ついに常務に昇格した二瓶を待ち受けるのは…? #1 メガバンク全面降伏 常務・二瓶正平
第一章 コロナの猛威
「新型肺炎?」
日本でその言葉を人々が耳にしたのは二〇二〇年一月のことだった。
中国武漢で流行、というニュースを対岸の火事と思っていたのも束の間、日を追うごとに大きな騒ぎへと急速に変わっていった。
COVID–19、『新型コロナウイルス』と呼ばれるその感染症は、日本を含む様々な国へ広がりを見せたのだ。パンデミック、感染症の世界的流行だった。
その未知の感染症はインフルエンザの数百倍の致死率とされ瞬く間に世界中に拡散、二月に数千万人が罹患し数十万の死亡が伝えられた。
「一体どれほど恐ろしい病気なんだ!?」
新型コロナウイルスへの人々の恐怖は増すばかりだった。
各国は都市封鎖、ロックダウンでの感染食い止めに動き、日本も国民生活並びに経済活動を大幅に抑制する検討に入った。
目に見える経済活動の殆どが自粛の名の下にストップし、いつ正常に戻るか誰にも分からない。
「兎に角動かないこと。人との接触を避けること」
商業施設は医療品、日用品、食料品を扱う店舗以外は全て閉店となり飲食店も大半が営業を取りやめた。映画やコンサート、スポーツ観戦も全て中止となり東京オリンピック・パラリンピックは延期された。
「ステイホーム! 家にいて下さい!」
東京の銀座や渋谷、新宿から人の姿が消え、ゴーストタウンと化した。
株式市場は未曽有の大暴落となり、あっという間に弱気相場(高値から二割以上の下落状態)入りとなった。
「これが本当の暴落というものか?」
今を生きる人々が誰も経験したことのない状況に置かれてしまったのだ。
マスクやトイレットペーパーが買い占められて店頭から消えてしまったことで、人々の不安は募る一方だ。
「一体……どうなってしまうのか?」
皆の心の裡(うち)はただ暗く重くなるばかりだった。
丸の内に聳(そび)える東西帝都EFG銀行(TEFG)本店ビル。
三十五階建てのそのビルの最上階に役員大会議室はある。
そこでは〝緊急全体役員会議〟が開かれていた。
TEFGの役員会議には三種類ある。
専務以上の〝上級役員会議〟、常務以上の〝役員会議〟、そして執行役員を含めた〝全体役員会議〟の三つだ。
それぞれ月に一度、定例で行われ臨時でも開催される。
コロナ禍を目の当たりにした今、緊急での全体役員会議が招集されたのだ。
〝全体役員会議〟では三十名を超える役員全員が集合する。通常であれば「日本最大の銀行ここにあり」といった威厳に満ちた空気が会議室全体を占めるが……今は違った。
三十名を超える役員ほぼ全員が、未曽有の事態に緊張を見せていた。
最大のメガバンクとして日本経済を支え、世界でも確固たる存在感を放つ銀行の役員たちが皆、これまで感じたことのない不安な様子を見せていたのだ。
しかし、その中にあって一人、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせる役員がいた。
銀行員として様々な艱難辛苦(かんなんしんく)を舐めて来た人物で昨年常務に昇格した、二瓶正平という男だ。
その場の全役員中、職業人として最も苦労を重ねているにも拘わらず……どこか飄々としている。
それはコロナ禍の今もそうだった。
二瓶正平、親しい友人はヘイジと呼ぶ。
瓶と平、へいとへい、〝ヘイの二乗でヘイジ〟という中学時代からのあだ名だ。
ヘイジにとってTEFG常務への到達は、他の行員たちとは道のりが違っている。
「日本最大の銀行の常務になったと思ったら新型コロナ……どこまでも僕には苦難がついて回るということか」
そう思いながらも泰然自若(たいぜんじじゃく)の雰囲気をヘイジは漂わせていた。
メガバンク、いや今や〝スーパー・メガバンク〟とも呼ばれる東西帝都EFG銀行、その誕生の経緯から日本経済の栄枯盛衰が見て取れる。
明治の時代から日本の産業界に君臨し続ける財閥、帝都グループ。
その帝都の扇の要である帝都銀行と外国為替専門の国策銀行としての出自を持つ東西銀行がバブル崩壊後に合併、大小二つの都市銀行がひとつとなり東西帝都銀行が生まれた。
総合的な大銀行の強みと外国為替の高い専門性を併せ持つ〝理想的銀行〟と呼ばれたが、そこには巨大銀行を創りたいという金融当局の思惑があった。
帝都銀行は他行に比べ積極性に欠け、業界内で〝お公家さん集団〟と揶揄される行風が幸いして八〇年代に過剰融資に走らず、バブル崩壊後の不良債権は他行に比べ圧倒的に少なく、東西帝都銀行は〝健全銀行〟とされた。
「銀行は絶対潰れない」という戦後日本経済の神話がバブル崩壊後に消える中、金融当局は混乱を抑えるため不良債権を抱えた〝問題銀行〟を大きな〝健全銀行〟に吸収させる必要に迫られた。
都市銀行の中で〝問題銀行〟とされたのが、関西系の大栄銀行と中部圏を地盤とする名京銀行だった。
金融当局はその二つを合併させ、EFG銀行(Eternal Financial Group)を誕生させた後、東西帝都銀行にEFGを吸収合併させた。
こうして誕生したのが日本最大のメガバンク、東西帝都EFG銀行だったのだ。
大に小を呑み込ませる形で生まれるのが、出身行員の間のヒエラルキーだった。
「帝都に非ずんば人に非ず」
TEFGでは、帝都銀行出身者が圧倒的な行内支配を強めていった。しかし、大きな問題が次々と起こった。
五兆円の超長期国債の購入直後に国債市場が暴落、巨額の損失を抱えたことで破綻・国有化の危機を迎える。
瀕死の状態となったTEFGを巡って米国の巨大ヘッジ・ファンドが買収に乗り出し、株の争奪戦に発展したが辛くも買収を免れることに成功した。
その後も中国巨大資本による買収という絶体絶命の危機を迎えたが、それも防ぐことが出来た。
それぞれの危機回避に尽力したのが東西銀行出身の役員、桂光義だった。
桂は米国ヘッジ・ファンドとの攻防戦での勝利の功績から、頭取となった後に退社した。
相場師としての気質の強い桂は頭取の仕事に馴染めず、相場に集中したいと独立し自分の投資顧問会社を設立したのだった。
しかし、中国資本による買収に際しては、再びTEFGを助けその危機を救った。
その桂に協力してTEFGを守った功労者が二瓶正平、ヘイジだった。
名京銀行出身でTEFGの中では絶滅危惧種などと揶揄されながらも、誰からも嫌われない不思議な魅力でしたたかに生き抜き常務にまでなったのだ。
三十名を超えるTEFGの役員の出身銀行を見ると実状がハッキリと分かる。
専務以上は全て帝都銀行出身者、五人の常務のうち三名が帝都出身であとは大栄出身者が一人と名京出身のヘイジ、そして十五名の執行役員の全てが帝都の出身者だった。
金融庁の主導で誕生した〝スーパー・メガバンク〟……それは地方銀行の再編によって誕生したSRB(スーパー・リージョナル・バンク)六行を、三つのメガバンクが買収する形で綺麗に成し遂げられる筈だった。
東西帝都EFG銀行、敷島近衛銀行、やまと銀行の三つのメガバンクがSRBを呑み込む形でスーパー・メガバンクを誕生させる。それが金融庁の目論見だった。
六つの巨大地方銀行、スーパー・リージョナル・バンク=SRB。
・北日本グランド銀行(北海道・東北)
・関東中央銀行(関東・甲信越)
・中部日本銀行(東海・北陸)
・関西セントラル銀行(関西)
・西日本ロイヤル銀行(中国・四国)
・大九州銀行(九州・沖縄)
その六つへのTOBによる買収に、三つのメガバンクが挑んだ。
東西帝都EFG銀行は関東中央銀行と大九州銀行に対し、敷島近衛銀行は中部日本銀行と関西セントラル銀行に対して、やまと銀行は北日本グランド銀行と西日本ロイヤル銀行に対してTOBを掛けた。
結果として、敷島近衛銀行とやまと銀行がTOBを成功させた。
だがTEFGは大九州銀行へのTOBを下野していた桂光義に阻止され、関東中央銀行だけを手にすることになった。
その後、TEFGは中国資本による買収危機を桂に助けられ虎口を脱することが出来た。
TEFGを救った桂は関東中央銀行をTEFGが呑み込むのではなく、SRB『グリーンTEFG銀行』として経営を行うように進言、それをヘイジに任せるようTEFGの頭取以下に約束させた後、再びTEFGを去った。
そんな複雑な経緯の後でヘイジは役員となり、任された『グリーンTEFG銀行』内での難しい案件を短期間で処理した功績から常務に昇格していたのだ。
そこへコロナが襲来した。
コロナは世界経済を停止させた。
◇次回は、18日(日)に公開予定です!◇