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殺さなきゃ、生きていけない…映画『死刑にいたる病』原作者が描く、衝撃のサスペンス・ミステリ #2 殺人依存症

大ヒット上映中のサイコ・サスペンス映画『死刑にいたる病』。みなさんはもうご覧になりましたか? 連続殺人鬼役の阿部サダヲさんの怪演が脚光を浴びる一方、原作者である櫛木理宇さんにも熱い注目が集まっています。

殺人依存症』は、そんな櫛木さんによる衝撃のサスペンス・ミステリ。息子を亡くした捜査一課の刑事、浦杉は、現実から逃れるように仕事にのめり込む。そんな折、連続殺人事件が発生。捜査線上に、実行犯の男たちを陰で操る一人の女の存在が浮かび上がる。息をするように罪を重ねる女と、死んだように生きる刑事。二人が対峙したとき、衝撃の真実が明らかになる……。

『死刑にいたる病』に興味を持った人なら、絶対ハマること間違いなし。映像化も期待される、本作の冒頭をご紹介します。

*  *  *

第一章

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「……うわ、ひでえなあ」

眼前に横たわる遺体に、制服姿の巡査がつぶやきを落とす。

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「まったくだ」と、浦杉克嗣は内心でひそかに同意した。

まだ初秋だというのに、夜の河川敷はひどく肌寒かった。

川から吹きつける風が、体を芯まで冷えさせる。向こう岸に瞬くパチンコ屋やファミレスの灯りさえ、奇妙に寒ざむしく映る。下流の水面は真っ黒くよどんで、重油を流したようにぬめっていた。

浦杉が到着したとき、現場はすでに規制線が張られ、イエローテープで区切られていた。テープの向こうでは鑑識課員とともに機動捜査隊員や警官が忙しく立ち働き、手前の道脇に並ぶパトカーが赤色警光灯を派手に回転させている。

「ウラさん」

片手を上げて走り寄ってきたのは、堤だった。浦杉と同じく、荒川署の捜査一課強行犯係の捜査員である。

「おう、ご苦労。真っ先に現場到着したのはおまえだってな」

「そうです。コンビニ強盗の捜査を終えてパトカーで戻る途中、無線連絡を受けました。鑑識と機動捜査隊に臨場を要請したのもぼくです」

学生と言っても通るだろう童顔を強張らせた堤は、いまにも敬礼せんばかりだ。

浦杉は遺体から目をそらして問うた。

「マル害の所持品は? 身元は割れているのか」

「明蓮第一高校指定のスクールバッグが川に浮いているのを、交番勤務の巡査が発見し、確保しました」

きびきびと堤が答える。

「バッグの中身は文具、教科書、財布、小物ポーチなどです。ポーチの中からスマートフォンと学生証を発見。学生証によればマル害は明蓮第一高校一年生、小湊美玖。中野区在住の満十五歳です。行方不明者届が出されていないか、現在中野署に確認中です」

「スマホのデータはどうだ」

「水没したせいか、電源が入りません。しかし解析課ならデータ復旧できるかと」

「そうか」

首肯して、浦杉はふたたび遺体に目を落とした。

覚悟を決めて、まともに顔を注視する。

あのときから、未成年の――子供の遺体を正視するのがつらくなった。六年経っても、痛みはすこしも薄れてくれない。むしろ強まるばかりだ。

遺体は上半身にブラウスだけを着け、下肢は剥き出しだった。ブラウスはボタンのほとんどが千切れ、前がはだけている。未発達な乳房と、まだ生え揃わない陰毛が無残だ。左足のみ、足首までのソックスを履いていた。

右乳房の下と脇腹に、深い刺創が見てとれた。また下腹部に、×字の切創がいくつか刻まれている。こちらは浅いなぶり傷であった。

顔面は殴打で腫れあがっていた。裂けた唇の隙間から覗く前歯が、一本折れていた。口腔を検めれば、おそらく奥歯も何本か失われているだろう。一目でわかるほど、激しい殴打痕だった。

なぶられた痕は、ほかにもあった。右手の中指と薬指、左手の人差し指と中指と小指が折られ、各々ばらばらの方向を指している。右の乳首が切り落とされている。

髪を汚しているのは少女自身の嘔吐物だろうか。腹部は黒と紫のまだらな痣に覆われ、ぶよぶよと膨れあがっていた。殴打で内臓が損傷している証拠だ。そして、白い頸部に索溝がある。

――死因は刺された失血か、もしくは窒息。いや、激しい殴打による外傷性ショック死もあり得るな。

浦杉は遺体にかがみこんだ。

むろんハンカチを口に当てておくのは忘れない。半分は汗や皮脂などで遺体への汚染を防ぐためで、もう半分は臭いを防ぐためである。人間は死ぬと、あっという間に臭くなる。死臭への忌避本能は、慣れでそう克服できるものではない。

浦杉は目を閉じ、片手で遺体を拝んだ。

――十五歳。娘の架乃とふたつ違いか。

ふたたび胸が痛んだ。錐を刺しこんだような、瞬間的だが鋭い痛みだった。

架乃は確か、高校三年に進級したはずだ。しかしいま何組なのか、まだ部活をつづけているかもわからない。なぜって、もう二年以上会えていないからだ。そして同じく妻とも――。

「ウラさん。足跡と微物の採取、終わりました」

鑑識課員と話していた堤が戻ってきた。

「死亡推定時刻は、直腸温からして八時間から十時間ほど前だそうです。眼瞼と眼球結膜に溢血点あり。直接の死因は絞殺でしょうかね。もちろん検視結果を見なけりゃ、正確なところはわかりませんが」

「第一発見者は?」

「近所に住む主婦です。草むらの間から白い足が見えたので、近寄ってみたら死体だったと供述しています」

堤の説明はよどみなかった。

「その時点で、すでに死体は臭っていたようですね。ありがたいことに、遺体から走って逃げたのちに吐いてくれました。貧血を起こしたため、現在はパトカーの横で休んでいます」

親指で、回転する赤色警光灯を示す。

白黒ツートンの車体にもたれるようにして座っているのは、三十代なかばの女だった。夜目にもはっきりと顔いろが悪い。掌で口を押さえている。

「アルバイトでメール便の配達をしているんだそうです。証言に整合性があり、いまのところあやしい点はありません。不審な人物や車両については、『たぶん見なかった』『車にくわしくないので、よくわからない。でも印象に残るような動きの車はなかったと思う』とのことです」

「そうか」

ご苦労――とふたたび浦杉が言いかけたとき、道沿いに連なるパトカーの後ろにアコードが停まった。荒川署の捜査車両だ。

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後部座席のドアが開く。降り立った恰幅のいい男が、浦杉を見つけて片手を挙げた。小田嶋係長だった。浦杉たちの直属の上司である。

現場に出たがらないお飾り係長も多いが、小田嶋はその限りではない。いかにも叩き上げらしい、勤勉実直な警部補どのであった。

「おう浦杉、堤。ご苦労さん。女子高生の殺しだそうだな。署長には話を通しといたから、おっつけ本庁から応援が来るだろう。捜査本部――いや、ひさしぶりに特捜本部の設置だ。いまのうちに会議室を空けとかにゃいかんな」

係長が早口で言った。

殺人事件が起これば、捜査本部は所轄署に設置されるのが定石だ。さらにただの殺しではなく、『連続』『凶悪』『重大』が付く事件の場合は、特別捜査本部となる。

――そして今回の殺しは、間違いなく「凶悪」だ。

「あーあ。まだ子供じゃねえか。可哀想に」

小田嶋係長が、遺体にしゃがみこんで合掌した。

「こないだまでランドセル背負ってたような子に、よくこんな真似する気になるよな。なんにしたっておれは、子供が死ぬ事件は――。あ、すまん」

係長が慌てたように口をつぐむ。

浦杉は聞こえなかったふりをした。意思の力で頬の筋肉を保ち、

「本庁からは、誰が来ますかね」

と目をそらして尋ねた。さいわい声は、震えずにいてくれた。

ほっとしたように係長が答える。

「ああ、いま捜査一課で体が空いてるのは、合田さんとこくらいだろう。合田班なら気心も知れているし、悪かあないさ」

「……ですね」浦杉は同意した。

合田警部が捜査主任官ならば、動きづらい特捜本部にはならないはずだ。となると、浦杉が組む相手は誰だろう。すでに何度か組んだ捜査員か、それとも若手の面倒を押しつけられる羽目になるか――。

浦杉は腰を伸ばし、現場を見まわした。

鑑識課員がしきりに焚くカメラのフラッシュが、目の奥につんと染みた。

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二時間を超える長い捜査会議が終わった。

特捜本部がひらかれた場所は、小田嶋係長が予言したとおり荒川署の会議室だ。

折りたたみ式の長机に着いていた捜査員たちが、ある者は弾かれたように、ある者はゆったりと余裕を持って立ちあがる。後者に属すうちの一人が、

「浦杉さん」

とバリトンの声で近づいてきた。

警視庁捜査一課合田班の捜査員、高比良であった。

とっくに三十の坂を越えたはずだが、二十代なかばとしか見えない。すらりと長身で、歌舞伎役者のような色男だ。色白のおっとりした容貌に似合って、本庁の刑事部には珍しく腰の低い男である。

「主任官から、今回も浦杉さんと組めと言われています」

「へえ」浦杉はすこし驚いた。

だがけして迷惑ではなかった。高比良は見かけによらず、なかなかの切れ者だ。新入りのお守をさせられずに済んだのもありがたい。

なにより嬉しいのは、高比良が煙草を吸わないことである。嫌煙・分煙社会になって久しいが、警察という男社会では、まだまだ喫煙者が格段に幅をきかせている。かつては浦杉もそのうちの一人だった。しかし例の事件をきっかけに、すっぱりと禁煙した。

――あれ以来、煙草がまずくてたまらなくなった。

代わりに酒量は上がったが……と、苦い思いを胸の底で嚙み殺す。

「いやな事件ですね」高比良が言った。

「ああ」

浦杉は首肯した。

かろうじて残った歯の治療痕で、被害者は小湊美玖本人と確定した。

死因はやはり、頸部を紐状のもので絞めた扼殺であった。体の切創および刺創のほとんどには生活反応が見られ、生前に負わされたものだと判明した。つまり、意識があるうちにそうとういたぶられたのだ。

また激しい殴打により、肋骨のうち三本を骨折。六本の歯が折れ、うち二本は歯根が歯茎と口腔粘膜に突き刺さっていた。肝臓と脾臓が破裂していた。

繰りかえし性的暴行されており、膣と肛門に著しい裂傷。なお被害者は、正真正銘の処女であった。

体内から体液は検出されなかった。ただし髪に唾液が付着していた。累犯者データベースとDNA型を照合したものの、一人も符合せず。死亡推定時刻は九月二十二日の午前零時から午前二時の間だった。

両親は、十九日の夜に行方不明者届を出していた。そうして遺体が河川敷で発見されたのは、二十二日の午後八時である。

小湊美玖は十九日の朝には登校していない。おそらく道中で、なんらかのトラブルがあったものと見られている。ふだんは自宅から最寄りの駅まで自転車で約十分。中央・総武線から新宿で山手線に乗り換え、品川駅で降りて、明蓮第一高校まで徒歩四分の距離を通っていたという。

Suicaの履歴によれば、美玖は失踪当日、目黒駅で降車していた。

降車の理由は不明だ。具合でも悪くなったか、知人に会ったか、はたまたもっとほかの突発的事項に見舞われたか――。

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『殺人依存症』

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