リアル書店だからこそ、思いがけない本との出会いがある #1 探究する精神
世界的に活躍する物理学者で、 カリフォルニア工科大学・理論物理学研究所所長の大栗博司さん。『探究する精神――職業としての基礎科学』は、少年時代の本との出会いから、武者修行の日々、若手研究者の育成にも尽力する現在まで、自身の半生を振り返りながら、研究の喜びや基礎科学の意義について論じた一冊。学問を志すあなたへ、そして生涯、学びつづけたいあなたへ、一部を抜粋してお贈りします。
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毎日のように通った「自由書房」
自分の頭で考えるためには、その材料である知識も重要です。知識が乏しくては自分の考えを豊かに広げることができません。本が知識の宝庫であることを知ったのも小学生の時でした。
当時、柳ヶ瀬には岐阜で最大の書店である自由書房本店があり、両親のお店の近所だったのでツケで本を買うことができました。学校帰りに大型書店に気軽に立ち寄って本を物色できたのは、今から思うと恵まれていました。
近くに市立図書館もありましたが、当時はお役所のような雰囲気で、小学生がひとりで行けるような場所ではありませんでした――これは当時の話で、今の図書館はもっとフレンドリーですね。
自由書房なら、店員さんとは顔見知りでしたし、気に入った本はちゃんと買うので、いくら立ち読みをしても嫌がられませんでした。親に「それはよしてこっちにしたら」と口出しをされることなく、読みたい本が読めたのもありがたいことでした。
毎日のように通ったので店内の様子は今でもよく覚えています。入ってすぐ右手が雑誌、左手が児童書のコーナーで小学校低学年の時はまっすぐそこに行きました。一階の中央は単行本、奥には新書や文庫本、二階は高校生向けの参考書や大学生が読む専門的な学術書。三階には美術書のほか高級文具なども置いてありました。
児童書コーナーで買った本の中でも何度も読んだのは『なぜなぜ理科学習漫画』です。全一二巻を隅から隅までくり返し読んで、書いてあることをすべて覚えてしまいました。
娘が小学校に入った時に同じような学習マンガがないか探したのですが、『なぜなぜ理科学習漫画』に匹敵する内容のものが見つからなかったのが残念です。
書店は「新しい世界」への入り口
『子どもの伝記全集』を読んで、ガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートン、マリー・キュリー、湯川秀樹などの科学者を知りました。湯川の伝記には、原子核の中の力を伝える中間子という素粒子の存在を真夜中に布団の中で思いついたという話が書いてありました。思考の力で自然界の最も深くゆるぎない真実に到達したという話に感動しました。
毎月届けられる雑誌『科学』と『学習』も楽しみでした。『科学』には家で実験や観測ができる付録がついていたので、理科好きの少年にはたまりません。テコの原理や浮力、電気回路や磁石の仕組みなどを、自分のペースで手を動かして理解できました。
自由書房では、学年が上がるにつれて行き先も変わりました。高学年になると文庫や新書がある一階の奥に出入りするようになり、小学校を卒業する頃には恐るおそる二階に登って高校生向けの参考書や専門書を眺めました。「こんなところに来たら怒られるのではないか」とドキドキしたものです。
子供は様々な形で背伸びして大人になろうとします。私の場合は自由書房の二階がそういう場所だったのです。理系の勉強に興味があったので、数研出版の「チャート式」学習参考書が並ぶ棚で、高校生向けの数学や物理学の参考書を立ち読みしたことを覚えています。
本を斜め読みすることを英語では「ブラウズ」と言います。もともと放牧された牛や馬が野原の草を食べる様子を表す言葉だったのが、本の斜め読みにも使われるようになりました。ページをぱらぱらとめくるのはブラウズですが、書店で本を見て回ることもブラウズと言います。小学生の頃の私は自由書房で放牧されていたのです。
書店に行く楽しみのひとつは思いがけない本に出合うことです。目当ての本の近くにあった本をふと手に取ることで新しい世界が開けたことが何度もありました。アマゾンなどのインターネット書店は、たしかに便利です。しかし、ブラウズする時には紙の本が置いてある書店に行く方が楽しいです。
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