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なぜ私はネガティブを脱した?〜解決の糸口を探る〜

玄徳です。

ネガティブな人の大半は、心の奥底でそれを脱し、100%とはいかなくともある程度はポジティブな思考で生きていきたいと思っているのではと考えています。

それは、ネガティブ思考による生産性が、限りなく少ないからだと思います。というか、自分の場合はそうでした。
基本自己否定になってしまうので、新たなチャレンジの機会を自分で奪ったり、必要以上に安定を求めてしまう傾向があるような気がします(異論は受け付ける)。

そんなあくまでの仮説、「ネガティブからポジティブに転換したい人」向けに、自分が少し、いやそれ以上に変われた理由を考察してみたいと思います。

まず、一つに自分の「非凡でいたい」欲求があったように思います。
本来の意味とは少し違うかもですが、「普通の人と同じでありたくない」という思いです。これは自分にとって、すなわち「普通の人と同じことをして勝てない(自分にはできない)」というネガティブ思考が背景にありました。

ならどうするか。
「普通の人」がしないことをする。
それだけでした。

ここには書けないこともありますが、中学生の時に動画編集をやり始めたりとか、自分の技能にはあまり周りの人がやっていなかったものがいくつかありました。
(今時はアレかもですが、96年生まれにとっては中学生から動画編集に手を出す人そこそこ少なかったんです今よりは)

はっきり言ってしまうと、そこで承認欲求を満たせたことが自分を保つ上で非常に大きな力になったことは事実だと思います。
承認欲求を満たすことは悪、みたいな感覚って昔の自分にも少しあったんですが、実際どこかで埋めなければならないものなので、上手くやりくりする必要があるんじゃないかな、という印象です。
もちろん、あんまりいきすぎるとよくないんですけどね・・・。

そういった下地もあったのかもしれませんが、付け加えていうなら、自分はどこかで「ネガティブ」を疑っていたように思います。
先ほどの話が中学生から始まったものとすれば、この話は高校生くらいから脳内で持ち上がってきたものです。
簡単にいうと、自分の持つ「ネガティブ」に時には支配されつつも、時には客観的にその存在を確認することができた、ということだと思います。

その辺りで色々考えましたね。
最終的に論理で「ネガティブ」を組み伏せることになりました。
その論理自体は以前の記事とあまり変わりません。読んでみてください。

ただ、それで自分がすぐポジティブになれたわけではなく。
なぜかってその時の論理には証拠が存在しないからです。
まさに絵に描いた餅状態ですね。

そしてその仮の論理を実証したのが、浪人時代でした。
こちらも以前の記事を見ていただきたいのですが、浪人生活に入る前に、「ポジティブに行こう、一日2,3時間勉強でも自分を責めないようにしよう」と決めたのは、まさに「実験」だったと言えます。
その「実験」にある程度確信を持って挑めたのは、それまで考えてきた論理と、浪人直前に話をしてくれたり、聞いてくれた親戚の方々のおかげです。

ところで、今になってだいぶ根本的な話をしてしまうのですが、自分のネガティブの原因の大半は母にあったと言えます。
別に悪いことばかりじゃなかったとも思うのですが、人にとって大切な「自信」を同時に奪っていたことも確かでした。
自分にとって「ネガティブ」を疑うことは、母を疑うことと同義でした。
しかし、母を止める人は誰もいませんでした。
家庭内で、親戚内で母の行動を間違いと指摘する人はいませんでした。
その中でひたすら自分は、両親の喧嘩であったり、インターネットであったり、様々な人であったりと、色々なものに触れて、「自分は正しいのではないか」という思いを強くしていたのです。

すいません。話が前後しました。
そうした中で浪人直前、自分は一人で親戚の家に行って、話を聞いてみると、存外母を疑問視する声が聞こえてくるじゃありませんか。
それでまあ、「頑張って」と手料理とか、焼肉とか振舞ってくれたりして。
自分はその時にきっと、無意識に自分への支持を感じたのでしょう。
それが浪人時代を、大いなる「実験」(「挑戦」と言っても良いかもしれません)期間に仕立て上げる最後の一推しとなったのです。

・・・で、結果はこの通りです。
浪人中も本当に色々あったのですが、今この話には関係ないので割愛します。
大切なのは、雨の降る3月9日の夕方、うちに合格通知書が届き、目に涙を浮かべた母と握手を交わしたということくらいです。

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頭に浮かんだことをばっと書いてみましたが、点と点が繋がった気持ちがして、想像以上の達成感を感じております。

特に、母への疑問、という観点はあまり書きたくなかった自分がいたのですが、今回でようやく、納得がいく形で書けました。
いくつもの記事にまたがる感じになってしまいましたが、まあその方が人間らしいでしょう。人間アピールってやつです。
・・・別に人外アピールしたことないし自分でそう思ったこともないですけど!

でもこれで、「自分の記事を読んでください!」と胸を張って言える気がします。
自分の人生は、まだこれからだけど、「これまでの自分」がきっと誰かの役に立つ。
そう思っていて、それが一つ、達成できるかもしれないと思いました。
調子乗りすぎですかね。

長くなりました。
恥ずかしいでしょうがまた読み返して、分かりにくいところは加筆修正しますね。何かあればなんでも聞いてください。身内、非身内問いません。
それでは。

基本的に投げ銭待ちスタイルです。 よろしくお願いしたりしなかったりしています。