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二人が出会ったとき、新たな事件が始まる…映画『死刑にいたる病』原作者が描く、衝撃のサスペンス・ミステリ #5 殺人依存症

大ヒット上映中のサイコ・サスペンス映画『死刑にいたる病』。みなさんはもうご覧になりましたか? 連続殺人鬼役の阿部サダヲさんの怪演が脚光を浴びる一方、原作者である櫛木理宇さんにも熱い注目が集まっています。

殺人依存症』は、そんな櫛木さんによる衝撃のサスペンス・ミステリ。息子を亡くした捜査一課の刑事、浦杉は、現実から逃れるように仕事にのめり込む。そんな折、連続殺人事件が発生。捜査線上に、実行犯の男たちを陰で操る一人の女の存在が浮かび上がる。息をするように罪を重ねる女と、死んだように生きる刑事。二人が対峙したとき、衝撃の真実が明らかになる……。

『死刑にいたる病』に興味を持った人なら、絶対ハマること間違いなし。映像化も期待される、本作の冒頭をご紹介します。

*  *  *

「あの朝のマル害は三、四人の痴漢野郎に囲まれていた。それをドア近くに座っていた中年の女が『やめなさい』と制止したんだ。その声で、乗客たちの視線が一気に集まった。痴漢の一人が『言いがかりだ』と怒鳴りかえしたが、女はひるまず『駅員を呼ぼうか』『へたくそは女に触る資格はない』とからかった。その口調がおかしくて、車内には笑いさえ起こったらしい」

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「へえ、勇気ある女性ですね」と高比良。

「だな。ちなみに関西弁だったそうだ。笑いが起こったのは、そのせいもあるだろう。関西訛りは芸人のイメージが強いし、きつい言葉でも耳に柔らかく響く。該当の女は泣いていたマル害を慰め、そして次の駅で一緒に降りていった」

「目黒駅ですね。時刻は午前八時十七分」

Suicaの履歴を、浦杉は復唱した。

「マル害に逃げられた痴漢どもは、その後どうしたんです?」

「周囲の目を避けるように、全員が隣の車両へ移っていったそうだ。だがマル目は移動せず同じ車両にいたため、以降の動きはわからない。……引きつづき、駅を降りてからの目撃証人を捜していかにゃならんな」

係長は唸るように言ってから、

「さいわいマル目によれば、痴漢の一人は人相に特徴があったらしい。堤が調書を取るついでに、似顔絵も描いてくれてるよ。マル害と一緒に降りた女のぶんもな」

「ああ、そういやあいつ、似顔絵検定に受かったばかりでしたね」

浦杉は首肯した。似顔絵捜査員には、巡査だろうと事務員だろうと検定試験にさえ受かればなれる。依頼要請が多く、重宝する資格のひとつであった。

係長が浦杉の肩を叩いて、

「似顔絵が出来あがったら、おまえも聞き込みの際は持って歩け。さて、合田さんが『九時から会議をひらくから集まれ』だとよ。あと三十分ちょいだ、一服するなり、小便しておくならいまのうちだぞ」


堤が二枚の似顔絵を描きあげたのは、夜の捜査会議を終えてさらに一時間半後であった。

「痴漢野郎のほうは、かなり似ているとマル目のお墨付きです。『接客のバイトを二年やってるから、人の顔を覚えるのは得意なんです。そっくりに描けてますよ』と自信満々でした」

自分の肩を揉みながら、堤が言う。

痴漢男は鼻骨が左側に湾曲し、受け口で顎が長かった。「なに言いがかり付けてんだ」と怒鳴った男の後ろに、隠れるように立っていたという。顔の長さのわりに、身長は標準で百七十センチ前後だったそうだ。

「この男の似顔絵は、さっきも言ったように自信作です。ですがマル目は、残念ながら女のほうに自信がないようで……」

「よく覚えていないのか」と合田主任官。

「いえ。平凡すぎて似顔絵にしにくい顔なんだそうです」

堤はかぶりを振った。

女の似顔絵を、主任官にそっと差し出す。

「『もう一度会えば絶対にわかるが、どうにも説明しづらい。思い出そうとすればするほど、記憶が逃げていく感じ』と言っていました。この絵だって、何度も描き直したんですがね。納得いく出来には遠いようでした。マル目いわく『似てるはずだけど、全体の印象が違う気がする。でもこれ以上、どう直したら似るのか見当がつかない』だそうです」

「ふん。まあ確かに、どこにでもいそうな平凡なおばさんだ」

合田主任官は女の似顔絵を蛍光灯に透かし、目をすがめた。

「おれの親戚にだって、何人かこんな顔と服装の女がいる。大通りを五分も歩きゃあ、そっくりさんが十人は見つかりそうだぜ」

まったくだ、と浦杉も思った。

下ぶくれの丸顔。目は一重で細め。ヘアスタイルは野暮ったいショートカット。小太りで、服装は無地の長袖ニットにジーンズだったという。五十代女性の四割強が、こんな容貌で風体なのではないだろうか。

「特徴は関西弁ということくらいですかね。それから、電車の中で菓子を食っていたそうです。マシュマロとかいう、あの白くてふわふわしたやつを」

「菓子ねえ」

合田主任官は気のない声で言い、「おい、人数分のコピーを取っておいてくれ」と、予備班の署員に似顔絵を手渡した。

「さて――明日は引きつづき、地取り、敷鑑、証拠品、それぞれの班で今日得た情報をもとに動いてくれ。この女と痴漢野郎を追い、並行して怨恨の線も追うんだ。マル害の両親、親戚……。それからええと、例のセクハラ元コーチか」

テーブルに手を突き、主任官が捜査員たちを睨めまわす。

「まだ計画的犯行か、行きずりの犯行かもわからんからな。すべての線を追え。全部の可能性をしらみつぶしに追って叩け。犯人どもは外道だ。ついこの前まで義務教育だった少女に、こんな惨い真似ができる鬼畜の変態野郎だ。いいか、第二の犯行だけは絶対に防がにゃならん。やつらが調子に乗る前に、必ず挙げてみせるぞ」

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ほとんどの捜査員は帰宅した。だが浦杉はその晩、署に泊まりこんだ。緊張を途切れさせたくなかったのだ。

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当直室に向かうか迷って、結局は会議室のテーブルの上で寝ることに決めた。この卓上では何度も眠ってきている。お世辞にも快適ではないが、勝手知ったる寝台と言えた。

持参の耳栓を耳孔に詰めこむ。まぶたを閉じる。

さきほど見た、女の似顔絵がぼうと眼裏に浮かんだ。その顔が、ゆらりと揺れる。揺らめきながら薄れ、もっと幼い少女の顔に変わる。

――加藤、亜結。

隣の二〇三号室に住む少女だ。まだ七歳の小学二年生である。

加藤母子があのアパートに引っ越してきたのは、去年の春だった。しかし親しく話すようになったのは、半年ほど前からだ。

母親の一美は区内の総合医療センターで、看護師として働いている。日勤、深夜勤、準夜勤の三交代制だそうで、出退勤の時間が不規則な上、夜間の出入りが多い。

そんな一美の娘である亜結は、当然ながら“鍵っ子”であった。

亜結が浦杉の部屋へ来るようになったのも、半年前である。アパートの非常階段で一人遊びしている少女を見かけた彼が、

「おい、あぶないぞ。そんなところにいるくらいなら、うちに来るか?」

と声をかけたのがきっかけだ。

亜結はおとなしい――いや、静かな子だった。

暴れる、騒ぐどころか、大きな声を聞いたことすらない。食べ物の好き嫌いがなく、わがままも言わず、部屋にいてもほとんど存在を感じさせない。七歳にしては、奇妙なほど老成した少女だった。

母親の一美は十人並みの容貌だ。しかし亜結は美少女と言ってよかった。目鼻立ちが整っているだけでなく、抜けるように色が白い。

とくに印象的なのは、その双眸だ。両の瞳が、透きとおった琥珀いろなのだ。角度によっては黄金いろにも見える。白目は青みがかり、驚くほど長く濃い睫毛が琥珀の瞳を縁どっている。

その亜結の瞳が、声が、記憶の底から浦杉に問いかけてくる。

――おじさん。どうしてそれ、わたしに言うの。

と。

かつて、実際に亜結の口から洩れた問いだ。

そうだ、あのときはまだ、亜結と出会って日が浅かった。亜結の声音には、かすかに非難の色があった。

なぜ他人の亜結に「あぶない」「用心しろ」と口うるさいほど注意するのか。なぜ独り言のように思い出話をぽつぽつ打ち明けるのか。かと思えば、なぜ目を細めて「きみが大きくなったら」などと未来を語りたがるのか。

本来語りかけるべき、実の娘がいるではないか。どうしてわたしに――と。

――娘には、なかなか会えないからな。

浦杉自身の声が応える。われながら苦い口調だった。語尾が、力なく落ちた。

――どうして? 遠くにいるの?

――いや、会えないだけだ。

――会いたくないって言われたの?

――いや……。

口ごもる浦杉に、そっか、と亜結が言う。

――そっか。おじさんのほうなんだね、会いたくないのは。

感情のない声だった。それだけに、針のように鋭利だった。

――おじさん、怖いんでしょ?

ああそうだよ、怖い。心中で浦杉は同意する。

おれは怖いんだ。実の娘に会うのが、妻子に向き合うのが怖い。なぜって、鏡を覗くも同然だからだ。真夜中にふいに見てしまった鏡のように、見たくもない己をそこに見出してしまうかもしれないからだ。

だが彼は、そうとは口にしなかった。ただ「会えないんだ」とだけ言った。「きみの言うとおりだ。怖い。だから会えないんだ」と。

亜結が、そう、とまぶたを伏せる。

――そう。だったらわたしも、おじさんと一緒。

長い睫毛が、少女の頬に濃い影を落とす。

――わたしも、自分のお父さんに会いたくない。


「ウラさん!」

はっと浦杉は目を開けた。

まず視界に入ったのは、会議室の白い天井だった。二列の煤けた蛍光灯。そして真上から覗きこむ、心配そうに眉を下げた堤の顔。

朝だ。窓からななめに朝の陽光が射しこんでいる。まぶしさに浦杉は顔をしかめ、緩慢に身を起こした。

「ウラさん、こんなところに泊まったんですか。当直室、満員でした?」

「ああ、いや……」声が喉でかすれた。

「うなされてましたよ。水を持ってきましょうか」

「すまん」

堤がウォーターサーバに走る。約二分後、水を入れた紙コップと朝刊を持って戻ってきた。いつもながら気の利く新米である。

朝刊の三面をひらいて、浦杉は唸った。小金井市で男児が失踪したという見出しが、大きな活字で躍っていた。

また子供か――。浦杉は口の中でつぶやいた。

いつもそうだ。狙われるのは、つねに弱者だ。年寄り、女、子供。弱いものから犠牲になっていく。世界中どこでも同じだ。国連ができようと、おれたち警察がどんなに駆けずりまわろうと、すこしも改善しない。いや悪くなるばかりと言っていい。いやになる。まったくいやになる――。

「ウラさん? 大丈夫ですか」

肩に手を置かれた。やけに堤の顔が近い。不安そうに目を瞬かせている。

浦杉は笑い、目を大げさに擦ってみせた。

「そんな顔するな、寝ぼけてるだけだ。……係長たちが来る前に、布団を片づけておかなきゃあな」

◇  ◇  ◇

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『殺人依存症』

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