麦本三歩は図書館が好き…『君の膵臓をたべたい』の著者が描く心温まる日常 #3 麦本三歩の好きなもの
朝寝坊、チーズ蒸しパン、そして本。好きなものがたくさんあるから、毎日はきっと楽しい……。映画にもなった大ベストセラー、『君の膵臓をたべたい』で鮮烈なデビューを飾った住野よるさん。『麦本三歩の好きなもの 第一集』は、図書館につとめる麦本三歩のなにげない日常を描いた心温まる作品です。その中から、「麦本三歩は図書館が好き」と「麦本三歩はワンポイントが好き」のためし読みをお届けします。
* * *
「その茶髪の子私が上行った時もいましたよー」
「へー」
優しい先輩とおかしな先輩のそんな話が耳に届いた時、三歩は両手で本を抱え、掲示するプリントを唇ではさんでいた。
「んすー」
それで喉と鼻から相槌とも言えない相槌が出た。その妙な鼻息をおかしな先輩に気づかれてしまい、鼻を摘ままれたので苦しくなって口を開けてしまう。掲示物を落としてあわあわしているのをおかしな先輩に笑われていると、怖い先輩から二人して注意を食らった。三歩だけ軽くチョップも食らった。いてっ。悪いことしてないのに。
いくなら二人ともいけよー、自分より先輩だからって忖度すんなよー。地下にある書庫で用事を済まし、ぶつぶつ言って頭を大げさに撫でつつ帰ってきてから、忖度でチョップを回避したおかしな先輩に先ほどの話を訊いてみることにした。
なんでも、茶髪のあの子が本を探していて、見つからなかったから三歩に頼んだんだけど、さっき優しい先輩が上に行ったらまだあの子いたよ~って話らしい。なるほど、チョップを食らうほどの話じゃなかった。そんな顔をしてしまったからだろう、話を聞かせた見返りに感謝の踊りを強要され、踊っているところをまた笑われていると再び後ろからチョップを食らった。
もうひとまずあの子のことはいいかな、いじめっ子でも性悪でもないし。そう思っていたんだけれど、その後貸し出し延滞者への返却催促の電話業務から帰ってきた優しい先輩が、うふふっと笑いながら少し気になることを言った。
「三歩ちゃんが言ってたあの子、本を見てるんじゃないんじゃない?」
どういう意味か訊いたけれど、優しい先輩はうふふっと作業をするため二階に消えていった。分かったふりして雰囲気で誤魔化す大人が三歩は苦手だったけれど、優しい先輩のうふふっは好きだった。
色々とお仕事をしているといつしか時間はシフト終了間際。残業したって残業手当をまるまる貰えるわけではないと知っている三歩はすぐ帰ることにしている。時は金なりサラリーマンの闇なり。
今日最後の仕事は、図書館宛てに届いている郵便物を教務課から貰ってくることだった。手で持ち切れない量になることも多々あるので、スーパーに置いてあるようなカゴを持って、お買い物気分で三歩は図書館を出る。時刻は既に夕方、今日は天気も良く夕焼けが眩しい。
こんな日は中庭のベンチに座って飴でも齧ろうだなんて考えていたら、あの子がいた。齧っていたのは飴じゃなくジュースのパックに突き刺さったストローだった。
「あ、お姉さん」
ガジガジと嚙まれていたストローは平たい。先ほどの茶髪の女の子、先刻の不機嫌な様子を思い出して三歩は距離を取る。そうして大人笑顔でうふふっと上手くは出来ないのでいひひっと誤魔化しながら立ち去ろうとするや、「ちょっと待って」と呼び止められた。観念し、三歩は茶髪の彼女に近づく。
「ど、どうも」
「お姉さん、首から下げてるそれ本名なんですか?」
それ、と訊かれて、どれ? と三歩は訊き返さない。三歩にとってこの質問は物心ついた時から繰り返されてきたごきげんように等しい。
「はい、むぎもとさんぽです」
「珍しい名前ー」
馬鹿にするような色はなかった。ここから名前の意味を訊かれるパターンや名前に関しての面白エピソードを訊かれるパターンについて三歩はそれなりに持ち駒を用意していたけれど、茶髪の彼女は別に興味がないように「本は見つかりました?」と訊いてきた。
「あ、あ、す、すみません、まだでひゅ」
「むー」
もう一度今度は、ごめんなさい、と謝ったけれど、彼女のむーは本に対するむーじゃなかった。
「やっぱ、お姉さんみたいなのがモテるんですよねーきっと」
「はへっ?」
いきなり急角度で飛んできた言葉に、三歩の薬指第二関節あたりから声が出た。
「まさかまさかまさかそんなそんなそんな」
首を全力で横に振るぶんぶんぶん。首から下げた名札がぺらぺらぺら。
「じゃあ、彼氏いないんすか?」
「そんなの」
三歩、無駄な嘘つけない。
「それは、今は、いま、すけど……」
「ほらー!」
足元でコンバースをぱたぱたと、地団駄を踏む茶髪の彼女におろおろしながらもこらやめなさいってお母さんの気分かなと三歩は思う。
「やっぱお姉さんくらいの抜けてる方がモテんだよなー」
「むー」
モテはしない、しないけれどあんまり否定するとまた地団駄されそうで、ひとまず感情の全てを込めてむーと表しておいた。概ね、むー。
って、さっきの彼女のむーは、またこいつ嚙みやがったぜあざとい、のむーかよ、と気づき三歩は恥ずかしくなる。
でもちょっとだけ、気づかないままにならなかったことに嬉しくもなる。
「え、あ、もしかしてそれで恋愛の本探してた、とか、ですか?」
「……むー」
「す、すみません」
バツの悪そうな顔を見ると、冗談で訊いたんだけどどうやらそうらしい。申し訳ない。これ以上立ち入るのはよそう。三歩は足を教務課の方に向ける。
「じゃ、じゃあわたひはこれで」
嚙みながら背を向けて、三歩の中になんともバツの悪い気持ちが残った。さっき、ついさっき、無邪気に嫌味を言ってくる感じ苦手だなーなんて思ったくせに、自分が同じことをしてしまった気がする。三歩は面倒くさい奴だ。自分は相手を嫌な気分にさせてもいいや、なんて考えてただ立ち去ればきっと今晩、枕無駄ニギニギ。
「あ、あの」
振り返ると、茶髪の彼女は立ち上がりかけていた。そのまま膝を伸ばすのを待ってから、三歩、勇気を振り絞る。
「あ、あなたも、良い匂いしましたよ」
元気づけるつもりで、私なんかよりあなたの方がモテますよと言うつもりで、たくさん考えた結果出てきた言葉が良い匂いしたってなんじゃそりゃ、三歩がそう思ったように、茶髪の彼女も同じことを思ったようだった。
「え?」
訊き返されたことに心折れた三歩はもう一度言葉を繰り返す勇気を残しておらず、せめてもと言い訳をするように小声で「図書館と同じくらい」と続けた。
これはむーだ。絶対むーだ。よくないむーだ。
そう思って恐る恐る若干下げていた視線をちらり上げると、茶髪の彼女はうっすらとではあるけれど笑っていた。可愛い。突然職場の利用者に良い匂いがしたと宣言した変態よりは少なくともずっと可愛い。
彼女は目をそらす――。
ちょっと面白がってくれた後に、やっぱり気持ち悪がられたのかと、三歩が心配になっていると。
「お姉さん、ごめんなさい」
「んん?」
「あの本、三階で読んでる人いました」
言うだけ言って、彼女はジュースのパックと鞄を持って、颯爽と去っていった。ほけっとした三歩は彼女の言葉の意味を考え図書館へとダッシュ。先輩達のどうしたの? という問いにも「ちょっと三階に」と背中で答えて階段を上った。
さっきの不明本、題名と請求記号は覚えている。三階の席の間を早足で歩きながら、利用者達が手にしている本達を盗み見る。
あった。茶髪の彼女と問答を繰り返した棚の近くに座っていた、よく図書館で見る男の子が、読んでいた。
三歩はまた早足で階段へ向かう、タタタタタ。階段下りる、ダダダダダ。ダ。
一階の受付に駆け足で到着し、おかしな先輩のところに近づいていった。
「本、ありました!」
「おー三歩でかした。でもね、鬼ごっこする時には鬼に気をつけなきゃだめだよ」
「ぬぇ?」
意味が分からずにいると、おかしな先輩は三歩の後ろを指さした。振り返る。
鬼がいた。
「あてっ」
本日三度目のチョップは、「走んなっ!」という怒声と共に、三歩の脳天に降ってきた。
「や、だって茶髪の子が不明の本が」
「郵便は?」
「い、行ってきます」
鬼の指揮下にいる三歩は大人しくもう一度図書館からとぼとぼと教務課に向かった。
次の日、不明本として登録されその日のうちに不明本じゃなくなるという慌ただしい一日を過ごした件の本は、無事本棚に戻ってきていた。
三歩はまた配架に向かう。既に一回戯れチョップを食らった頭をすりすり、チョップがマイブームな女なんてきっとろくな死に方しないぞと思いながら四階、そして三階に移動する。
次々と本をテトリスのブロックをはめ込むような要領で返していき、昨日茶髪の子に出会った棚の前に辿り着く。ちょうど目の高さの隙間に戻すべき本が一冊あり、おや、と三歩は手を止めた。その隙間から、奥の本の隙間を縫って見えるちょうどその先、長机に二人向かい合って座る子達が見えた。一人は昨日例の本を読んでいた常連の男の子。もう一人は。
三歩は手に取っていた本を見る。むー、本を探すふりをしてじっと恋する相手のすきを窺ってた? 話しかける勇気が出なかった? それとも喧嘩でもしてた? むー。
まあいいや、本人達に訊かなければ分からないことを想像したって仕方ない、どうせ訊く勇気なんてないのだし。
三歩は手に取っていた本で、そっと隙間を埋める。
「おかえり」
◇ ◇ ◇