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それは夕焼けが作った錯覚…泣けるラブ・ミステリー #4 はじめましてを、もう一度。

「私と付き合ってください、君に死んで欲しくないから」。高校二年の北原恭介は、クラスの人気者・佑那から突然、告白された。夢のお告げでは、断ったら「死んじゃう」らしい。思いがけず始まった、謎だらけの関係。その裏には、彼女が言えずに抱えている重大な秘密があった……。若い世代から圧倒的支持を誇る、喜多喜久さんの『はじめましてを、もう一度。』。ラストに向かって涙が止まらない、本作のためし読みをお届けします。

*  *  *

「みんなで勉強してたら、北原くんの名前が時々話題に出るよ。どうやったら、あんなに点数が取れるんだろうって」

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「別にほどほどでいいと思うよ。『毎日十時間勉強しなきゃ東大に入れないような生徒は、別の大学に行くべきだ』って意見もあるらしいし」

「それはなんで?」

「無理は長続きしないからだよ。人間は、背伸びし続けることはできないだろ」

「なるほど、それはごもっとも。でも、北原くんは休み時間も問題解いてるじゃない。それは無理な努力じゃないの?」

「別に。無駄な時間を作りたくないだけだから」

「――あ、えっ、ごめん」

座ったばかりなのに、牧野が慌てた様子で立ち上がった。

「どうしたんだよ」

「いや、私と話してる時間ってすっごい無駄なんじゃないかって思って。っていうか、問題を解いてる最中だったね。ごめん」

「……いや、別に気を遣わなくていいから」と俺は言った。

牧野の親しげな口調や大げさな動きに、俺は戸惑っていた。二回しか話したことのない相手とこんなに打ち解けられる人間がいるのか、という驚きがあった。

「ストイックだよね、北原くんって。一人でいる時間が長いし」

「長いね、確かに」

「同級生が、『勉強を教えて~』って来たりしない?」

「一年の頃は少しあったかな。でも、すぐに誰も来なくなったよ」と俺は正直に言った。人に教えるのは得意じゃないし、俺の役目でもない。だから、質問に来た連中は適当にあしらうようにしていた。その結果が現状というわけだ。

「もったいないね。勉強のノウハウが他の人に伝わらないのって」牧野は悲しげに呟いた。「なんか、北原くんの優秀さがちゃんと分かってもらえてない気がする」

「いいよ、別に他人に認めてもらわなくたって。俺は自分が納得できるレベルに到達できれば、それで満足だから」

問題文に目を落としながらそう答えると、牧野が急に黙り込んだ。

どうしたのだろうと思い、俺は顔を上げた。

オレンジ色の光が差し込む中、牧野はスカートの裾をぎゅっと握り、俺を見ていた。

こちらに向けられたその大きな瞳を見て、俺は息を呑んだ。彼女の目は明らかに潤んでいた。

「……あー、辛い辛い」牧野は苦笑しながら腕で目をこすった。「ちょうど今年から、花粉症の症状が出始めちゃってさあ」

「ああ、そうなんだ……」

「――あ、いたいた」

開きっぱなしだった出入口から、見知らぬ女子がひょっこり顔を覗かせた。小柄で童顔で、どことなくテディベアに似ている。

「何してたのよお」と言いながら、子熊的女子が教室に入ってきた。

「ごめん、見つけるのに手間取っちゃって」と牧野が参考書を彼女に渡す。そこで、ぬいぐるみライクな彼女がこちらに目を向けた。

「あれ、そこにおわすは北原大先生じゃないですか!」

彼女が大げさにのけぞる。ずっと見えてただろ、と俺は心の中で突っ込んだ。

「ちょっと佑那さーん。あなた、ひょっとして、一人だけ抜け駆けして勉強を教わってたんじゃないよねえ?」

「違うよ。ねえ、北原くん」

「……ああ」と俺は頷いた。牧野はいつもの笑顔に戻っていて、涙の気配はもうどこにもなかった。

「一応、紹介しておくね。私の友達の、草間志桜里。クラスは一組」

「一応ってなによ、一応って。正式に、でしょうよ」牧野の脇腹をつつき、「草間でーす、以後お見知りおきを」と草間は崩れた敬礼をしてみせた。

初対面の相手にここまでおちゃらけられることに感心する。さすがは牧野の友人といったところか。

「そんじゃあ、北原大先生への挨拶も済んだし、図書館に戻ろうか」

「あ、うん。じゃあね、北原くん」

草間に追い立てられ、牧野が教室を出て行く。その横顔はどことなく名残惜しそうに見えた。

たぶん、夕焼けが作った錯覚だろうな、と俺は思った。

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その日の夜。食事と風呂を済ませ、俺は午後九時前に自室に入った。

家ではあまり勉強はしない。ここからは趣味の時間だ。だが、一時間ほどプログラムの修正に取り組んだものの、相変わらずのエラー祭りだった。

モニターを見ていると猛烈な眠気が襲ってきた。改良の妙案もなかったので、俺はさっさと見切りをつけ、午後十一時過ぎにベッドに潜り込んだ。

目を閉じると、今日の放課後の出来事が思い浮かんできた。

教室に牧野が来て、少し会話を交わして、草間が来て、二人で去っていく。俺はその一連の流れをぼんやりと反芻していた。

現実から夢への移行は、不連続だった。

ふと気づくと、俺は広い座敷の隅に座っていた。まるで見覚えのない場所だったが、正面にある祭壇や壁や天井の様子から、寺の本堂だろうと推測した。

俺はこれが夢であることに気づいていた。辺りには、漆黒の喪服に身を包んだ人々が神妙な面持ちで座っている。室内は蒸し暑く、線香の匂いが感じられる。たぶん、季節は夏だ。

袈裟を着た坊主が念仏を唱えている。座敷の前の方には、大量の花を盛って作った籠がいくつも置いてあった。法事ではなく葬式らしいな、と思い至った瞬間、祭壇に飾られた遺影が目に飛び込んできた。

黒縁の額の中に、牧野がいた。

屈託のない、あの笑顔がそこにあった。

参列者の中から、すすり泣く声が上がっていた。俺の斜め前で涙を流しているのは、草間志桜里だった。他にも、何人かクラスメイトの顔がある。

何が起きているのか分からずに座敷内を見回していると、誰かが「それでは焼香を」と言った。

前方にいた人がのっそりと腰を上げ、順に祭壇へと向かい始める。

焼香、焼香……どうやってやるんだっけ……?

母方の祖父の葬式を思い出そうとしたが、あれは十年以上前のことだ。小さかった俺は焼香なんてしていなかったことに気づく。

そうこうするうちに、俺の順番が回ってきてしまう。

仕方なく立ち上がり、他の参列者たちにならって、祭壇の前で振り返って頭を下げた。

祭壇に向き直る。光の加減で、牧野の遺影はよく見えない。

木製の横長の机に、木片の入った器と、灰の詰まった容器が並べられている。灰入りの器の方で、木片がぶすぶすと燃えながら煙を上げていた。木片をこちらに入れればいいらしい。

俺は祭壇に向かって一礼し、容器に手を伸ばした。視界に入り込んできた自分の手は、痙攣でも起こしているみたいにふるふると小刻みに震えていた。

揺れまくる親指と人差し指で、なんとか木片をつまむ。慎重に隣の容器に移そうとしたが、力がうまく入らず、ぽろぽろと机の上にこぼしてしまう。

ああ、まずい。ミスったぞ……。

動揺しながらそれを拾おうとしたところで――。

目が覚めた。

俺は自分の部屋にいた。人いきれや焼香の匂いは消え、ひんやりとした春の夜の空気が部屋を満たしていた。

首をひねって、枕元の時計に目をやる。ベッドに入ってから、まだ二十分ほどしか経っていなかった。夢を見ていたのは、ごく短い時間のことだったらしい。

俺は横になったまま、大きく息を吐き出した。額に触れてみると、少し汗ばんでいた。

あそこまでリアルな夢を見たのは、生まれて初めてだった。目を閉じるだけで、自然とあの座敷に戻れる気さえする。

それにしても、葬式とは……。

「縁起でもないな……」

俺は首を振り、ベッドを降りて部屋を出た。

テレビでも見て気分転換をしてから寝ないと、また同じ夢を見そうな気がして仕方がなかった。

2887【2017.5.15(月)】

その日は朝から、少し教室の空気が変だった。誰もがどことなくそわそわしているように見えた。

小さな異変の理由は分かっていた。連休明けに行われた模試の結果が返ってくるのでは、と緊張しているのだ。

生徒たちの落ち着きのなさを見かねたわけではないだろうが、その日の授業が終わったあとで、テストの結果が返ってきた。

今回の点数は、まずまずだ。校内では一位、受験者全体では二万八千人中の三位だった。大丈夫だろうと思っていた問題はほぼ正解していたし、解答に迷いがあった問題の正答率は七割ほどだった。

テスト返却のあと、クラスメイトたちは互いに結果を見せ合ったり、見ていられないほどずーんと落ち込んだり、あるいはこの世の春とばかりに笑みを浮かべていたが、三十分もすると教室に残っているのは俺だけになった。

さて、そろそろ集中して問題集に取り掛かるか。そう思った時、「お、いたいた」と教室に入ってきた男がいた。高谷だった。

高谷はいそいそと俺のところに駆け寄ると、「今回のテスト、何点だ?」といきなり質問をぶつけてきた。もちろん、訊いているのは化学の点数だ。

「百点だけど」

「マジか! ちくしょう! また負けた……」

高谷が俺の机に拳を打ち付ける。かなり痛そうな音がした。俺なら涙目になること請け合いだ。

「残念だったな。早く帰って勉強したら」

冷たく言って、シャープペンシルを手に取る。すると、「勝手に数学を始めんな!」と高谷に問題集を取られてしまった。

「なんだよ、返せよ」

「俺は九十八点だった。記述式の問題で減点されたんだよ。お前の解答を見せろ。何か、えこひいき的な力が働いた可能性がある」

「……好きにしろよ。ほら」

化学の答案用紙を渡すと、高谷は顔を近づけてじっくり俺の解答を読み始めた。

「相変わらず字が汚いな。めちゃくちゃ読みにくい。これは減点されるべきだろう」

「いいよ、別に一点や二点引かれたって。答えは合ってるし」

字が汚いのは昔からだ。綺麗に書く時間があれば、その分を思考に回したい。要は読めればいいのだ、読めれば。

高谷は俺の答案を睨みつけていたが、やがて顔を上げ、「直すところがない……」と心底悔しそうに言った。

「納得したか? じゃ、さっさと出て行ってくれないか」

「なんだよ、冷たいぞ」

「冷たくない。いつも通りだ。ほれ、早く」

俺は椅子から腰を浮かせ、高谷の体をぐいっと押した。すると高谷が「暴力反対だ」とかなんとか言いながら押し返してくる。そうして押したり引いたりを繰り返していたので、俺は教室に牧野が入ってきたことに気づかなかった。

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『はじめましてを、もう一度。』喜多喜久

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