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株価暴落に潜む、怪しげな男。 #3 メガバンク全面降伏 常務・二瓶正平

平日午後五時の丸の内仲通り。
オフィスビルやホテルが立ち並び、高級ブティックやカフェが路面を賑わすそこは、いつもなら大勢の人が行き来している場所だ。
だがコロナ禍の今、全ての商業施設はクローズとなり買い物に歩く人はなく、冷たい風だけが吹き抜ける。
丸の内の多くの大企業はリモート業務となっている為に、ビジネスマンの姿も殆どない。

(死の街……その言葉が比喩ではなく現実なんだ)

ディストピア小説に描かれるような景色だ。
「こんな丸の内を見るとは夢にも思わなかったな」
クルマで晴海通りから仲通りに入り、そんな街の様子を見ながら桂光義は呟
つぶやいた。
映画好きの桂は映画『バニラ・スカイ』の冒頭シーンを思い出した。
トム・クルーズ演じる富豪の主人公がニューヨーク、マンハッタンのコンドミニアムで朝、目を覚まし、ビンテージのフェラーリを運転して地下駐車場から外に出ると……どこにも人がいない。タイムズスクエアまで来ても人っ子一人いない状況に恐ろしくなった主人公は……クルマから降りて猛然と走り出すというものだ。

「あれは夢だったが、これは現実だ」

桂はそう呟いて、誰も歩いていない通りに目をやりながらクルマを走らせ、自分のオフィスが入るビルの地下駐車場に入った。専用スペースに駐車すると、エレベーターで五階まで上がった。
そこにあるのはフェニックス・アセット・マネジメント(Phoenix Asset Management Co,Ltd)通称フェニアム、桂光義の投資顧問会社だ。

「生涯、一相場師」と言って憚らない桂がマーケットの世界で生きるために創った会社だ。
しかし運用の大半は、桂のノウハウをプログラム化したAIの判断によって行われている。
「勘と度胸が必要な時が来れば俺が最前線に立つが……平時はAIにやらせた方が着実に結果を出せる」
桂は周囲にそう言っている。
しかし、今は異常事態だ。

「いよいよ俺の出番だな」

コロナによる未曽有の株暴落、世界の主要株式市場はあっという間にベアマーケット、最高値から二割以上下落した弱気相場に入っているのだ。
(ひと月も経たないうちにここまで下がるとは……。世界経済が全て停止したんだ。当然と言えば当然だが……)
フェニアムのAIは桂の予想を遥かに超える性能を見せ、見事に暴落局面を乗り切り殆ど損を出していない。
(誰よりも早く先物での売り建て指示をAIは出し……俺もそれに従った)
桂は自分の運用ノウハウをAIに移植し、ディープラーニングを併用して現実の相場で運用成果を挙げていることに自信を深めていた。桂の分身ともいえるAIが日々、運用能力向上のために天文学的回数の仮想の相場を張る。そこで学習したことが、現実の相場で見事に嵌まることに桂は驚きを隠せなかった。

(それにしても、これほど上手く弱気相場を避けるとは……)

相場が大きく下がる前に売り抜けるのと同じことを、AIは指示し桂は実行した。
だが桂はその結果に違和感を拭えないでいる。それは相場師としての桂の独特の哲学から来るものだった。
(負ける時は皆と同じように負ける。人を出し抜き抜け駆けすることを……相場の神様は許さない)

〝相場の神様〟という観念……それは他にもある。桂はインサイダー取引を相場の神様は絶対に許さず「生まれてきたことを後悔するほどの報いを受けさせる」とも考えている。
それは桂が考える相場の持つ神性だった。
桂が宗教を持っているわけではない。
それは桂の〝宗教心〟……相場の世界に生きる者として〝相場への畏れ〟と呼べるものだ。

ファンド・マネージャーとしてそんな風に考える人間は桂以外にはいない。
(俺はAIの指示で暴落を免れた。だが、それは結果として人を出し抜いたことにならないか?)
何とも嫌な感覚が桂から抜けない。
オフィスには桂以外、誰もいない。
元々メンバー全員がリモートで運用業務を行えるようにしてあった為に、コロナ禍でも何の支障もなく仕事は行われている。
桂もその日、自宅がある広尾のマンションの端末から売買を行った後で出社したのだ。

桂はオフィスに入ると自分のデスクに着く前に、フロアーの隅に設
しつらえてある小型のオーディオシステムに歩み寄った。
立てかけてあるCDの中からエリック・ドルフィー『アウト・ゼア』を選んだ。

軽快なリズムに乗って、弦と管が複雑なインプロビゼーションを奏でる。
「…… ♪ ……」
モダンジャズ好きの桂は五〇年代、六〇年代のアルバムを好んで聴く。
エリック・ドルフィーを聴くのは、いつもどこか迷いがある時だ。
桂は自分の机につくとコンピューターを立ち上げ、十二面あるディスプレーに映し出される指標やチャートを眺めた。

「何度も強烈なマーケットを経験したが……同じものはひとつもない」

そう呟いて、これまでの自分の相場人生を振り返った。
一九八五年九月のプラザ合意による急激な円高、一九八七年十月のブラックマンデーによる株の大暴落、二〇〇八年九月のリーマン・ショック……。
(それらに匹敵、いやそれ以上のことが今起きている)
パンデミックという……今を生きる全人類が経験したことのない、未曽有の状況なのだ。
それによる株価の暴落を桂は免れたのだが、釈然としない。
桂は端末を操作してAIの指示を確認した。
AIはここで売り建てを全て買い戻すことを指示している。

「ここで? 確かに短期的には下げ過ぎだが、大底はまだ先だろう?」

桂は迷った。
今桂が運用している顧客の資金は暴落前の水準で円換算五千五百億円になる。
「先物の売り建てで一千億以上の損を回避出来ている……」
売り建てを閉じる。つまり売りによる利益を確定し、AIが予想する反転上昇に乗るかどうかという判断にファンド・マネージャーの桂は迫られているのだ。
「いや、この売り建てを儲けで回収することは出来ない!」
桂はそう決めた。
「売り建ては続ける。AIが示すように相場は短期的には下げ過ぎだ。反発を見せるだろうが……それは捨てる!」
桂はそう決心した。
「株価が戻りを見せて、売り建てからの利益がゼロになったところで売りは解消する。それで相場とはイーブンになる。それでいい」
それが相場に対してのフェアなあり方だと思うのだ。

だが桂には納得が出来ないことがあった。
それはこの暴落の原因となった新型コロナウイルスそのものだ。
「何だか……人為的な臭いがする」
それも桂独特の感覚だった。
桂は流行りの陰謀論に与するような男ではないが、相場師としての感覚からコロナウイルスというものがあまりにも出来過ぎたものに思えて仕方がない。

「誰かが……仕掛けたものという感じが拭えないのは何故だ?」

コロナウイルスは世界を変えた。
それまでの人類の歴史を変えたと言えるインパクトを持って登場して来た。
パンデミックが、グローバリゼーションを極限まで推し進めた人類に与えたもの……世界経済が一瞬で止まるという誰も予想しえない事態……もしそれが人為的に行われたとすると見事な一手、究極の布石と言える。
「ある意味、グローバリゼーションが進んだ世界だから可能ということ。感染症の権威がずっとその警鐘を鳴らしていたのは事実だ」
桂はファンド・マネージャーとして様々な分野の書物を読み、あらゆる情報にアンテナを張っている。

「全人類の活動を止めるのはテロでも戦争でもなく疾病、感染症であること。もしそこに目をつけていたものがいたとしたら……」

凶暴なウイルスを人工的に創り出すのが決して難しいことではないのを桂は最先端の分子生物学の文献を読んで知っている。
「もし、そうだとしたら……」
桂はこの状況で何が最も力を持ったかを考えてみた。
それは国家であり官僚組織、つまり厳格な命令や管理を行う存在だ。
ロックダウンや非常事態宣言……その全てを管理する者、支配組織の力の誇示だ。
桂はふとその時、メトロポリタン美術館のマーク・ロスコの抽象画を思い出した。
それを見ている時、闇の男が現れて言った。

「人間社会がある限り官僚組織はなくならない。それは永久運動機械としてあり続ける。『何』をするではなく、常に『ある』ということなのです」

闇の官僚組織を動かすその男は言った。
「まさか!?」
桂は嫌な予感を覚えた。
丸の内はしんと静まり続けている。

◇次回は、22日(木)に公開予定です!◇

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波多野聖『メガバンク全面降伏』

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