見出し画像

人間としての成長は「自分は何も知らない」という自覚から生まれる #1 人間の器

伊藤忠商事社長・会長、日本郵政取締役、中国大使など、数々の要職を歴任し、稀代の読書家としても知られる丹羽宇一郎さん。著書『人間の器』は、その豊富な人生経験をもとに、人として成長するにはどんなことを心がけて生きればよいか、自分の器を大きくするには何をすればよいか、時に優しく、時に厳しく教えてくれる作品です。賢人の知恵がたっぷり詰まった本書、その一部を抜粋します。

*  *  *

人間が知っていることはごくわずか

人間には、見えるものと見えないものがあります。知っているものと知らないものがあります。

画像1

実は自分の眼で見て知っている世界よりも、自分の眼では見えない知らない世界のほうが、水面下に隠れた氷山のように圧倒的に大きな割合を占めているのではないでしょうか。

見えない世界とは何も霊とか超自然現象といったことではなく、私たちが人間や生命や宇宙といったものに関してまだ見たことがなくて知らなかったり、理解できていなかったりするものです。

たとえば、物質の最小単位は素粒子ですが、それによって原子が構成され、宇宙のすべての物質は原子でできていると最近まで思われてきました。

ところが最新の研究では、原子からできている物質は宇宙の約5%にすぎず、残りの95%は未知のダークマターとダークエネルギーであることがわかってきた。それが事実なら、人類は宇宙についてほとんど何もわかっていないことになります。

ここ約1世紀における科学技術の進歩は、すさまじいものがあります。それに伴って、人間が処理する情報量は膨大なものになります。

カリフォルニア大学バークレー校のピーター・ライマン氏は2003年に、ここ3年間の全世界の情報量は人類が30万年かけて貯蔵してきた全情報量以上のものだと語りましたが、その後のデジタル技術の急速な進歩によって、今や人類が持っている全情報量は、さらに想像もつかぬほど爆発的な増加を遂げているはずです。

日々、ネットやテレビ、書物などを通してそのような夥しい情報の一端にふれていると、いろいろなことをたくさん知っているという気持ちになるかもしれません。

しかし、私たち人類がこの世界について知っていることは、やはりごくわずかでしかない。自分たち人間のことですら、大半がまだブラックボックスではないでしょうか。

脳科学が発達して、脳のメカニズムについての解説をよく耳にしますが、専門家にいわせれば脳のことだってまだわかっていないことだらけなのだそうです。脳がわからないということは、心のこともよくわからない。

医学の進歩は著しいものがありますが、身体についてもまだ解明されていない仕組みや機能はごまんとあります。他の哺乳類や鳥類と比べ、人間の身体はなぜこのような構造と機能を持つようになったのかということも、よくわかっていないことが多い。

人の身体機能や感覚にはさまざまな制約があるため、それによって感知できるのは、世界をある特定のアングルから切り取った一つの断面にすぎません

たとえば、視覚や聴覚は一定の周波数の光や音しかキャッチできません。動物には光をとらえる錐体という網膜の中で働く光センサーがあり、人間より錐体の種類が多い爬虫類や鳥類は、人よりたくさんの種類の色調が区別できるといいます。

人間の聴覚ではとらえられない周波数の音を、イルカやコウモリは聴くことができます。人間が知りえない世界像を、自然界の生き物たちはそれぞれに持っているわけです。

人間は優れた脳を持った生き物であり、今やこの世界の多くのことは解明されているんだという感覚がもしあるとすれば、それは大きな錯覚でしかないでしょう。

私が講演会で必ず話していること

人は知らないことがあるから、好奇心でもって、その未知なるものを求めるわけです。それが理性を発達させ、文明を進歩させてきました。

画像2

世の中は知らないことだらけ、わからないことだらけ。そう考えて謙虚になることは、とても大事だと思います。

たくさんのことを知っている。たいがいのことは理解できる――そんなふうに思えば、人間の成長はそこで止まってしまいます。

私は経営者が多く集う講演会で、必ず話すことがあります。

経営者に必要な条件は、自分は何も知らないという自覚です。無知で未熟な存在だと思えば、学ぶべきことがたくさんあることに気づきます。経営に必須な今の時代の新しい知識や感覚は、そんな自覚があってこそ学べるのです」

トップにいるから偉い。社員は自分より無知で、ものごとをよく理解していない。そんなふうな感覚を持っているトップは経営者失格です。

実際に現場の社員たちと少しでも深い会話をすれば、自分が知らなかったことをたくさん知っていたり、斬新なアイデアを持っていることに気づくはずです。ときには頭を下げて、社員に教えを乞うことがあってもいいのです。

たくさんの人から尊敬され、頭を下げられる立場にいようと、自分はまだまだ未熟者。人間はちょっとしたことですぐ傲慢になる生き物ですから、そのような自覚は常に持っておくべきです。

まずは「自分は何も知らない」ということを自覚する。そのことが、人間が成長していく上で、もっとも大切なことです。

膨大な未知によって、私たちが今立っている世界は支えられている。そんな謙虚な想像力こそが必要なんだと思います。

◇  ◇  ◇

連載はこちら↓
人間の器 丹羽宇一郎

画像3

紙書籍はこちらから

電子書籍はこちらから