田中圭主演Huluドラマ原作!”犯人……だったと思います” #2 死神さん
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儀藤と若奈のために用意されたのは、二階にある書類倉庫の一角だった。副署長の指示で、段ボール箱の山となっていた場所を急遽(きゅうきょ)、空けたのだ。あるのは会議用のデスクと折り畳みの椅子が二脚だけで、冷暖房はなし。宙を舞う埃(ほこり)のせいで、息をするたび喉がひりひりする。
そんな環境だというのに、儀藤は実に満足そうに微笑んでいた。
「まあまあ、部屋を用意してもらえるだけ、ありがたいですよ」
無罪事件の再捜査を任務とする男が、警察署で歓迎されるはずもない。儀藤はあちこちで、冷遇されているのだろう。
若奈はハンカチを口に当てつつ、椅子に腰を下ろした。儀藤に多少の同情はするが、出てくるのは、ため息ばかりだ。
儀藤が言った。
「おやおや、落ちこんでいるようですね。なあに、心配いりません。すぐに戻れますよ」
「本気でそう思っているんですか?」
「は?」
「あなたに協力した警察官は、裏切り者として、二度と仲間の輪には加われない。噂では、そう聞いています」
「まあ、そういったことも少なからずあるようです」
「やっぱり……」
「ご心配なく、あなたに限って、そのようなことはないと、信じます」
一方的にそう言うと、儀藤は分厚いファイルを、会議用のデスクに置いた。細い四本の脚がミシミシと嫌な音をたてる。
「あなたは、この事件の際、捜査本部に参加していたのですね」
「参加と言っても、ほぼ雑用係でした。ただ、波多野百合恵氏が勾留されてからは……」
儀藤は太くて丸い指をぴんと立て、若奈の言葉を封じる。
「事件概要については、どの程度、知っていますか」
「全容は理解しているつもりです。波多野一氏が自宅近くの道で、ひき逃げに遭い死亡。当初は悪質な車両窃盗とひき逃げ事案と考えられていましたが、その後、妻百合恵……氏によるひき逃げを装った殺人との見方が浮上。百合恵氏の自供もあり、彼女は殺人の容疑で逮捕されました」
儀藤は満足げにうなずくと、ファイルをパラパラとめくり始める。
「一氏を轢(ひ)いた車は、友人から借りたものだったのですね」
「はい。自宅にある不用品の運搬のため、一氏が友人から借りたそうです。波多野夫妻の家は一戸建てでしたが駐車場はなく、車は家の前に路上駐車されていました」
「事件の起きた朝、その車に不審者が乗りこみ、走り去ろうとした。これは、百合恵氏の証言ですね」
「そうです。台所で洗い物をしていたら、表の車に男が乗りこむのが見えた。エンジンをかけたので、慌てて、居間でテレビを見ていた一氏に声をかけた。一氏は玄関から飛びだしたものの、間に合わず車両は逃走」
「一氏は車を追いかけたのですね」
「はい。波多野家周辺は新興の住宅地で、道は碁盤の目状になっています。ただ、まだ空き地のままであったり、フェンスに囲まれている場所が多数ありました。逃走した犯人は現在位置が判らなくなり、闇雲に走り回ったと思われます。そして、高速で道を進んでいるところに、波多野一氏が飛びだしてきた」
「具体的に言うと、どのあたりですか?」
「波多野家近くにある、十字路の真ん中でした」
「そんな場所ならば、目撃者もいたと思いますが」
「先にも言ったように、周辺は宅地造成中で、居住している家はごくわずかでした。現場は空き地に囲まれた人気のない場所です」
「なるほど。車は南方向に走り、波多野一氏は東側から通りに飛びだした……」
現場写真を見ていた儀藤の眉間に皺が寄る。
「波多野一氏が飛びだしたとされるこの道ですが、片側に工事車両が駐(と)まっていたのですね」
「はい。ダンプカーや工事会社のライトバンなどが二重駐車されていました」
「となると、道幅はかなり狭くなっていた……」
「ええ。左側は車両、右側はフェンスにはさまれており、人一人が何とか通れる程度だったようです」
「それにしても、汚い道ですねぇ。ゴミがいっぱいだ」
「そこに車両を駐めるのが常態化していたようです。作業員の休息スペースにもなっていたようで、吸い殻やペットボトルなどが散乱していて……」
若奈の声が耳に届いているのかいないのか、儀藤はじっと写真を見つめる。
「警部補、どうかされました?」
「いや……何でもありません。ここから飛びだした波多野一氏は、高速で突っこんできた車と衝突したのでしたね」
「はい。遺体は……写真で見ただけですが、無残なものでした。顔面陥没、全身骨折で……」
儀藤は遺体の検視写真のページを見て、顔を顰(しか)める。
「なるほど、これは酷い。ブレーキ痕(こん)などはあったのでしょうか」
「認められていません」
「飛びだしてきた一氏に、そのまま突っこんだ……か」
「その点はまず問題になりました。なぜ、窃盗犯はブレーキを踏まなかったのか……」
儀藤はさらにページをめくる。
「警察への通報は、おや、二件ありますね。一件目は百合恵氏によるもの。これは彼女自身の携帯から。もう一件は公衆電話ですか」
「現場から西に二百メートルほど行ったところに、コンビニがあります。そこに電話ボックスがあり、そこからの発信でした」
「二件目の通報は誰から?」
「判明していません。名乗らずに切ってしまったとか」
「百合恵氏による通報が午前六時五十一分。二件目が七時一分。通報に至るまでの百合恵氏の行動は?」
「これは百合恵氏自身の証言ですが、夫の後を追ってすぐに自宅を飛びだしたものの、車も夫の姿も既になく、しばらく辺りをさまよっていたとか。まもなく、もの凄い音が聞こえたので、その方向に行ってみると……」
「無残な現場を見てしまったと……。その際、百合恵氏はどの方向から現場に来たのでしょう? 被害者一氏と同じ、東側の道ですか?」
「いえ、本人は一本南側にある別の道を通ったと証言しています」
「現場に着いてすぐに通報を?」
「そのようです。ただし、通報はかなり取り乱していて、状況を理解するまでに時間を要しました。警察官の現場臨場はそれから十五分後。百合恵氏は遺体から離れた場所で呆然としていたとか」
「なるほど。概要はほぼ理解できました。次は、捜査についてですが、当初は車両窃盗とひき逃げの線で捜査が行われたのですね。そちらの方で何か情報は?」
「ほとんど無かったと思います。何しろ目撃者が皆無で、車を乗り捨て逃げ去った人物の情報が集まりませんでした」
「そちらが手詰まりになったとき出てきたのが、計画殺人の線ですか。発端はブレーキ痕」
「はい。最初にそう言い始めたのは、交通捜査課の羽生(はにゅう)警部補だったと記憶しています」
「羽生警部補ですか。ベテランの中のベテラン。たしか、もうすぐ定年退職だったかと」
捜査に関わったすべての人間の顔や階級が、儀藤の頭には入っているらしい。啞然としつつ、若奈はうなずく。
「はい。朴訥(ぼくとつ)とした印象で、説得力のある喋り方をされる方でした」
「羽生警部補の一言で、証拠品の見直しが行われ……加害車両の右後輪タイヤの下から……結婚指輪?」
「百合恵氏が、常に身につけていたものです」
「そのような重要な証拠品が、初動の際には見落とされた?」
「はい。完全なミスです」
「なるほど、それは痛いですねぇ……。ふーむ。で、指輪について、百合恵氏は何と?」
「いつの間にか無くしたと証言しました」
「何ともはっきりしませんねぇ。ところで、一氏殺しの凶器となった車ですが、百合恵氏が乗車したことはあるのでしょうか」
「助手席に二度乗ったと証言しています。車内からは彼女の指紋も出ています」
「ハンドルや運転席からは?」
「一切、見つかっていません」
「なるほどねぇ、ふーむ」
何ともつかみ所のない言動で、儀藤はファイルをさらに読み進めていく。
「羽生警部補を含む捜査陣が考えたのは、自宅前に駐めてあった車に窃盗犯が乗りこむのを見たという百合恵氏の証言はすべてデタラメ。実のところ、百合恵氏が自ら運転し、自宅近くで計画的に夫を轢き殺した」
「その通りです。二人の夫婦仲は悪く、離婚寸前だったそうです。一氏にはギャンブルで作った借金が四百万円近くあり、それに加えて勤めていた町工場が倒産。パート勤めの百合恵氏が家計を支えていたそうですが……」
「借金の返済まではとても回らない。取り立てもそれなりにきつかったでしょうね」
「財産といえば、家くらいですが、まだローンがかなり残っている状態で大した金額にはならなかったようです。いずれにせよ、早晩、家を明け渡すことになっていたようです」
「なるほど。車を借りてまで不用品を売ろうとしたのは、そのためですかね。それで、離婚の方はどうだったのです?」
「一氏が頑として応じなかったそうです」
「動機になりますねぇ」
「羽生警部補たちの見立てもそうでした」
「生命保険などは?」
「お互いに、一つも入っていませんでした」
「ふーむ。一氏が死んだところで百合恵氏は金銭的には大して得をするわけではない。動機は夫への怒りですか。まあ、借金の取り立てからは逃れられるにしても……うーむ」
儀藤はファイルを前に、腕組みをして考えこんでしまった。
いったい、何だっていうのよ、もう。
若奈はムッとしたまま、ただ座って待つよりほかない。
「間違いなく有罪だと思いました?」
ふいに、儀藤がきいてきた。
「は?」
「あなたは何度か、百合恵氏本人と接している。そのときの印象をきいています」
「そんなこと言われても……私の業務は交通違反の取締です。殺人犯なんて見たことないですから」
「殺人も信号無視も犯罪に変わりはありませんよ。あなたは何年にもわたって交通取締に当たり、違反者を見てきた。その直感にきいているのです。百合恵氏はあなたから見て、どうでしたか」
そんなこと、急にきかれても……。若奈は儀藤の言葉を咀嚼(そしゃく)しつつ、当時の記憶をたぐる。実際、百合恵と接したのはごくわずかだ。時間にして十分、あるかないかだろう。
そのときの印象……。漠然としたイメージが、徐々に形を作っていく。
「犯人……だったと思います」
「つまり夫を殺した殺人犯であったと」
「ええ」
「しかし、判決は無罪。この違いはどこからくるのでしょうか」
「そんなこと、判りません」
「百合恵氏は犯人だった……か。面白い、当たるのなら、ここからですね」
儀藤は福々しい顔にどこか油断のならない雰囲気の笑みを浮かべ、立ち上がる。
「では三好巡査長、行きましょうか」
「行きましょうって、どこへです?」
「そうですねぇ。まずは、いま名前の出た、ベテラン捜査官から」
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死神さん
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<作品概要>
主演・田中圭×監督・堤幸彦が贈る痛快ミステリードラマ
Huluオリジナル「死神さん」
9月17日(金)独占配信スタート!
毎週金曜に1エピソードずつ配信(全6話)
死神と呼ばれる嫌われ者のクセモノ刑事が、
事件ごとに”相棒”を替えながら
闇に葬られた冤罪事件の真相をあぶり出していく!
■出演:田中圭 前田敦子 小手伸也 蓮佛美沙子 りんたろー。 長谷川京子 竹中直人 ほか
■原作:大倉崇裕「死神さん」(幻冬舎文庫)
■演出:堤幸彦(第壱話・第弐話・最終話)、藤原知之(第参話・第肆話)、稲留武(第伍話)
■脚本:渡辺雄介
■主題歌:「浮世小路のblues」宮本浩次(ユニバーサル シグマ)
(C)HJホールディングス