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表沙汰には絶対できない…総務部長が活躍する、金融業界が舞台の痛快小説 #5 メガバンク絶体絶命

破綻の危機を乗り越え、総務部長に昇進した二瓶正平。副頭取の不倫スキャンダル、金融庁からの圧力、中国ファンドによる敵対的買収。真面目なだけが取り柄の男は、銀行、仲間、そして家族を守ることができるのか……。金融業界を舞台にした波多野聖さんのエンターテインメント小説、シリーズ第二弾となる『メガバンク絶体絶命――総務部長・二瓶正平』は、前作を超える痛快なストーリーで一気読み必至。ためしにその冒頭をご覧ください。

*  *  *

日銀考査が始まった。

開始の際の経営陣と主任考査官との顔合わせには、TEFG全役員が揃っていた。

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副頭取の佐久間均も何事もなかったかのようにその場に立ち会った。

佐久間の頭の中には、ある数字だけが繰り返されていた。

「一億、一億……」

弓川咲子への示談金だ。これで保有する金融資産はほぼ全て失われる。

ただ、妻の瑛子に二瓶総務部長が「日銀考査の関係で大阪支店でトラブルが起き、急遽出張してもらわなくてはならなくなった」と連絡してくれたお陰で夫婦間に問題は起きなかった。

ヘイジは日銀考査の対応に忙殺されていた。

(この日常を守るのにあんな取り繕いをしなければいけないとは……)

悔しくて仕方なかった。

佐久間均副頭取の幻の刑事事件を知っているのは、四万人の行員中、僅かに七人。

佐久間本人、弓川咲子、専属弁護士、顧問の二階堂、運転手の内山、そしてこの自分のみだ。頭取の大浦には報告していた。

二週間の日銀考査が終わった翌日、弓川咲子が総務部に復帰した。

「おはようございます。皆さん、大変でしたね」

妙に明るい声だったが、ヘイジは返事をせず、PCのディスプレーから目を外すことさえしなかった。

第二章 相場師再始動

桂光義が前職場の総務部長、二瓶正平を自分のオフィスに迎え入れたのは日銀考査終了の翌週、十二月最初の金曜の夜だった。

東西帝都EFG銀行本店から歩いて五分、丸の内仲通りに面したビルの五階にそれを構える。

フェニックス・アセット・マネジメント。

TEFGの前頭取たる桂が設立した投資顧問会社だ。

米国オメガ・ファンドによる乗っ取りからTEFGを守った功労者として頭取に昇格した桂だったが、「頭取をやるのはTEFGの経営が安全圏に入るまで」と強く主張し続け、半年後に増資を成功させると辞意を表明した。増資においてはスピードが優先される。思うところはあったが、帝都グループへの第三者割当で賄った。

その年の五月、「一ディーラーに戻る」という言葉を残して桂はTEFGを去った。同時に一連の騒動の区切りをつけるとして会長であった西郷洋輔も退いた。

桂はその後、自らの投資顧問会社の設立に動き、九月から営業を始めていた。

内外の機関投資家から運用の依頼が殺到したが、「小さく生んで大きく育てたい」と返答し、桂自身が信頼に足ると考える顧客を厳選しようと慎重に動いていた。

「客を選ぶというと偉そうに聞こえるかもしれないが、投資顧問の成功は顧客の質によるのが絶対的な事実だ。こちらの方針を十二分に理解してもらい、長期で預けてくれる先に絞る」

そう考える桂が選ぼうと考える客のほとんどは、海外の顧客だった。アメリカ、イギリス、そして中東諸国。投資や資産運用に歴史を持ち、優れた運用者に深い理解を示す個人投資家や機関投資家が多い国々だ。

厳選したとはいえ、入金予定の総額は一千億円を超えている。

運用スタッフは桂を含め六人のみ。

為替担当が桂ともう一人、株の運用が二人、債券運用に二人、桂以外は全員が三十代でコンピューターによる分析を行う数学や物理、そしてプログラミングの専門家だ。五人のうち三人は米国の博士号を持っている。

「勘と度胸で運用するのは俺一人で十分。ITを使った情報分析と投資判断の結果の方が人間を上回る時代だ。最終的にはAIによる運用が世界を席巻するだろう」

桂はそう確信していた。

フェニックス・アセット・マネジメントのオフィスは狭くも広くもない百五十平米、その半分はサーバーで占められている。

ヘイジがオフィスのインターホンを押すと、アシスタントの女性に出迎えられた。

そのままミーティングルームに案内されるとすぐに桂が現れた。

「二瓶君、久しぶりだな。よく来てくれた」

そう言って笑顔の桂は右手を差し出す。ヘイジは握手をしながら言った。

「申し訳ありませんでした。色々と忙しくて。目と鼻の先にいながら、なかなか伺えませんでした」

「本店総務部長の仕事がいかに大変かはよく分かっている。今日、君から電話を貰って嬉しかったよ。何か旨いものでも食いに行こう」

「はい。ありがとうございます」

頭を下げてから申し訳ない気持ちになって言った。

「せっかく桂さんにこちらに来ないかとお誘い頂いたのに、お断りしてしまって。それで敷居が高かったのが本音なんです」

桂は笑ってくれた。

「しょうがないさ。大組織を辞めるのは簡単なことじゃない。俺だって頭取になって初めて決断できたんだからな」

そう語る桂が羨ましかった。

「桂さんのようにどこへ行っても通用する能力があれば別ですが、僕なんかとてもとても……」

「いや、君には凄い能力がある。それが分かっているからこそ、誘ったんだ。まだ君を諦めたわけじゃないぞ。もっと会社を大きくするからそうなったら必ず来てくれ」

心からそう言ってくれているのが分かって胸が熱くなった。本心では桂の誘いに応じたかったのだ。

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しかし、それが出来なかった理由は妻、舞衣子の病気だった。

舞衣子のパニック障害は長引いており、その後も発作を繰り返している。それだけではなく、過食と拒食を繰り返すようにもなっていた。病院で治療は受けているが一進一退の状態だ。そんな妻に銀行を辞めると言いだせば不安が募り、病状が悪化するのは目に見えている。そんな話は伏せて、ヘイジは桂の誘いを辞謝したのだった。

日銀考査で残業の連続となることから、舞衣子を横浜の実家に帰らせていた。やっとこの週末に迎えにゆける予定になっている。

弓川咲子の一件でつくづく銀行員であることが嫌になった。

(桂さんに従っていたら、こんな経験はしなくてすんだかもしれない……)

そんな風にも考えてしまう。組織にとって都合の悪いことは絶対に表沙汰にしてはならない。徹底的に隠蔽しなくてはならない。総務部長という立場はその為だけに存在しているかのように思えてしまうのだ。

当事者である咲子は平気な顔をして職場でのさばっている。相変わらず仕事は雑で、指摘されると露骨に不満な顔をしたり逆ギレしたりする。最近では同僚から注意を受けると、「二瓶部長はこれでいいと言ってました」「二瓶部長はそんなこと言いませんけど」などと虚偽の言葉を繰り返し、部長の急所を握っているとばかりの態度を露骨にする。そのせいで部の人間たちのヘイジに対する視線さえ、いささかおかしなものになってきていた。

「旨い肉をご馳走するよ。行こう!」

ヘイジの肩を、事情を知らない桂が叩いた。

桂とヘイジは銀座並木通り沿いのビル内にある鉄板焼きの名店、山全のカウンター席に並んで座った。松阪のチャンピオン牛を毎年一頭買いすることで知られた店だ。

「銀座で高級鉄板焼き、ワクワクします」

「ここは凄いワインも揃えているが、ハウスワインでいいよな? 味は保証するよ」

「はい。私はそもそも高級ワインの味なんて分からないですから」

そう言って笑い返した。

ワイングラスが何故か三つ用意されてきた。

妙に思っていたところ、隣に着物姿の女性が座った。

「お久しぶり……お元気?」

そう言ってヘイジの顔を覗き込む。

「珠季!」

湯川珠季。高校時代の同級生でかつて恋人でもあった女性だ。

現在は銀座のクラブ『環』のママで、桂光義と長く交際している。

「せっかくだからテレサも呼んだんだ。迷惑だったかな?」

「迷惑なんて失礼ね、桂ちゃんは」

桂は珠季のことをテレサと呼んでいる。カラオケの十八番がテレサ・テンであることからそう呼ぶようになったと聞く。

元上司とかつての恋人に挟まれた格好で乾杯となった。

「何に乾杯しましょうか? 東西帝都EFG銀行本店総務部長の二瓶さんの益々の御出世にする?」

「やめてくれよ」

ヘイジは苦い顔をした。

「じゃあ、桂さんの健康に?」

「なんだか、お前は爺だって言われてるみたいで嫌だな」

桂も渋い表情になり三人で笑った。

「では、三人の幸せに!」

「それがいい。乾杯!」

ヘイジは心の底から嬉しかった。嫌な思いをずっと抱えて鬱々としていたのが晴れ渡るように思えた。

鉄板焼きはすこぶる美味かった。

京菜のサラダに清涼感を味わい、鮑のステーキやフォアグラのソテーに感動し、箸休めで出た雲丹のフランでは舌が蕩けるように思えた。メインの厚切りのヒレステーキと薄切りロース肉で牛肉の美味しさの違いを堪能した。

締めに選んだ梅とじゃこの焼飯は大葉や炒り胡麻も入ったサッパリした味わいで、お替りまでして大満足のうちに食事を終えた。

その後、桂はヘイジを連れて珠季の店『環』で飲むことになった。

水割りを作りながら珠季はヘイジに訊ねる。

「奥さまは如何? 体調は良くなられた?」

「いやぁ……簡単にはいかない病気でね。実は一進一退なんだ。このひと月近く横浜の実家に帰してたんだけど、明後日、迎えに行く。向こうのお母さんもウチのマンションに来てしばらく一緒にいることになる」

「そう……」

珠季は心配そうな顔をしている。

話を全て聞いて桂が口を開いた。

「総務の仕事は残業残業の連続だからな。家庭生活を保つのは大変な筈だよ」

ヘイジはその言葉に素直に頷いた。

「えぇ、銀行員なんて……嫌になります」

その時の表情を桂は見逃さなかった。

(この男……仕事で何か大きな問題を抱えているな)

きょう再会した時からずっと、これまで感じたことのない暗いものをまとっている気がしていたのだ。家庭問題のみならず、銀行でも大変な案件を預かっているのだろうと想像した。

「二瓶君、飲もう。何も考えず飲もう。今日は俺もそんな気分だ」

「あら? 桂ちゃん、相場で負けたの?」

「そうじゃないよ。男にはそんな気分の時があるんだ」

「困るのよねぇ。私のお金も桂ちゃんに預けてるんだから、運用に失敗されたら」

桂は頭を下げながら言った。

「お客様には勝てません。あれ? ここでは俺が客だぞ!」

三人で笑い合った。

桂はこの時、ヘイジの抱えた暗い想いが自分に大きく関わって来ることになるとは夢にも思っていなかった。

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『メガバンク絶体絶命』波多野聖

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