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この命を救えるのか?…現役外科医が描く、感動の医療ドラマ! #1 泣くな研修医

大学を卒業したばかりの研修医、雨野隆治。新人医師の毎日は、何もできず何もわからず、上司や先輩に怒られてばかり。初めての救急当直、初めての手術、初めてのお看取り。自分の無力さに打ちのめされながら、隆治はガムシャラに命と向き合い成長していく……。

白濱亜嵐さん主演でドラマ化もされた、中山祐次郎さんの『泣くな研修医』。現役外科医ゆえの圧倒的リアリティが評判を呼び、すでにシリーズ4作品が出版されています。ハマったら一気読み間違いなしの本作、その物語の幕開けをお楽しみください。

*  *  *

プロローグ

朝から雨が降っていた。

雨の季節だった。

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街中のプールの水を集めて大きなバケツに入れ、いっぺんにひっくり返したような雨だった。九州の最南端であるこの南国の地、鹿児島ではときどきこういう雨が降った。そんな日は、街中を走る路面電車の「市電」が停まり、道路を走る車は少なくなる。外を歩く人はほとんどいない。街の一部が停電になり、飲食店やハンバーガー店は真っ暗なまま営業する。

ラジオでは、鹿児島なまりの地元のアナウンサーが川の増水に注意するよう呼びかけていた。

街の中心地から市電で一〇分ほど乗ると「騎射場」という電停があった。そこを降りて二つ目の角を曲がった三軒目に、そのさつま揚げ屋はあった。名を「薩州あげ屋」と言う。老舗というほど歴史はなく、人気店というほど活気がある店ではない。しかし、一度新聞に取り上げられてからは、九州各地から鹿児島に訪れる修学旅行生が立ち寄る店になっていた。

店主の雨野隆造はその日、朝から忙しく働いていた。店には店主とその妻しかいなかったから、揚げたてのさつま揚げを注文する客が続くとすぐに忙しくなった。店は小さな二階建ての一階部分にあり、二階は家族の住居になっていた。

大雨にもかかわらず、多くの客が来ていた。リタイアした老夫婦や中年の女性の団体客、そして昼を過ぎた今になって一〇人ほどの修学旅行生が店内を占めていた。

隆造は大忙しでさつま揚げを揚げていた。揚げたてを渡して、その場ですぐに食べることができるのがこの店の売りだった。それが意外と珍しいようで、時折外国人客も訪れた。

妻はひっきりなしに来る客から代金をもらい、釣り銭とさつま揚げを渡していた。

すると、どたどたと音がした。

「おかあさん、たいへんだよう」

息子の隆治が二階から降りてきて、母に話しかけた。

「いけんしたのね。お昼ご飯なら終わったがね。お兄ちゃんと遊んでなさい。……はい、どうも毎度ありがとうございます!」

隆治はぐすぐすと泣きべそをかきながら、

「兄ちゃんが変なんだよ」

と言った。母は隆治を見ることもなく、客への対応を続けた。

――また兄弟げんかでもしたかね。

隆治は結局、ぐすぐす言いながらまた階段を登って行った。

隆造は、大雨の日の予想外の繁盛に、奥の厨房で嬉しそうにさつま揚げを揚げていた。

しばらくして、修学旅行生が一通りさつま揚げを買い、店を出て行った。その時、またも隆治が階段を降りてきた。普段は二階で遊んでいて、両親が忙しいのを知っているので降りてくることはあまりない。

しかし隆治は来るなり、大声で泣き出した。

「おかあさん、お願い、兄ちゃんが」

あまりに泣く我が子を見て、母は(これはただ事ではない)と感じた。息子に尋ねても何を言っているかわからない。今は客が途切れているからいいだろうと、隆造に、

「ちょっと二階行ってきますよ」

と大きな声で伝えた。返事はなかった。

母が隆治を連れて二階に着くと、真っ赤な顔をした長男の裕一が畳の上に横になっていた。

「裕一! いけんしたのね!」

母は裕一のもとへ駆け寄ると、すぐに抱きかかえた。抱いた息子の腕が、だらんと垂れた。

「ちょっと! 裕一! しっかいせんね!」

顔を叩いたが、反応はなかった。まぶた一つ動かさなかった。母は隆治を見た。

「だから、兄ちゃんが変って……」

そう言って泣いている。

母は裕一を畳に寝かせ、大急ぎで階段を降りた。

「ちょっとお父さん! 大変! 裕一が変なんですよ!」

「ええ、なんゆっちょっかー」

客が途切れ、上機嫌でタバコをふかしていた夫はふうっと煙を吐いた。

「そいよりよー、今日はわっぜいかねー、雨やっとにわっぜいか客……」

「何言ってるんです。すぐに救急車呼んでください! 裕一が!」

また何をお前は……と隆造は茶化そうと思ったが、妻の顔がいつもとまったく違う。これは何か変だ。

隆造は階段を駆け上がった。

「おい! いけんしたとか!」

畳の上でぐったりしている裕一を見て、隆造はすぐに駆け寄ると抱き寄せた。

「裕一! 何よ! 何があったとか!」

揺さぶっても反応はない。よく見ると口から少し泡を吹いているようだ。唇はタラコのように腫れている。

――なんだこれは……まずい。

「おい、救急車呼べ! はよ!」

「だから言ってるじゃないですか、番号がわからないんです私!」

「バカ、一一〇番だよ! ……あ、いや、一一九番だったかな……」

「あ、思い出した! 一一九番です!」

母は階段を飛ぶように降りて行き、電話をかけた。

「息子が変で、返事をしないんです。……はい、はい、場所は騎射場の電停から……お願いします、大急ぎでお願いします!」

Part1 交通事故

「わかりました。ではお薬を出しておきますので、お大事にどうぞ」

数回目の当直に、二五歳、研修医一年目の雨野隆治は少しずつ慣れてきていた。医学部の学生時代にはまったく習わなかった病院のシステムがわかってきたのに加えて、当直の時に必要な知識が載っている救急の教科書で必死に勉強したからだった。

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一日の外来患者が一〇〇〇人、救急車受け入れ数は一年に三〇〇〇台。ベッド数が五〇〇床。東京は下町の総合病院。彼の勤めるこの病院では、医師歴一年目の研修医は基本的に四、五年目の医師(後期研修医と呼ばれる)と一緒に当直を行う決まりになっていた。

この日、隆治とタッグを組む相手は、外科の直属の上司で後期研修医である佐藤玲だ。

風邪や頭痛、腹痛などの軽症患者を次々と診察して帰して行く。この日はいつもより受診する患者の数が多かった。隆治は上下紺色の手術着のままで、白衣をはおらずに外来ブースBで診察をしていた。隆治は、初めて会う患者と話をしていると緊張で汗だくになってしまう。白衣だと、襟の部分が汗で変色してしまうのだ。

隣のブースでは佐藤が速いペースで外来診察を行っていた。二人の医師で三〇人ほども診察をしただろうか。佐藤がブースBの隆治を覗いた。

「よ、一応途切れたね。ご飯でも食べようか」

髪の毛を後ろで一つにまとめた佐藤は、きちんと化粧をしているが決して派手ではない顔をしていた。

「はい、わかりました」

二人は救急外来の隣にあるナース用の休憩室に行った。出前で取っておいたココイチのカレー弁当がすでに置いてある。佐藤の注文はいつもの「ビーフカレーに納豆とチーズをトッピングし、辛さは『5辛』」だった。隆治は普通のカレーにトッピングなしだ。

「いやあ、今日は多かったね、しかし」

そう言いながら佐藤はソファに座り、真向かいには隆治が座る。狭く雑然とした部屋だったが、妙に落ち着く。隆治はここが気に入っていた。小さいテレビからは、ニュースが流れていた。

「あれ、高速で正面衝突だって。こりゃ死ぬね」

と佐藤が言った。

「ひどいですね、乗ってたの親子三人ですって」

「いや、悲惨だ」

「……あれ、これここの近くじゃないですか?」

医学部を卒業して鹿児島から上京したばかりの隆治は、東京の地理をあまり知らなかった。そんな隆治でも、聞きおぼえのある地名だった。

「ほんとだ、結構近いね……しかし辛いな、これ」

佐藤のカレーは隆治のものより一見して色が赤い。佐藤は決まって辛さを増量した「5辛」を食べたが、そのたびに汗だくになっていた。

――じゃあ辛くするのやめればいいのに。

だが口には出さない。先輩のやっていることにケチなどつけられない。

その時、佐藤のPHSが鳴った。

ピリリリリ ピリリリリ

――あれ、おかしいな。

患者さんが来た時や救急車の受け入れ要請だったら、まず研修医の隆治に電話が来るはずだ。なぜ自分に電話が来ず佐藤に来るのだろう。隆治はカレーの残りを一気にかき込んだ。

「はい、外科当直の佐藤。……え?」

佐藤の顔色がさっと変わった。

「……わかりました、無理なんですね。はい、今日は岩井先生もいます、はい」

何か非常事態が起こっているようだ。

「……はい。一〇分後ね、了解」

そう言って通話を切ると、佐藤は隆治を見ることなくすぐに電話をかけ出した。相手は岩井だろうか。電話を耳にあてながら佐藤はテレビを指差して、

「さっきの来るよ」

と言った。

――え、さっきの?

聞こうと思ったが、佐藤の顔を見てやめた。

あの高速道路の正面衝突の患者さんが病院に来るのだろうか。隆治はぞっとした。そこまでの重症患者は診たことがなかった。佐藤は急にソファから立ち上がると歩き出した。隆治は慌ててついて行った。

ゴムで後ろに一つにまとめた長い髪を揺らしながら、佐藤は電話で説明している。

「あ、先生遅くにすみません。救急要請です。高速で正面衝突の親子三人、ドライバーの父親は無傷、後部座席にいた母親が鎖骨骨折、そして小児が腹壁破裂、三人ともバイタル(血圧や心拍数など、基本的な生存のサイン)は安定。近隣の救急が満床で受け入れられないとのことでうちに要請があり、受けました。……はい、準備します」

事故現場から患者を搬送している救急車はこちらに向かっているようだ。喋りながら佐藤は救急外来に戻ると、はおっていた白衣をバッと脱いだ。

「じゃあ準備するよ! 岩井先生も来るから! 整形外科の当直医も呼んどいて!」

すでにナースたちは点滴やモニター、採血セットなどを準備し始めていた。

「雨野、そういうことだから、手際良くやるよ!」

そう言うと手袋をはめた。

「はい!」

◇  ◇  ◇

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