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殺るか、殺られるか?…映画『死刑にいたる病』で注目の作家、櫛木理宇さんが放つサイコ・サスペンス #5 残酷依存症

大ヒット上映中のサイコ・サスペンス映画『死刑にいたる病』。みなさんはもうご覧になりましたか? 連続殺人鬼役の阿部サダヲさんの怪演が脚光を浴びる一方、原作者である櫛木理宇さんにも熱い注目が集まっています。

そんな櫛木さんが放つ、話題の近刊『残酷依存症』。何者かに監禁されたサークル仲間の3人。犯人は彼らの友情を試すかのような指令を次々とくだす。おたがいの家族構成を話せ、爪をはがせ、目を潰せ。要求はしだいにエスカレートし、リーダー格の航平、金持ちでイケメンの匠、お調子者の渉太の関係性に変化が起きる。さらに葬ったはずの罪が暴かれていき……。

『死刑にいたる病』にも匹敵する、残酷でスリリングな展開。あなたは読み勧めることができるでしょうか?

*  *  *

航平。匠。二人はどこだ。

これは誘拐か。身代金目当てか。金なら、匠の親がいくらでも払ってくれるはずだ。

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(いや、それよりも)

――おれの指を切って……やつらはその指を、いったいどうしたんだ?

(まさか、親に送りつけた?)

うなじの毛が、ぶわっと逆立った。

考えただけでぞっとした。母の泣き顔がまぶたに浮かんだ。

母は渉太を「しょうちゃん」と呼ぶ。

渉太は、母が三十九歳のとき産んだ唯一の子どもだ。不妊治療を諦めかけた矢先にできた子であった。生まれ落ちてからというもの、渉太は彼女のすべてだった。

その渉太の切断された指を、もし母が見たならば。

「あああああああ!」

渉太は叫んだ。叫びながら、頭を振って何度も壁に打ちつけた。

しかし声は、浴室内にむなしく反響するだけだった。助けはおろか、「うるさい」と制しに来る誘拐犯さえいなかった。

(誘拐犯?)

ぴたりと渉太は動きを止めた。

――これは、誘拐……だよな?

そうに決まっている。

監禁されたのが若い女ならば、犯すか売り飛ばすか、きっとなにがしかの価値があるだろう。しかしおれたちは男ばかりだ。男三人で飲んでいた。さらったところで、金以外になんの得があるだろう?

(いや、でも、そうでないとしたら?)

脳の奥でなにかがざわめく。

誘拐ですらないとしたら?

おれたちをただここに閉じこめて、痛めつけて、それだけが目的だとしたら? 犯人が異常者で、金になんか興味がなかったとしたら?

「いや」

渉太は呻いた。

「いや……あり得ない。もし……もしそうだとしても、助けは来る。助けは、絶対に来る。だって三人いっぺんに同時にいなくなるなんて、おかしい。誰かが、必ず気づく。大騒ぎになるはずだ」

航平も匠も渉太も、実家は都内だ。しかしいまは大学近くにアパートやマンションを借りての独り暮らしである。

だからこの借家へ来ることは、親にはとくに告げていないが――。

「部長に、言った」

涙ぐみながら、渉太はつぶやいた。

いまや彼は泣きだしていた。脂汗にまみれた頬を、ぼろぼろと涙がつたって落ちる。泣きながら、しかし彼は笑っていた。

「部長に言った。……そうだ、言ったぞ。言って、ここに、来た」

舌がもつれて「ぶりょうにいった」としか発音できなかった。

いつもの彼ならば、そしてこれが他人の発言だったなら、渉太はお笑い芸人の真似をして「嚙むなや!」とすかさず頭を叩いていたはずだ。

そんな彼を「芸人気取りかよ」「勘違いしてる」と言って嫌う者はすくなくなかった。

渉太自身、全員に好かれてはいないと知っていた。しかし表立って文句を言う者などいないことも、同時によく心得ていた。

(だっておれは、部長のお気に入りだ。それに)

「……航ちゃん、だって、そうだ」

そこまでつぶやき、彼ははたと気づいた。

――待てよ。

ほんとうに“三人いっぺんに”なのか?

この場にはおれしかいない。航ちゃんも匠も、声すら聞こえない。二人が自分と同様に襲われ、昏倒するところも見ていない。

――ならばさらわれたのはおれだけ、と考えるのが自然ではないのか?

「うぁぁあああ」

手ばなしに、渉太は泣きだした。かぶりを振りながら、啼泣した。

耐えられない、と思った。

もし一人だったらどうしよう。そんなの無理だ。絶対に耐えられない、と。

やがて涙でぼやけた目で、彼はようやくそれをとらえた。

シャンプーや石鹼皿を置くための狭いカウンターに載っている、浴室にはひどく異質な黒いものを。

ノートパソコンだった。

ひらかれている。液晶画面がこちらを向いている。

だが電源は入っておらず、画面は真っ黒だった。

「なんだよ……」

渉太は啜り泣いた。

洟が垂れてくるのがわかった。だが手は背中で縛られており、拭うこともできなかった。

「……なんだよ……。わけ、わかんねえよ、なんなんだよ……」

ぐったりとうなだれ、彼は痛みと恐怖の中でひっそりと泣いた。

6

木戸紗綾の“元彼”こと羽田龍成は、両目を真っ赤に泣き腫らしていた。

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彼は高比良たちに向きあうやいなや、

「おれじゃないです」

と言った。

「おれはなにもしてません。昨日は午前中ずっと講義だったし、午後はバイトのシフトが入ってました。ほんとです。疑うなら、出席票とタイムカードを確認してください」

紗綾は十日から行方を絶ったと知らないらしいな、と高比良は思った。

とはいえ即断はできない。しらばっくれているだけかもしれない。

「ほう。疑われそうな心あたりでも?」

工藤が問うと、羽田の目もとが軽く痙攣した。

「ありませんよ。そんな……絶対にないです」

「あなたは木戸さんと交際されていたそうですね。いつからのお付き合いでした?」

高比良は尋ねた。

気を落ちつけるためか、羽田は深呼吸ののち答えた。

「い、……一年生の、冬くらいからです」

「では、丸一年ほど交際したわけだ。なぜ別れたんです?」

「それは、いろいろ行き違いがあって」

「行き違いと言うと?」

「べつに大きなきっかけはないですよ。ボタンの掛け違い、って言うんですか? ちいさいことが積み重なって、だんだんうまくいかなくなって……。よくあることじゃないですか。なにもおかしかないですよ」

「立石繭さんとは、どういうご関係です?」

ずばりと高比良は切りこんだ。

羽田は絶句した。完全に虚を突かれたらしい。目が左右にきょときょとと動く。手の甲で、彼は唇を拭った。

「どういうご関係ですか?」高比良がいま一度問う。

まだ目を泳がせたまま、羽田は言った。

「繭は、……あいつは、もう関係ないです。サークルだって、春になる前に辞めさせましたし」

「だいぶ揉めたとお聞きしましたが」

「だ――誰が、そんなことを」

羽田が気色ばんだ。その言葉を高比良は無視して、

「あなたと木戸さんとの破局には、立石繭さんが関係しているんですか?」

と訊いた。

羽田は一瞬詰まり、ふたたび手の甲で唇を拭った。

動揺したときの癖らしいな、と高比良は察し、言葉を継いだ。

「ちなみに警察は現在、木戸さんのスマホを解析中です。あなたがこの場でごまかしても、すぐわかることだとだけ言っておきます」

「だったら……」

羽田が言いかけ、言葉を呑む。だったらなぜ訊く、と言いたいらしかった。だがさすがにそれを口に出さないだけの、最低限の分別はあるようだ。

羽田はわずかに顔をそむけて、

「出来心というか……。あの、深い意味は、なかったんです」

と言った。

「だって繭のやつが、ちょっと可愛かったから。だからもうすこし親しくなろうかなって思って、それで」

「つまりあなたのほうから、ちょっかいを出した?」

「そういう言いかたされると、アレですけど。……まあ、そういうことですね」

「それを木戸さんに知られたんですか」

「いや、それもそうですけど、繭が」

「彼女のほうが、本気になってしまった?」

またも羽田が手の甲で唇を拭う。

しかしそのまぶたは伏せられ、目には諦めの色が浮きつつあった。

「そんな感じです。……というか繭は、それとは関係なく、前から紗綾のことが気に食わなかったみたいで」

「前から、とは? なんの前です」

「なんというか……紗綾と繭は、中高とも同じ永学だったんです。学年は繭のほうがひとつ下ですけど、あいつはその頃から、紗綾のこと知ってたみたいです」

羽田はおもねるように高比良を見上げた。

「紗綾が永学にいた頃、付き合ってたやつ――瀬尾なんとかって男が、評判よくなかったらしくて。繭は『そんな男の彼女だった女なんか、絶対ヤバいよ』って言ってました。おれたちを別れさせようとして言ってたんだと思うけど……。結構、いや、かなりしつこかったです」

「それであなたは? どうしたんです」

「なんていうか……正直、引きました。繭があんまりうるさいんで、ウザくなってきて……。『いま紗綾はおれと付き合ってんだからいいだろ』って、その話題は無視しました。でもそしたら繭が、紗綾に地雷かましちゃって」

「地雷?」

意味がわからず、高比良は問いかえした。

羽田の顔がすこし赤くなる。

「えーっと、つまりおれとアレしたこと、彼女が自分から紗綾にバラした、ってことです」

「なるほど」高比良はうなずいた。

「それで二人は揉めたわけだ」

「揉めたっていうか、紗綾のほうがキレちゃったんです」

「立石さんにですか」

「いや、おれにもです。紗綾、ああ見えて怒ると怖いんですよ。だからおれはもう土下座に次ぐ土下座って感じだったんすけど、繭のほうは……」

「折れなかった?」

「はい。おれは……悪いけど、紗綾に付きました。それで諦めてくれるかと思ったのに、繭はヒートアップする一方で」

「ヒートアップとは? 具体的にどういうことです」

「なんていうか、ストーカーみたいになりました。おれにじゃなく、紗綾にです。あいつが住んでるマンションのまわりをうろついたり、SNSにいやがらせしたり」

――紗綾ちゃんはいやがっていたようですね。

――ストーカーがどうとか愚痴ってましたから。

サークルの部長の言葉が、高比良の鼓膜によみがえる。ではストーカーは羽田ではなく、立石繭だったのか。彼はひっそり唇を曲げた。

工藤が代わって質問する。

「立石さんが木戸さんのSNSにいやがらせをしたのは、いつ頃のことです?」

「ええと、去年の秋から冬にかけてかな。でも紗綾、すぐに繭のことブロックしましたからね。ダイレクトメッセージ中心のいやがらせだったし、ウェブ上じゃあ確認できないと思います」

「立石さんのアカウントIDをご存じですか? でしたら教えていただけませんか」

「あ、はい。おれもブロック済みですけど……。これです」

スマートフォンを操作して、羽田が画面を差しだす。

工藤は自前のSNSアカウントで、そのIDをフォローした。

「でも……。でももう、済んだことなんです」

スマートフォンをしまいながら、羽田はもごもごと言った。

「おれが間に入って繭をサークルから退会させて、それで全部片が付いたんです。……だから、まさか彼女が、紗綾をそんな。……そこまでは考えられない。殺すなんて、あり得ませんよ」

次いで高比良と工藤は、立石繭から事情を聞こうとした。

しかし彼女は大学を休んでおり、不在であった。理由は“友人と京都へ旅行”。

その場で工藤が繭のSNSを再確認する。

結果、旅行はほんとうであった。最新の更新は伏見稲荷大社の千本鳥居をバックに、女友達と並んでピースサインを出す繭の画像だった。

◇  ◇  ◇

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『残酷依存症』

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