見出し画像

田中圭主演Huluドラマ原作!”いや、ヤツはクロですよ” #3 死神さん

3

新宿区歌舞伎町を抜けた先にある、古びた雑居ビルの前で、儀藤は足を止めた。自分の携帯画面に目を落とし、再度、ビルを見上げる。

「ああ、ここだ」

そう言いながら、地下へと続く階段を下り始めた。
上じゃないんだ……。上を見ながら、下へ下りる。儀藤の行動、言動はいつもこのようにちぐはぐだ。

明かりもない暗い階段を下りると、目の前に木製のドアが現れた。看板もプレートも何もない。儀藤はノブを回し、中に入った。若奈は彼の背に隠れるようにして続く。

部屋はこれまた薄暗い。その一方で、耳を塞ぎたくなるほどの音で、ジャズがかかっていた。低音が下腹部にじんと響き、サックスの割れんばかりの音が悲鳴のように耳に刺さる。暗がりに目が慣れてくると、不規則に置かれたソファとテーブルがぼんやり見える。奥の壁際には、小さなカウンターのようなものがあった。

儀藤はソファなどを巧みに避(よ)けながら、奥へ進んでいく。彼は夜目が利くようだった。
カウンターに近づくと、そこに痩せた白髪の老人が立っていることが判った。壁と一体化したようなその人物は、儀藤に向かって何か囁(ささや)く。

ドラムの激しい連打に遮られ、声は聞こえない。儀藤は何度かうなずくと、若奈の方を向き、部屋の一角を指さした。何も見えない。まもなく、その一角だけがほんのりと明るくなった。天井の照明がそこだけついたのだ。

出入口のちょうど後ろ側、入ってきた者からは死角になる位置に、男が一人座っていた。足を組み、音に合わせつま先を上下させている。髪は白くて棒のように痩せており、祈りでも捧げているかのように両手を合わせ、それを薄い胸板の上に置いていた。

「羽生警部補……」

若奈は思わず、男の名を口にしていた。それに合わせるかのように、響き渡っていたジャズの音が消えた。
羽生は閉じていた目を開く。並んで立つ儀藤と若奈を見て、すぐに状況を悟ったようだ。穏やかな笑みと共に、「やあ」と右手を上げた。

「いずれ来るとは思っていたけれど」

儀藤は恭しく頭を下げ、名刺をだす。

「警視庁の方から来ました、儀藤堅忍警部補でございます」
「ああ、あなたが死神さん」
「そんなあだ名で呼ばれているようです」

羽生は若奈に視線を移すと、哀れみを浮かべた目でつぶやく。

「三好さんだったかな。死神の御眼鏡にかなったのは君か」
「ごぶさたをしております」
「幸い、ほかに客もいないから、適当に座って下さい。ここはジャズ喫茶なんだが、実はまだ営業時間前なんだ。特別に開けてもらっているので、飲み物は注文できない」

「お気遣いは無用です。お話さえ、聞かせていただければ」
「波多野夫妻の事件についてでしょう? 僕で判ることなら、何なりと。まあ、あんなことになって、僕のところにもチラホラと取材の申しこみが来た。もうすぐ定年とはいえ、まだ現役の捜査官だからねぇ。桜田門に出社するわけにもいかず、こうやって普段、隠れ家として使わせてもらっている場所で、時の過ぎるのを待っているわけさ」

「しかし、あなたのような方がこんなところにいて、捜査に支障はないのですか?」
「もう担当は持っていないのですよ。後進に道をゆずれということでね。最近はもっぱら内勤で。退職後は嘱託として残ることになっていますがね、昔のようにはいきませんよ」

そう語る羽生の顔は、何とも寂しげだった。彼はため息を一つつくと、続けた。

「その上、あの事件が無罪になるとはねぇ……。責任を痛感しています。車両窃盗とひき逃げから、計画殺人へと見立てを変えたのは、僕ですから」
「その点について、いくつかおききしたいのです。お気を悪くしないでいただきたいのですが」
「構いませんよ」

「波多野一氏の死が殺人であると考えた根拠は、何だったのでしょう?」
「ファイルにも書かれているし、あなたのことだ、もう調べておられると思うが……」

羽生は長い足を組み替える。

「まずはブレーキ痕がなかったこと。窃盗犯が必死になっていたとはいえ、目の前に人が飛びだしてきて、それをまったく動じることなく轢き殺すというのは、どうにも解せなかったのです」

「一氏を轢いた車は、現場に乗り捨てられていたのでしたね」
「ええ。前部の損傷も酷かったし、フロントガラスも割れていた。エンジンなどは無事だったとはいえ、そのまま走り去ることはできなかったでしょう」

「運転手の痕跡は?」
「初動の段階で徹底的に当たりましたが手がかりはなしでした。ただ、現場周辺は人通りもない。まして事件は早朝だった。車を乗り捨てた運転手が、そのまま最寄りの駅に行き逃走した可能性は消えません」
「そこに妻百合恵氏の証言があれば、車両窃盗犯によるひき逃げと誰しもが考える」

羽生はやや不満げに、組んだ足のつま先を上下に揺らした。

「ブレーキ痕がない点をもっと重要視していれば、初動でもたつくことはなかった──、そう言いたいのですか?」

儀藤は大仰(おおぎょう)な仕草で首を左右に振った。

「とんでもない。ブレーキ痕の疑問から、証拠品の見直しを行い、結果、指輪を見つけだした。すべてはあなたの手柄ですよ」

「よして下さい。指輪の見落としは痛恨のミスだ。それが直接の原因ではないが、百合恵は無罪になった。手柄どころか、汚点です。僕がここでこうしているのはね、言うなれば、出社に及ばずってことでしてね。下手に顔をだせば、マスコミの餌食(えじき)になる。居場所がばれないよう、大人しくしていろ。そう命令されました」

儀藤は羽生の愚痴をあっさりと聞き流し、阿(おもね)るような笑いとともに質問を続けた。

「指輪ですが、タイヤの下から見つかったとか。それはどういうことなのです?」
「加害車両は犯人逃走後、少し動いていたのですよ。現場はほんのわずかな下り坂でした。サイドブレーキも引かず放置されていたので、タイヤ一回転分ほど、車が前進したと思われます」
「なるほど。指輪はその前進前、地面に既に落ちていた、ということですか」

「いつも身につけている指輪が、現場に落ちていた。しかも加害車両の真下です。指輪が落ちていた場所で偶然、ひき逃げ事故が起きたと考えるよりも、逃走を図る犯人が現場に落としたと考える方が自然でしょう」

「確かにそうですな。もしかすると、犯人は指輪を落としたことに気づいたかもしれない。しかし、タイヤの下に入ってしまったため取りだすことができなくなった。そうも考えられますな」

「いずれにせよ、被害者の妻百合恵は、現場にいた。僕はそう考えました」
「確認ですが、問題の指輪を百合恵氏はいつも身につけていた。そんな指輪が簡単に外れますかね」

「知人などから証言を得ました。加齢とともに指が細くなり、指輪が外れやすくなった。百合恵はそう話していたとのことです」
「なるほどねぇ。それで、指輪の件を百合恵氏本人は何と?」

羽生は下唇を嚙み、眉をやや顰(ひそ)めつつ言った。

「いつの間にか無くなっていた。なぜ現場にあったのかは判らないと」
「とはいえ、犯行は既に自供していたし、そこに指輪。百合恵氏は限りなくクロに近いですなぁ」
「いや、ヤツはクロですよ」

羽生が初めて、刑事の顔になった。今の一言が、彼の偽らざる本音なのだろう。

「なるほど、判りました」
儀藤はパタンとファイルを閉じる。
「お楽しみのところ、申し訳ありませんでした」
羽生は立ち上がる儀藤を見上げ、言った。

「もういいんですか? まだ肝心のことが残っているのに」
「と言いますと?」
「なぜ、百合恵が無罪になったのか」
「それはなぜだとお考えです?」
「弁護士ですよ」
「百合恵氏の担当弁護士は、三宅慶太(みやけけいた)氏ですね」
「そう。やり手ですよ。やられました」

「そこから先は、三宅氏本人から聞くことにします」
「ほう、彼に会われるんですね」
「ええ。既にアポイントも取ってあります」
「僕が言うのもなんですが、彼は正義感の強い、いい弁護士ですよ。それゆえ、我々警察に対する態度も……」
「その辺りのことは承知しています。なかなか鼻っ柱の強そうな人物ですな」
「健闘を祈りますよ」

羽生はそう言うと、椅子に深々と座り直し、胸の前で手を組むと、目を閉じてしまった。
それを合図にしたかのように、再び、大音量で音楽が響き始めた。
儀藤はファイルをつめたカバンを抱えるようにして持ち、若奈に言った。

「二人目ですね」
「何がです?」
「百合恵氏が有罪だと確信していた人がです」

◇  ◇  ◇

連載一覧はこちら↓

画像1

死神さん

紙書籍はこちらから
電子書籍はこちらから

<作品概要>
主演・田中圭×監督・堤幸彦が贈る痛快ミステリードラマ
Huluオリジナル「死神さん」
9月17日(金)独占配信スタート!
毎週金曜に1エピソードずつ配信(全6話)

死神と呼ばれる嫌われ者のクセモノ刑事が、
事件ごとに”相棒”を替えながら
闇に葬られた冤罪事件の真相をあぶり出していく!

■出演:田中圭 前田敦子 小手伸也 蓮佛美沙子 りんたろー。 長谷川京子 竹中直人 ほか
■原作:大倉崇裕「死神さん」(幻冬舎文庫)
■演出:堤幸彦(第壱話・第弐話・最終話)、藤原知之(第参話・第肆話)、稲留武(第伍話)
■脚本:渡辺雄介
■主題歌:「浮世小路のblues」宮本浩次(ユニバーサル シグマ)
(C)HJホールディングス