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いつもの密会だったのに…総務部長が活躍する、金融業界が舞台の痛快小説 #3 メガバンク絶体絶命

破綻の危機を乗り越え、総務部長に昇進した二瓶正平。副頭取の不倫スキャンダル、金融庁からの圧力、中国ファンドによる敵対的買収。真面目なだけが取り柄の男は、銀行、仲間、そして家族を守ることができるのか……。金融業界を舞台にした波多野聖さんのエンターテインメント小説、シリーズ第二弾となる『メガバンク絶体絶命――総務部長・二瓶正平』は、前作を超える痛快なストーリーで一気読み必至。ためしにその冒頭をご覧ください。

*  *  *

昨日、吉祥寺の自宅の寝室で目を覚ましたのは、いつものように六時四十分だった。

前夜どんなに遅くてもその時間に目が覚めるのは銀行員としての習性だ。

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妻の瑛子とは十年以上寝室を別にしている。

カーテンを開けると良い天気だが風が強かった。

佐久間がシャワーを浴び身支度を整えてダイニングルームに入ったのは七時十分、テーブルには妻の手による朝食の用意が整っている。

毎朝同じメニューの和食だ。

お粥に焼鮭、蕨のお浸しと佃煮に梅干し、そして味噌汁が並んでいる。

一緒に食事を摂る妻に言った。

「日銀考査が始まるから、しばらく遅くなるよ」

「そうですか」

特に関心ないという様子だ。

佐久間の頭には朝から根津の弓川咲子のマンションの寝室が浮かんでいた。

妻と顔を合わせ、言葉を交わすのは朝食の時だけだ。長い間、冷え切った関係になっているが、この時間のみは維持されていた。

互いに離婚を言い出さないのは打算と世間体によるもの。仮面夫婦の典型だった。

二人の間に子供はない。

瑛子の楽しみは中国陶磁器の収集だ。古物商の免許を持ち、個人としては日本有数のコレクターであった。収集の資金は亡くなった親の財産だった。

日本を代表する製薬会社、星野製薬の創業者の息子で政治家でもあった父が十年前に亡くなり、一人娘の瑛子が全財産を相続した。民自党の参議院議員で厚生大臣を三期務め、党派を超えた日中友好議員連盟の会長だった。母は瑛子が大学生の時、夫の選挙運動を手伝っている最中、心臓発作で急死した。

「政治家になる人は絶対に嫌」

瑛子は自分の結婚に関してそう言い続けた。母を政治に殺されたと思っていた瑛子は、最高裁長官の息子である銀行員と見合いし結婚した。

それが佐久間だ。

佐久間にとって結婚は打算でしかなく、瑛子も同じようなものだと思っている。

世間という鏡に対して自分をどう綺麗に映すか、そう考えている似た者同士だ。

二人の違いは金に対する意識だけだった。

佐久間は細かく、瑛子は鷹揚。

そうでありながら、コレクションに使う金が妻のものである以上、何も言えなかった。

瑛子は祖父の創業した星野製薬の最大株主で、毎年入って来る配当金は佐久間の年収を一桁上回る。

朝食を食べ、ほうじ茶を飲み干すと、佐久間はいつも通り「ご馳走様」と言い、玄関に向かう。時計は七時三十分を指している。

先に玄関のドアを開け、待っている運転手の内山ににこやかに挨拶をするのが、TEFG副頭取の妻として瑛子がこなす唯一の日課だった。

「おはようございます。内山さん、今日もご苦労さま」

「奥さま、おはようございます」

周囲の人間への表面的気遣いを怠らないのは、政治家の家に育った娘に染み付いた習性だろう。

「行ってらっしゃいませ」

瑛子は黒塗りのレクサスに深々と頭を下げて見送るのだ。

走り出したクルマの中で佐久間は経済紙に目を通す。

五日市街道から高速に入ると新聞に目をやったまま内山に命じた。

「今日は根津に寄るからね」

内山はハンドルを握ったまま頷いた。

八時過ぎ、丸の内のTEFG本店駐車場にレクサスが滑り込む。佐久間は専用エレベーターで三十四階にある役員フロアーに向かう。

「おはようございます」

エレベーターが開くと秘書が待っていて深々と頭を下げる。それから副頭取室まで一緒に歩く。

「今日は十時から午前中一杯、日銀考査に関しての臨時役員会議になります」

予定を聞きながら副頭取室に入ると佐久間は言った。

「今夜は学生時代の友人で帝都自動車の専務と食事をするから、七時半に店の手配を頼む」

「承りました。どちらになさいますか?」

「帝都ホテルのイタリアンにしてくれ。個室を頼む」

「承知致しました。クルマのご用意は七時十五分でよろしいですね?」

「あぁ、それでいい」

その後、臨時役員会議に出席、昼食は頭取の指示で専務以上が会議室に残って食べることになった。日本橋の老舗の鰻重が用意されている。

昼食をとる前に頭取が告げた。

「新体制となって初めての日銀考査です。我々の新しい形を当局に示すものです。皆さんよろしくお願いしますよ」

東西帝都EFG銀行頭取、大浦光雄はそう言ってから吸い物に口をつけた。

前任の桂光義が僅か一年で辞した後、副頭取から昇格したのがこの男だ。

ビジネスよりも政治に長けた人物で、頭取になることが決まるや役員を一新した。現在この場にいる人間は全て帝都銀行出身者だ。東西帝都EFG銀行という名前を有しながら、東西、EFG、どちらの銀行の出身者も専務以上にはいない。

「雨降って地固まるとはよく言ったものですね。超長期国債の購入から始まり、国有化の危機やオメガ・ファンドによる買収の危機など集中豪雨の連続の後、こうやって帝都によって全てがまとまった」

そう佐久間が言った。

「この国はそういう風に出来ているということだよ。帝都は守られている。我々に不安はないということだね」

頭取の大浦は箸を進めながら満足げに話した。

誰一人として桂の功績など口にしない。

自分勝手にサッサと辞めていった相場師としか思っていないのだ。

昼食が終わると佐久間は副頭取室に戻った。秘書が運んで来た珈琲を飲みながら携帯からメールを送る。

「帝都ホテル、プリマベーラ、七時半」

弓川咲子へのメールだった。

その後、専務から報告を受けたり、PCのディスプレー上の稟議書に電子署名をしたりしながら、夕刻を迎えた。

七時十分。秘書がクルマの準備が出来たと部屋に入って来たので、地下の駐車場まで降りた。内山がレクサスのドアを開けて待っている。

日比谷にある帝都ホテルに出掛け、弓川咲子と二人きりで高級イタリアンを堪能した後、根津にある彼女のマンションに向かった。

それが九時過ぎだった。

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「正確に思い出して頂けますか。マンションに着いたのは何時何分頃でした?」

弁護士は佐久間に訊ねた。

「九時半を回った頃だったと思います」

弁護士は頷き、ゆったりとした口調で念を押すように言った。

「副頭取、そこからのこと……プライベートに関わることですが、順を追って、きちんと教えて頂かなくてはなりません。このままでは立件されてしまいます」

立件という言葉にゴクリと唾を呑み込んだ。そして、そこからのことを思い出した。

佐久間たちを乗せたレクサスは、弓川咲子のマンションのエントランスを少し過ぎた街灯のない暗がりで停まった。

強い風で、根津神社の境内の黒々とした木々が大きく揺れていた。

いつものように咲子は先に一人で降りる。きっかり五分後に佐久間がクルマから出て部屋に向かうのだ。

三〇二号室の鍵は開いている。浴室から湯をためる音が響く。

築二十年の分譲マンションだが浴室は広く、湯船には二人でつかることが出来る。

リビングのソファーには佐久間用のバスローブとガウンが出してある。

佐久間は慣れた様子で上着を壁際のハンガーに掛け、ネクタイを外しはじめた。

「何か飲む?」

咲子はキッチンから声を掛けた。二人きりの時は敬語は使わない。

「あぁ、ビールをもらおうか。さっきの料理で何だか喉が渇いた」

缶ビールのロング缶と小振りのグラスを二つ、盆に載せて運ばれた。

ソファーの前のテーブルにそれを置くと、身体を引き寄せられた。

「もう……」

そのまま唇を重ねながら弓川咲子はソファーの上に佐久間と一緒に倒れ込んだ。

佐久間が貪るように舌を絡めてくる。

その身体を押し返して咲子は「お風呂……みてくるね」と言い、立ち上がった。

佐久間は缶ビールを開け、グラスに注ぐと一気に飲み干している。

「ねぇ、今日のお料理……メインは良かったけど、パスタは凝り過ぎててもう一つと思わなかった?」

浴室の湯を止めて訊ねた。佐久間は咲子のグラスにビールを注いで手渡すと、自分のグラスにも注ぎながら言った。

「そうだな。あまりにも具の種類が多すぎた。パスタはシンプルな方が旨いな」

「そうよね。でもワインは白も赤も美味しかったなぁ……」

ビールを飲みながらそう返す。

佐久間はその言葉を聞いて満足そうに頷いている。レストランの支払いは十万を超えているだろうが、“接待”としている佐久間の懐は痛まない。

銀行がこれまで交際費として支出した金額は億を超えている。その半分以上は弓川咲子に費やされたものだ。

佐久間はそれでも偉そうな態度を崩さないのだから、銀行はいい面の皮だ。

「入ろうか?」

佐久間に言われて頷いた。

「先に入ってて……」

佐久間はその場で服を脱ぐとバスローブを持って浴室に向かった。

湯の中にはハーブオイルが入っている。

リラックスさせるラベンダーやレモングラス……などではなく性欲を亢進させるというサンダルウッドだ。

部長だった自分が初めて見た二十五歳の咲子は仕事の雑な問題行員に過ぎなかった。しかし、どこか妙に色気を感じさせた。

あれは……部の忘年会の後だった。

駅に向かう部の人間たちと別れ、取引先に貰ってとっておいたチケットで帰ろうと、タクシーを探していた時、偶然目に入ったのがひとり道の反対側を歩く弓川咲子だった。

「弓川くん」

「あ、部長」

声を掛けるともう一軒、行きませんかと言ってきた。

(今どきの子は積極的だなぁ……)

そう思いながら近くにある馴染みのオーセンティック・バーに連れて行った。雰囲気が良い割には安い店だ。

「やっぱり部長は違いますね。すっごく大人の雰囲気」

佐久間は嬉しくなった。その後、意外なほど話が弾んだ。

「部長はモテるんでしょうねぇ……私、部長みたいな人と結婚したいなぁ」

「冗談でも嬉しいねぇ。あ、駄目だよ。これで査定は良くならないよ」

「わたし、仕事のことなんてどうでもいいんです。でもずっと思ってたんですよ。部長は素敵だなぁ、部長みたいな大人の男性と京都とか旅行できたらいいだろうなぁって」

その時、あることを思い出した。再来週の月曜日に大阪への出張がある。その前の土日を利用すれば……。

佐久間が冗談めかして提案してみると、咲子は弾けたような笑顔をみせた。

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『メガバンク絶体絶命』波多野聖

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