フェアプレーの象徴・佐藤寿人があえてイエローカードをもらった深い理由 #4 小さくても、勝てる。
身長という壁、2度のリーグ降格、原因不明の病。170センチの小さなストライカーは、挫折のたびに「考え続ける」ことで得点王に上りつめた……。サンフレッチェ広島などで活躍し、昨年、惜しまれつつ引退したプロサッカー選手、佐藤寿人。初の著書『小さくても、勝てる。』は、今まで明かさなかったこだわりのゴール理論や、秘められたエピソードを忌憚なく語った一冊だ。サッカーファンお待ちかねの本作の、ためし読みをお届けします。
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警告も退場もなかったのに……
2012年のJリーグアウォーズでは、MVP、得点王と選ばれる中、フェアプレー個人賞を受賞した。そのスピーチで、僕はこう話させてもらった。
「このような素晴らしい賞を自分自身2回目という形でいただけたことを非常にうれしく思っています。僕の二人の息子も、今、サッカーをしています。息子にはもちろんですが、多くのサッカー少年に、フェアプレー精神を持ってサッカーを続けていくことを、トップレベルの位置から伝えていければと思っています。このような素晴らしい賞をいただけたことに感謝しています。ありがとうございました」
2007年に続く、2度目のフェアプレー個人賞は本当に名誉なことだった。年々、球際でのせめぎ合いやゴール前での駆け引きが激しくなる中、シーズンを通して一度も警告、退場を受けなかったことは自分の誇りでもある。
最近はテレビ中継の機材も進化していて、タッチライン沿いに置いてあるマイクもかなり広範囲で音声を拾うので、削られたときに一言文句でも言ってしまえば、その声を拾われてしまう可能性もある(笑)。
それは冗談だけど、レフェリーにも主張はするが、決して文句は言わない。だから、異議によるカードはほとんどもらったことがない。
そう言っておいて何だが(笑)、実は僕が最後にイエローカードをもらったのは、異議によるカードだった。2011年7月27日に等々力競技場で行われたヤマザキナビスコカップ1回戦の第2戦で、僕はレフェリーに異議を申し立て、警告を受けた。実際はその場にあった給水用のボトルを投げつけたのだが。
ハートは熱く、心はクールに
後半34分、右サイドでミカ(ミキッチ)が相手選手に倒されてボールを奪われ、それを奪い返そうとした(髙萩)洋次郎がファールを取られた。主審は洋次郎の行為を反スポーツ的行為と見なし、イエローカードを提示した。
その直前でミカが倒されたシーンも同様にファールであり、それを不服に思ったペトロヴィッチ監督はレフェリーに主張したが認められず、執拗な抗議として退席処分となったのだ。
それも退席の決定打となったのが、対戦相手の選手が、ペトロヴィッチ監督がピッチに給水ボトルを投げつけたと発言したのを聞いての判定だった。
でも、真相は違う。僕はその場面をよく見ていた。本当は副審であるラインズマンが下がるときに給水ボトルを踏んだため、それがピッチに入っただけだったのだ。ペトロヴィッチ監督は判定に対して主張はしたが、決して給水ボトルを投げつけてなんかいなかったし、蹴ってもいなかった。
正直、監督の退席処分には納得がいかなかった。僕は事情を説明しに主審のところに駆け寄り話したが、受け入れてもらえなかった。このままでは事実が明るみになることはなく、審判団のミスも見逃されてしまう。
すでに僕は2007年にフェアプレー個人賞を受賞していた。周囲から自分がフェアな選手であるという認識を抱いてもらっていることも十分に理解していた。だから僕は、この場面をただの退席処分で終わらせたくない、なぜ監督が退席しなければいけなかったかをきちんと取り上げてほしいという思いから、近くにあった給水ボトルを地面に投げつけた。
当然、主審はその行為に対してイエローカードを提示した。ただ僕の行為は、一時的な衝動によるものではない。論点を明確にしたいがための行動だった。
試合中に熱くなることはあるけれど、感情的になることは決してない。冷静にプレーし、冷静に対応する。チームメイトに言葉を掛けるのも状況を判断した上での行動であり、審判に主張するのも正当にジャッジしてもらうがための行動だ。それくらい試合中、僕の頭の中はクールなのだ。
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