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電車の中に、忘れ物をしてしまいまして…必ず涙する、感動の鉄道員ミステリ #2 一番線に謎が到着します

郊外を走る蛍川鉄道の藤乃沢駅。若き鉄道員・夏目壮太の日常は、重大な忘れものや幽霊の噂などで目まぐるしい。半人前だが冷静沈着な壮太は、個性的な同僚たちと次々にトラブルを解決する。そんなある日、大雪で車両が孤立。老人や病人も乗せた車内は冷蔵庫のように冷えていく。駅員たちは、雪の中に飛び出すが……。

「駅の名探偵」が活躍する、二宮敦人さんの『一番線に謎が到着します』。鉄道好きもミステリ好きも、涙なしでは読めない本書から、一部を抜粋してお届けします。

*  *  *

藤乃沢駅のホーム事務室は、今日も騒がしい。

ホーム事務室は、大抵の駅でさりげなく設置されている。階段の脇だとか、自動販売機の横だとか、あるいはホームの端っこだとかに、まるで物置のような顔をして存在している。

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いや、実際それは物置でもある。掃除用具や非常時の防災グッズなども脇に置かれているからだ。しかし冷蔵庫や、調味料の瓶が詰まった棚や、包丁や鍋などの調理道具も同じくらいのスペースを占めている。藤乃沢駅では中華鍋までが鎮座している。駅員みんなでお金を出し合って買ったものだ。

よく観察していれば、ホーム事務室に駅員が出入りしていることがわかるはずだ。朝は駅員が一人、大量に食材の詰まった買い物袋を提げて入っていく。その駅員はホームの安全確認や窓口対応の傍ら、ホーム事務室に頻繁に出入りする。出入りする回数に応じて、中からはいい匂いが立ち上ってくる……。

休憩時間のたびに調理を行っているのだ。

今日はその駅員が夏目壮太だった。食事当番である。制服の上にエプロンをつけ、三角巾をかぶっている。

「あー。美味しかった。壮太ちゃん、今日はいくら?」

佐保が口の周りを拭きながら言った。

「ええと、ですね」

壮太はポケットからレシートを取り出すと、合計金額を人数で割り算した。

「各、三百円でお願いします」

「ほいほい。あ、今細かいのないや。壮太ちゃん、ツケといて」

「佐保さん、ツケそろそろ五千円になりますけど……」

「あ、明日には払うよ! ぜ、絶対!」

「もう、絶対ですよ」

壮太は肩を落とす。

それからコンロを弱火にし、鶏はレンジで温められるようにタッパーに入れておく。後ほど助役や主任も食べにくる。その際、美味しく食べられるようにという心配りだ。

山岳部だった頃の合宿を思い出した。食事当番を持ち回りでつとめ、食材の代金を分担する。誰かが調理している間は、誰かがテントを張っている。

駅の仕事はそれに良く似ていた。

誰かが調理している間、誰かがホームを確認している。別の誰かは構内アナウンスをし、遺失物係をつとめている。そして別の誰かは改札でトラブルが起きれば応援に向かい、定刻になれば自動券売機から大量の小銭を回収する。各員が作業ダイヤに従って動いている。

駅はチームワークだ。毎日、始発から終電まで、分刻みに列車がやってくる。個人プレーじゃ回らない。

「あ……もう少しで、遺失物係の時間だ」

時計を見て壮太は言う。

「ヤバイじゃん! 壮太ちゃん、急いで食べて行きなよ」

「はい」

壮太は慌てて鶏丼をかっこんだ。

「頑張ってねえー」

そして、佐保の声を背後に聞き、慌ててホーム事務室を飛び出した。

十二時十三分、松原大塚行きの各駅停車がホームに滑り込んでくるところだった。


橋野恵美は人と関わるのが嫌いだった。チームワーク苦手。個人プレー大好き。友達とカラオケに行くくらいなら、ゲーセンでテトリスを一日中やっていたい。一人静かに、自分のために働くのが好きだった。

恵美は立ったままぼーっとしている。がたん、ごとんと電車が揺れる。

一人でぼーっとしているほど、心安らかなことはない。流れていく景色を見、右に左に揺れる電線を眺め、たまにこっそりあくびをする。

車内アナウンスが流れる。

「まもなく藤乃沢、藤乃沢に到着します。本日は蛍川鉄道をご利用いただき、誠にありがとうございます。まもなく藤乃沢、藤乃沢、お出口は右側……」

車掌室の窓から、車内をちらっと見る。乗客がそわそわし始めていた。

今はアナウンスも自動音声で、楽だなあ。

いい天気だった。太陽の光が眩しくて、恵美は制帽のつばを少しひねる。川沿いをおばあちゃんと子犬が散歩をしている。子供が駄菓子屋の方へ走っていく。パン屋には「焼き立て」の札がかかっている。野菜の詰まった台車を引いていくおじさんがいる。

ああ、和む。

さぼっているわけではない。景色を見るのも、車掌の仕事なのだ。

銭湯の煙突が見えた。

よし。

恵美は車掌室横の窓を開く。爽やかな風が流れ込んできて少しカールした黒髪をふわりと揺らした。藤乃沢駅がぐんぐん近づいてくるのが見える。特徴的な少し曲がったホーム、三角屋根の駅舎、駅前のいちょう並木。列車はブレーキをかけ、到着の態勢に入っている。恵美は万一に備えて非常ブレーキの紐を握りながら、窓から半身を乗り出してホームを見据える。

電車に接触しそうなお客さんがいないか、危険物などが見えないか、安全確認をする。

車掌のホーム確認は、先頭車両がホームに到達した瞬間から行うことになっている。しかし車掌は最後尾にいるので、いつ電車の鼻先がホームをかすめたかなど正確にわからない。だから景色によって判断するのだ。

六両編成の電車で藤乃沢駅に進入する場合は、パン屋の先にある銭湯の煙突が確認開始の目印となる。同じように、蛍川鉄道の二十四駅全ての景色と目印が、恵美の頭の中には叩き込まれている。

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異常なし。

電車は藤乃沢駅のホームに、ほとんど振動を感じさせずに停車した。ディスプレイの時間を見る。定刻運転。今日の運転士は上手だった。ひとつ前の草間駅で生じた十秒の遅れを、途中の直線で加速してぴったり取り戻している。

恵美はボタンを操作して客車のドアを開けた。しゅうと空気圧の音。

停車時間は三十秒。二十秒時点で発車のベルを鳴らす。恵美は身を乗り出したまま、お客さんの乗降を見守っている。

あれー。

ホームを走ってくる人影が見えた。

壮太じゃん。

二階の窓口事務室か、遺失物係に向かうのだろう。同期入社の壮太が、制帽を手で押さえながらぱたぱたと走っているところだった。

(やっほう)

軽く手を挙げてみる。壮太の方でも気づいたらしい。

(やあ)

恵美に目を合わせて、頷いてみせた。

相変わらず壮太は一生懸命働いてるなあ。偉いなあ。

「間もなく電車が発車しまあす。駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」

恵美はのんびりした声でマイクに言う。お昼時でお客さんはさほど多くなく、乗降はスムーズに完了していた。

恵美はもう一度ホームを確認する。駅員が見えた。車掌の位置から死角となる部分は藤乃沢駅の駅員が確認し、旗で発車OKを知らせてくれる。

ほんじゃいくかね。

「ドアが閉まりまあす」

そうアナウンスしてから、ドアを閉めた。電車がゆっくりと動き始める。ホーム上の壮太の姿が、どんどん遠ざかっていく。

これで次の駅までまた一人きりだ。

車掌は孤独な仕事である。車掌室に引きこもり、ホームを確認し、ドアを開閉し、時折アナウンスを口にするだけ。非常事態が発生しない限りは運転士と車内電話をすることもない。そもそも運転士の顔すら見ないことがほとんどだ。

一人っきりの穏やかな時間。

恵美はこの仕事が結構好きだった。


「交代です」

壮太は遺失物係の戸を開いて言った。

「お、壮太! ありがてえ」

軍人のようにごつい顔の七曲主任が、雑然としたデスクを背にして柴犬のように微笑んだ。

「今日の飯は?」

「鶏丼ですよ。準備できてます」

「いいね! 腹減ったよ」

立ち上がる七曲主任と入れ替わる形で、壮太が椅子に座る。帳簿を手に取って眺めつつ口を開いた。

「今日は何か変な忘れ物とかありました?」

「特にないなあ。定期券が一枚、携帯電話が一個。いつも通りよ。あ、携帯の方は今日中に受け取りに来るそうだ」

「それは良かったです」

「あ! そうだ、ケーキがあったぜ」

「ケーキ?」

「おう、誕生日ケーキの忘れ物だ。冷蔵庫に入れてあるぞ。『タカシ君八歳おめでとう』だってさ」

「あらら……まあ、受け取りには来なそうですね」

七曲主任は頭をかいた。

「だよなあ。ナマモノはちょっとな。手元離れたらこえーもんな。食いもんは当日に取りに来なかったら廃棄の決まりだから、よろしく」

「わかりました」

その時、遺失物係のガラス戸が開かれた。入ってきたのは女性が一人。二十代後半だろうか。小柄で黒のセミロング、前髪を額の真ん中で二つにきっちりと分けている。ベージュのシャツに黒いジャケットとズボン。黒い紙袋を一つ、大切そうに両手で提げている。

「ど、どうしました?」

思わず壮太は椅子から腰を上げる。それくらい女性の顔色は悪かった。きめ細かい肌は真っ青で、薄めの唇は紫。目は落ち着きなく揺れていた。形の良い眉は八の字になり、ほとんどよろめくようにして壮太の座るデスクへと歩いてくる。蚊の鳴くような声で、震えながら女性は言った。

「あ、あの……電車の中に、忘れ物をしてしまいまして……」

「は、はい。忘れ物ですね。どうぞお座りください」

よほど大事なものを忘れたのだと、壮太はすぐに理解する。慌てて椅子を勧め、女性をそこに座らせた。今まさに昼食に行こうとしていた七曲主任も、それどころではないと思ったのか、戻ってきて脇のパソコン端末に取りついた。

「忘れ物はどういったものでしょうか?」

女性の対面に座り、壮太はできるだけ柔らかい口調で問う。

「その……ブリーフケースなのですが」

女性は持っていた紙袋をそっとデスクの上に載せ、脇に寄せた。壮太はちらりとそれを見る。中には厚めのビニール袋で包まれた何か四角いものが入っている。紙袋の表面には「講論社」と文字が書かれていた。業界トップの出版社名を目にして、女性はそこの関係者だろうかと壮太は思う。

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一番線に謎が到着します 若き鉄道員・夏目壮太の日常

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