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甘美な罠にかけられて…総務部長が活躍する、金融業界が舞台の痛快小説 #1 メガバンク絶体絶命

破綻の危機を乗り越え、総務部長に昇進した二瓶正平。副頭取の不倫スキャンダル、金融庁からの圧力、中国ファンドによる敵対的買収。真面目なだけが取り柄の男は、銀行、仲間、そして家族を守ることができるのか……。金融業界を舞台にした波多野聖さんのエンターテインメント小説、シリーズ第二弾となる『メガバンク絶体絶命――総務部長・二瓶正平』は、前作を超える痛快なストーリーで一気読み必至。ためしにその冒頭をご覧ください。

*  *  *

第一章 甘美な罠

秋も深まった十一月初め。

東京に木枯らし一号となる冷たい風が強く吹いた金曜の夜は更け、日付が変わろうとしていた。

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文京区、根津神社の裏手にひっそりと佇む瀟洒な五階建てマンション。そのすぐそばに、いつものように黒塗りのレクサスが停まっていた。エンジンをかけたまま、二時間近く待機している。

「今夜も午前さまか……」

内山作治はダッシュボードの時計を見て、ため息をついた。

東西帝都EFG銀行(TEFG)役員専用車の運転手を務める内山は勤続二十五年のベテランだ。

仕事の不満や愚痴は口にせず、顔や態度に決して出さないことを矜持としている。

今年の春に副頭取となった佐久間均が専務時代から運転手を担当、その付き合いは三年近くに及ぶ。

佐久間が副頭取に昇格すると聞いた日、全身から力が抜けた。

「まだあれに付き合わなきゃいけないのか……」

あれとはまさに今のこの状況のことだ。

役員付運転手という仕事にはプロとしての誇りと気概を持って取り組んで来た。

バブル崩壊後、減ったとはいえ、銀行役員の夜の接待は少なくない。接待する側、される側、役柄は変わりながら、年末などは週三、四回ということもある。

運転手は担当役員の接待が終わるのを料亭やクラブのそばで何時間でも待ち、酔い疲れて戻ってくる役員を自宅まで送り届ける。そして、朝七時半にはまた磨き上げた専用車で迎えに行くのだ。二十五年の間、内山は無遅刻無欠勤、一度たりとも不満を言わせたことはない。

接待があると睡眠時間は数時間に削られてしまう。それでも内山は、自分自身の大変さよりも役員の体調を気遣った。

(役員は接待を楽しんでいるのではない。接待は重要な職務だ)

役員に寄り添い慈しむ気持ちで運転手としての役目を果たしてきた。

「しかし……」その内山が思うのだ。今の状況はやりきれない。

運転手はその業務の報告として運転日誌をつける。日誌の内容を改竄しろと指示した初めての人間が専務時代の佐久間だった。

内山が待つ佐久間は今、マンションの一室にいる。

そこに住んでいるのは、東西帝都EFG銀行本店総務部に勤める弓川咲子三十五歳。佐久間とは十年近く不倫関係にあるが、驚くことに大手商社に勤務する夫がいる。佐久間は五年前の結婚披露宴に主賓として招待された。咲子の夫は二年前ロンドンに転勤となり、単身赴任している。

佐久間は週に二回、多いと週三回、咲子のマンションを訪ねていた。週末になるとゴルフと称して自宅を出る。その度、内山は運転手としてかり出されることになるのだ。

運転日誌には、彼が適当に口にする会社や役所の名前を記入させられた。

副頭取となって本当の接待の回数が増えた上にこの状況だ。情事を終えた佐久間を吉祥寺の自宅まで送り届け、板橋の自分のアパートに戻ると午前二時近くになる。

接待のために時間が削られるのは仕事として割り切れるが、こんな形で日々の時間が失われると、さすがに気力、体力が萎えていく。

「英雄、色を好むだ! 内山くん、だから僕は出世出来たんだ!」

いけしゃあしゃあと後部座席で嘯く佐久間に、ハンドルを握りながら苦い顔で黙っているしかなかった。

吝嗇家の佐久間は、大変な苦労をかけている内山に一本三千円のネクタイを盆暮れに「気持ち」と言って渡すだけだった。普通の役員は接待の場で貰った土産を運転手に譲ったりするのだが、佐久間はそんなことはしない。

咲子との情事にホテルを使わないのも、吝嗇ゆえだった。

時計の針が十二時を回った。

パトカーのサイレンが近づいて来る。

(事故でもあったのか?)

そんなことを思っている間に、二台のパトカーと救急車が佐久間のいるマンションの前に停まった。

五人の警察官と救急隊員が急いで中に入っていく。

その様子に驚いた内山はクルマを降り、エントランス前で様子をうかがった。野次馬が集まって来る。

十分ほどして警官たちが出て来た。

内山は仰天した。二人の警官に身体を挟まれ、手錠を掛けられて佐久間が出て来たからだ。その後ろに救急隊員に支えられた弓川咲子がいる。細面で男好きのする整った顔立ち、小柄ながら肉感的な姿態の女性だ。怪我を負ったのかタオルで左腕を押えている。

「ふ、副頭取……」

呆気に取られているうちに佐久間を乗せたパトカーは、サイレンを鳴らしながら走り去っていった。そして、咲子も救急車で行った。

(た、大変だ! どうする? どうすればいい?)

混乱する頭の中で、ある男の顔が浮かんだ。震える指で携帯の画面を押した。

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丸の内に聳える三十五階建ての東西帝都EFG銀行本店ビル。

このところ連日、不夜城のようにほとんどのフロアーに灯りが点っていた。日銀考査が来週から始まるためだ。リテール、法人、国際、市場部門の管理職は全員、終電まで残業を続けていた。

メガバンクであるTEFG、その誕生の経緯からは日本経済の栄枯盛衰が見て取れる。

明治の御世から日本の産業界に君臨し続ける帝都グループ。

その扇の要、帝都銀行は、外国為替専門の国策銀行という出自を持つ東西銀行とバブル崩壊後に合併、大小二つの都市銀行がひとつとなり、東西帝都銀行が生まれた。総合的大銀行の強みと外国為替の高い専門性を併せ持つ“理想の銀行”と評された。

そこには巨大銀行を創りたいという金融当局の思惑があった。

帝都銀行は元々、他の都市銀行に比べると積極性に欠け、“お公家さん集団”と揶揄されていた。しかし、そんな行風が幸いし八〇年代のバブル期に過剰融資に走らずにいた。バブル崩壊後の不良債権額は他行に比べて圧倒的に少なく、東西帝都銀行は期せずして“健全銀行”となった。

その一方で他行の破綻は相次ぎ、社会的混乱を招いた。「銀行は絶対潰れない」という戦後日本経済の神話はバブル崩壊によって消失したのだ。

金融当局は混乱を抑える必要性から、不良債権を抱えた“問題銀行”を“健全銀行”に吸収させるための指導を迫られた。

数ある都市銀行の中で“問題銀行”とされたのが、関西系の大栄銀行と中部圏を地盤とする名京銀行だった。当局はまずその二つを合併させ、EFG銀行(Eternal Financial Group)を誕生させた後、東西帝都銀行にEFGを吸収合併させた。

こうして誕生したのが日本最大のメガバンク、東西帝都EFG銀行だったのだ。

大に小を、強に弱を呑み込ませるという形で生まれた合併銀行の内部に誕生したのは……出身銀行によるヒエラルキーだ。

「帝都に非ずんば人に非ず」

TEFGでは帝都銀行出身者が圧倒的支配を強めた。

ここで、大きな問題が起こる。

五兆円の超長期国債の購入直後に国債市場が暴落、TEFGは巨額の損失を抱えたことで破綻寸前に追い込まれ、国有化の危機を迎えたのだ。

瀕死の状態となったメガバンクを巡って米国の巨大ヘッジ・ファンドが乗っ取りを画策、株の争奪戦に発展したが辛くも虎口を脱した。

その危機回避に尽力したのが東西銀行出身で当時の専務、桂光義だった。

桂はその後、頭取となったが、僅か一年でTEFGを去る。もともと為替ディーラーで相場師としての資質の強い彼は頭取の仕事に馴染めず、相場に集中したいと退職、自らの投資顧問会社を設立したのだ。

専務時代の桂に協力してTEFGを乗っ取りから守った功労者が、総務部・部長代理の二瓶正平だった。

学生時代の友人からはヘイジと呼ばれている。瓶と平、ヘイの二乗でヘイジという意味だ。

ヘイジは名京銀行出身者で、TEFGの中では“最下層”“絶滅危惧種”などと揶揄されながら、したたかに生き抜き、今ではTEFG本店の総務部長となっていた。

そのヘイジは日銀考査への準備に大忙しだった。

総務部長として本店の考査対応で総括的指揮をとる立場にある。各部門の考査担当責任者と頻繁に電話やメールでやり取りをしながら、様々なスケジュールを確認していくのだ。

(何度やっても、気が重いな)

名京、EFG、そしてTEFGとそれぞれの銀行で当局の検査や考査を嫌というほど経験してきているが……いい思い出など一つもない。ただただ大きな問題なく過ぎ去ってくれることを祈る気持ちだけだ。

銀行という組織は典型的な減点主義。何らかのマイナスがキャリアに記されると出世に響く。その意味で当局の検査での重大な指摘は致命傷になりかねない。だから皆、眦を決して対応準備をするのだ。

ヘイジもそんな銀行員のひとりではあるが、どこか達観して見える。それが魅力だと言う友人もいた。

「今日も終電か……」

バブル崩壊までは残業しても経費でタクシーの使えた銀行員だが、現在は自腹になっている。

「そろそろ切り上げるか」

終電まであと十五分だった。

その時、仕事用の携帯が鳴った。

「もしもし」

ヘイジはその電話で知らされた事実に驚愕した。

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『メガバンク絶体絶命』波多野聖

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