恋する殺人者 #4
高文は、テーブルに並んだ品々の中の一つを指さす。お守りみたいな、小さな布の巾着袋だ。細い棒のような取っ手部分が、袋の口から突き出している。
「女の子の持ち物、じろじろ見ないの。高文ってばデリカシーはどこに置いてきたのよ」
と、不満げに顔を上げると来宮は、
「ああ、これね」
巾着袋を手に取ると、赤い柄をつまんで袋から引っぱり出す。
「ほい、手鏡でした」
と、楽しそうに笑った。
なるほど、五百円玉をふた回りほど大きくしたくらいの、小さな円形の鏡だった。
「ちっちゃくてかわいいでしょ。便利なんだよ、小回り利くし、ちょっと前髪直したりするのにどこでも使えるんだ。京都よーじや特製、通販で買っても六百円のお買い得品」
手鏡をくるくる回して、来宮は自慢そうに云う。
「ふーん、そっちは?」
と、高文は、もう一つ気になっていた物を示した。紫色の、名刺入れのような物だ。
「どう見ても名刺入れでしょうが」
と、来宮はそれを手に取って、一枚引き抜き差し出してくる。わざと作った澄まし顔で、
「はい、どうぞ。わたくし、こういう者でございますの」
受け取ると、本当に名刺だった。横書きで、来宮美咲と名前。そして電話番号とメールアドレスが印刷されている。名前の下に、薄墨でさっと刷いたような和風のライン。シンプルだがデザインがやけに凝っている。新進気鋭のデザイナーの名刺みたいに洒落ている。しかし問題は、果たしてフリーターに名刺など必要になる場面があるのだろうか、という点である。
その疑問を率直に口に出してみると、
「要るよ、色々なシチュエーションで。高文こそ大学生なのに、名刺持ってないの。遅れてる」
と、来宮は呆れたように見てくる。いや、そんな哀れんだみたいに見られることか、これは。と思いつつ高文は、
「もうしまいなよ、散らかさないで。のど飴はいいから」
「うん」
来宮は素直に従って、テーブルの上の品々を片付け始める。魔法のようにバッグの中に納まっていく大量の荷物。大きめのバッグだが、よくこれだけの物が収納できるものだと感心する。
「とりあえず、きみが相変わらず整頓が苦手なのは判った」
「整頓なんかできなくてもいいよ、女の子はかわいければ」
よく判らない開き直りかたをして来宮は、すべてを納めたバッグを傍らに置き直す。この半年くらいずっと同じバッグなので、以前、高文は聞いてみたことがある。
「普通、女子ってバッグをいくつも持ってたりしないものかな、TPOに応じて使い分けたりとか」
すると来宮は肩をすくめて、
「あのね、高文みたいに何でもかんでもポケットに詰め込んでいつも手ぶらの無粋な男子には判らないかもしれないけど、女にとってバッグは自分の戦闘力を誇示するためのアイコンなの。判る? あの子いいバッグ持ってるからお金持ちの彼氏でもいるのかしら、とか、流行りのバッグをいち早く取り入れてるあの子はファッションアンテナ鋭いなあ、とか、常に誰かの品定めの目に晒されるものなのよ。いつでも周囲から勝負を仕掛けられてる状態。そんな熾烈な女子のマウント合戦の中で、貧乏フリーターの私が勝負できる唯一のカードがこれ。使い勝手がいいだけじゃなくて戦闘力が高いの。見る人が見れば、おおこの小娘なかなかやるな、と思われるバッグ。お値段もそれなりにしたんだから。私、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったんだよ。何といってもホニャララのバッグなんだから」
鼻息荒く、来宮は胸を張ったものだった。ホニャララの部分は高文が聞き取れなかっただけで、何やら舌を嚙みそうなイタリアの固有名詞と思われるブランドらしい。
そのブランドバッグを傍らに来宮は、左手に焼き鳥の串、右手にビールのジョッキを持つと、口調を改めて、
「ねえ、高文、生者必滅会者定離、知ってるでしょ」
「えーと、『平家物語』だっけ?」
突然の話題の転換に、高文はあやふやに答える。文系科目は得意ではない。来宮はビールを一口呑んで、
「とにかく人はね、いつ別々になるか判らないってこと。それがどんな別れになるかは様々だけど、学校を卒業して別れ別れになることもあれば、死に別れることもあるわけよ。高校時代の同級生で、もう連絡取ってない人も、何人もいるでしょ」
「まあ、いるな」
高文はジョッキを傾けながら相づちを打つ。
「でね、離れ離れになったとしても、出会った思い出は消えないわけ。もう会えなくたって出会ったことは必然。こっちが相手のことを覚えていて、向こうも私のことを覚えていてくれるかもしれない。もし忘れられているとしても、覚えていてくれるかなって思うことが思い出に繋がってるわけよ。たとえ死に別れたとしてもこっちがいつまでも相手のことを覚えていること自体が、それで正解なわけ。自分が覚えているかどうかが肝心で、相手が亡くなっていたって思い出は一生持ち続けることができるんだから」
「あのさ、来宮」
「何?」
「きみ、何か良いこと云おうとして失敗したよね」
「それ、指摘するの失礼じゃないかな」
「失敗したよね」
「──ごめん。途中で何云おうとしてるか、まとまらなくなった」
「うん、いいけど」
「ホント、ごめん」
まあ、来宮なりに心配して気遣ってくれていることだけは伝わってきた。
来宮は突然、くるっと表情を明るく変えたと思ったら、
「あ、そうだ。高校時代といえばさ、あの頃高文、写真部だったよね」
唐突に話を変えてきた。高文は少し顔をしかめてしまい、
「変なこと覚えてるなあ。あれは僕の中で黒歴史になってるんだから、あんまり思い出させないでほしいんだけど」
「何しろ部員数三人で、暗いオリオン三連星って呼ばれてたもんね」
「だからもういいって」
「けど、私にとってはそれも大切な思い出の一つだよ」
と、来宮はなぜか夢見るような表情で、
「ねえ、高文、私達、いつ、どこで初めて会ったか覚えてる?」
「そりゃもちろん。高二の時、同じクラスになった」
「それだけ?」
「それだけ、だけど。何か不足?」
「不足とは云わないけど」
どうしてだか明らかに不満そうに、来宮はジョッキを口に運んだ。
◇ ◇ ◇