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私と付き合ってください…泣けるラブ・ミステリー #5 はじめましてを、もう一度。
「私と付き合ってください、君に死んで欲しくないから」。高校二年の北原恭介は、クラスの人気者・佑那から突然、告白された。夢のお告げでは、断ったら「死んじゃう」らしい。思いがけず始まった、謎だらけの関係。その裏には、彼女が言えずに抱えている重大な秘密があった……。若い世代から圧倒的支持を誇る、喜多喜久さんの『はじめましてを、もう一度。』。ラストに向かって涙が止まらない、本作のためし読みをお届けします。
* * *
「あの、いいかな」
声を掛けられ、俺と高谷は動きを止めた。牧野は教壇のそばに立っていた。表情がいつもと違って硬い。俺たちの無益で幼稚な諍いに呆れている……わけではなさそうだ。どうやら緊張しているらしい。
「何か用?」と俺は尋ねた。
「ちょっと話があるんだ。こっち、来てくれる?」
二回だけ手招きして、牧野は教室を出て行った。
いきなりどうしたのだろうと首をかしげていると、「おい、なにフリーズしてんだ」と高谷にツッコまれた。
「いや、訳が分からないから」
「女子が呼んでるんだから、さっさと行って来いよ」
「なんだよ、お前、フェミニストかよ」
「ジェントルマンと言ってくれ。ほれ、行け行け」
高谷に背中を押されながら、俺は教室を出た。
牧野は廊下の中ほどで待っていた。また小さく手招きをして、歩き出す。
振り返ると、高谷がこちらを見ていた。興味津々の眼差しだ。「ついてくんなよ。っていうか帰れ」と釘を刺し、牧野のあとを追う。
牧野は階段を上がっていた。三階を通り越し、さらに上へと向かっている。四階には家庭科室や放送室、視聴覚室などがある。特別授業がある時にしか立ち入らないフロアだ。その階で話をするつもりらしい。
四階にたどり着くと、牧野は左右を見回し、さらに廊下を奥へと進んでいく。俺はすでに彼女に追いついていたが、横に並ぶのはなんとなくためらわれたので、二メートルほど後ろを歩くようにした。
辺りにひと気はなく、しんと静まり返っている。聞こえるのは、上履きのゴム底とリノリウムの廊下がこすれて立てる足音と、グラウンドで野球部がボールを打つ音だけだった。
牧野が足を止めたのは、廊下の奥にある和室の前だった。茶道部が使っている八畳の部屋だが、今日は部活が休みなのか、部屋の明かりは消えていた。
牧野がゆっくりと振り返る。それに釣られ、俺も後方に目をやった。まっすぐに延びた廊下に午後の陽光が落ち、玄関先の飛び石のような模様を描き出していた。
「大丈夫、誰もいないよ」
牧野が囁くように言う。その声は小さかったのに、どきん、と俺の心臓が弾かれたように大きく跳ねた。
顔を正面に戻すと、牧野は俺をじっと見ていた。そうすることが自分の使命だとでもいうように、まっすぐに俺の目を見つめている。
遠慮なく向けられるその瞳の圧力に耐えきれず、俺は目を逸らした。
「……話って、何」
喉から出てきた俺の声は、寝起き直後のようにかすれていた。
「うん。誰か来るといけないから、早く済ませるね」牧野はそう言って、一歩分、俺との距離を詰めた。「私と付き合ってください」
「はっ?」
耳にした言葉の意味がとっさには理解できず、俺は思わず顔をしかめてしまった。
「なに、その反応」と牧野も眉をひそめる。
「……ごめん、なんて?」
「ちょ、二回も言わせるの?」
「いや、よく聞こえなかったから」
牧野は右手で髪を撫で、大きなため息をついた。
「付き合って、って言ったの。あ、誤解を防ぐために言うけど、今からどこかに行こうって意味じゃないよ。男女交際の方」
牧野はいつもより早口で喋っていた。嘘くさいくらいに焦っているように見える。
俺は五秒ほど考えを巡らせ、「意味は分かった」と頷いてみせた。要するに俺は、交際を申し込まれたのだ。
そこで、俺たちの間に沈黙が生まれる。先に口を開いたのは牧野だった。
「……えっと、あの、返事は?」
俺は天井を見上げ、それから足元に目を落として、「ごめん」と言った。
「ごめんって……え? 断るってこと?」
「あーっと、断る断らない以前のことで」俺は自分のつま先を見ながら説明する。「たぶんこれ、ドッキリなんだよな。『学年一位のガリ勉野郎がカースト上位の女子から告白されたら、どんな反応をするか?』みたいなさ。もしかして、動画とか撮ってるのかな。それか録音? あとでネットにアップしたりすんのかな」
「えっ……」と牧野が絶句する。
俺は彼女の方は見ずに、ぐるりと周囲を見渡した。目に見える範囲に、こちらに向けられたレンズは見当たらなかった。
「どこにあるのか分かんないや。かなり手間を掛けて準備したんだろうな。でも、俺、そういう悪ふざけに付き合うほどノリがよくないから。悪いな、期待通りのリアクションができなくて。つまり、さっきのはそういう意味の『ごめん』だよ。じゃ、そういうことで」
俺は一気にそこまで伝えきり、牧野に背中を向けて歩き出した。
廊下の角を曲がり、階段を降り始めても、牧野の足音は聞こえてこなかった。それで、俺は自分の推測が正しかったことを知った。
はっきり言えば、俺は失望していた。
牧野が自分を好きじゃなかったことに、ではない。そんなのは当たり前だ。そうではなく、牧野がこういう、誰かを傷つけて喜ぶような悪ふざけに手を出したことに、俺はがっかりしていた。
牧野は明るくて、社交的で、誰とでも仲良くなれる「そつのなさ」を持っている。両手足の指を使っても数えきれないくらい友人がいて、充実した高校生活を送っている。
牧野はその状態に満足していると思っていた。だが、俺は牧野を過大評価していたようだ。牧野は退屈な日常に飽きを感じ、俺をターゲットにしたイタズラを仕掛けてきた。しかも、かなりたちの悪いやつを。
自分がイジられる側に回ったことは、仕方ないと思う。周りから疎まれる生き方をしているという自覚はある。牧野がやらなくても、いずれ何らかの攻撃を受けていた可能性はあるし、そうなった時の対処もシミュレートしてある。牧野の告白が偽物だと即座に看破できたのも、その準備のおかげだった。
恥をかかずに済んだことはよかった。だが、できればこの緊急回避術を、牧野相手には使いたくなかった。それが俺の率直な気持ちだった。
二年四組の教室に戻ると、鬱陶しいことに高谷はまだいた。太い眉を撫でながら、俺の席で自分の答案を眺めている。
「なんだよ、帰れって言っただろ」
「いや、帰れるかよ。牧野と何の話をしてたんだよ」
「それの話だよ」と俺は答案用紙を指差した。「模試の点数を知りたいんだってさ」
「……それだけか?」
「残念ながら、と言えばいいのかな」と俺は肩をすくめてみせた。「お前が何を期待してたか知らんが、極めて事務的なやり取りのみだった」
「ふーん。そんなの、ここでサクッと訊けばいいのに」
「お前がいるから気を遣ったんだろ」
「ああ、なるほど、そういうことか」
高谷は俺の嘘に簡単に騙されてくれた。「牧野って、意外と俗物なんだな」などと言いながら、教室を出て行こうとする。
「ちょっと待った」俺は高谷を呼び止め、自分のリュックサックを手に取った。「俺ももう帰るわ。駅まで一緒に行こうぜ」
「別にいいけど、珍しいな。俺から化学の知識を盗むつもりか?」
「あいにくだけど、盗むようなものは何もないね」と返し、俺は教室を出た。
俺の挑発に乗り、高谷が「おい、侮辱だぞ!」と文句を言いながら追い掛けてくる。俺は高谷に追われながら、小走りに階段を駆け下りた。
このあと、ひょっとすると牧野が教室に現れるかもしれない。その可能性を考えると、とてもじゃないが居残って勉強する気にはなれなかった。
その夜。俺は自室のベッドで時間を持て余していた。趣味のプログラミングに取り組む気にはなれず、さりとてすんなりと眠れるわけでもない。放課後のあの一件は、未だに尾を引いていた。
牧野からの突然の告白――ごっこ。
俺はあれを悪ふざけの一種だと即断した。その対応が間違っていたとは思わない。しかし、こうして時間が経つと、どうしても「ひょっとしたら」という気持ちが浮かんできてしまう。つまり、あれがイタズラではなかった、という可能性だ。
牧野が、本気で俺と付き合いたいと望む。そんなことが果たしてありうるだろうか。
春休みに近所の歯科医院で知り合ってから今日まで、何度か牧野とは言葉を交わした。どの会話も短く、当たり障りのない内容だった。勉強の仕方がどうとか、成績がどうとか、そんな話だ。そこに、色恋の気配はなかった……と思う。
去年のうちから牧野が俺を気にしていた、というパターンも考えられる。自分の容姿が異性を惹きつけるものだとは思わないが、その辺のセンスは千差万別で、個々人の資質に拠るところが大きい。何が起きてもおかしくない。
牧野は人知れず、俺に片思いをしていた。しかし、晴れてクラスメイトになったものの、すぐには想いを伝えられず、また、恥ずかしさからろくに話し掛けることもできず、ひと月が経過した。そして、今日、とうとう一大決心をして、牧野は俺に告白することを決意した――。
「……いや、ないな」
そう呟き、俺は寝返りを打った。こんなの、推測じゃなくて妄想だ。全然現実味がない。あれはやっぱりイタズラだと考えるのが妥当だろう。
悶々と余計なことを考えていると、本格的に眠れなくなりそうだった。とにかく布団に潜り込めば、そのうち朝がやってくるだろう。俺は部屋の明かりを消すために、いったんベッドを降りた。
壁のスイッチを押す前に、時計に目をやる。午後十一時半を過ぎていた。
異音を耳にしたのは、その時だった。
かちん、と、何かが窓にぶつかる音がした。
気のせいかと思ったが、十秒ほどして、また同じ音がした。
――まさか……?
俺は唾を飲み込み、カーテンを開けた。
ガラス窓に顔を近づける。家の前の道に、人影が見えた。スポットライトのようにアスファルトに落ちる街灯の光の中、こちらをじっと見上げているのは、緑色のパーカーを着た牧野だった。
……俺は、幻覚を見ているのだろうか?
窓を開けると、初夏の夜気がふわりと首筋にまとわりついてくる。俺は窓枠に手を掛け、顔を外に突き出した。
牧野は間違いなくそこにいた。真顔でこちらに向かって手招きをしている。出てきて、ということだろう。
「……今、そっちに行く」
俺は小声で答えて窓を閉めると、ジーンズに穿き替えて部屋を出た。
◇ ◇ ◇