」で配信されていた)「真夜中のニャーゴ」。
R そうや、「ニャーゴ」や。
D そこで、加藤千恵さんが水曜にメインパーソナリティをやられてて、朝井リョウがたまに来てて。年末に加藤千恵さんと朝井リョウでお互いのベストラジオを挙げるっていう企画があって、お互いがオードリーを挙げたりとかしてる中で、朝井リョウの1位が「Creepy NutsのオールナイトニッポンR」で。加藤千恵さんが「何それ、知らない」とか言って。そこで、「“悩む”相談室」の話も全部してくれて。その時はまだ面識なかったですけど、俺はめっちゃ嬉しかったですよ。
R 俺もめっちゃ嬉しかったですね。そもそも俺は朝井さんと加藤千恵さんのラジオを知らない状態で、松永さんと出会って。松永さんちにずっと泊まったりしてる時に、「映画『桐島、部活やめるってよ』、やばすぎるから観ようぜ」って言って、一緒に観たりして。
D そう。昔から『桐島』の話を二人でしてて。朝井リョウが俺らのラジオを紹介する前から、二人で4回ぐらい、『桐島』を観たね。
R 観た。めっちゃ観た。
D で、「ヒップホップだったら、あいつが桐島だよ」なんて言ってて。「俺ら、映画部だな」みたいな。
R 言ってた、言ってた。
D 言ってたよね。BACHLOGICが桐島だよな、みたいな。
R 今もですけど、当時なんか特に日本のヒップホップの屋台骨やったから。今、BACHLOGICさんがおらんくなったら、『桐島、部活やめるってよ』の状況になるよなって。
D なる、なる。
R ラッパー同士もめだして、右往左往して……。俺らは接点もないし、関係ないとこの隅っこで、わいわいやってる映画部みたいな感じやわな、みたいな。
D 俺らと人間性が全く別で、からっとしてて、誰とでも仲よくなれる、かつマッチョなタイプのラッパーの先輩に、『桐島』の感想を求めたら、「あれ、めちゃくちゃつまんねえよな」って言われて。
R くそ、分かってくれへんか。
D やっぱりね、学校での立ち位置とか、ポジションの機微に敏感で、苦しめられた人間ほど、くらうんよね。
R 逆に、梅田サイファーのKZは引きこもってた時期があって。映画部よりさらに、もっと学校と関係ない。だから、KZさんに見しても、「全然分からんかった」みたいになって。
D 分かんないんだよね。でも、学校へ行ってるやつには分かるんだよ。
R そやねんな。
D で、ネットで「トレンチコートマフィア」と『桐島』のMADが上がってて。朝井リョウは、それも見てたらしくて、同時多発的に俺らに触れる機会があって、点と点が線になって、俺らをポンと認識したって言ってましたね。
※この続きは本書をご覧ください!
◇ ◇ ◇
連載はこちら↓
HIPHOPとラジオ Creepy Nutsのオールナイトニッポン読本 Creepy Nuts
