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人生最初で最後の夜に


小学生の頃、授業中におもろいことを言ってクラス中を笑いの渦にするのがなぜだか得意中の得意であった。引っ込み思案の恥ずかしがりやの自分なのに、なぜだかおもろいことがポロポロ出てきて、みんなを笑わす。
先生の発言につっこんだり、ボケを噛ましたり、妙にふんわりしたことを言って人をクスリとさせたり、自由自在。
自分でもなんで、我ながらこんなに俺はオモロイのか不思議であった。笑いの神か悪魔が取り付いていたのかってくらい。クラスメイトに松本人志がいても負けてなかったと思う。オカルトめいたことを言えば、自分がジョークを言うときに発言する0.1秒前に脳内にみんなの笑い声が響き渡るといった不思議な体験も何回か体験している。
成績も良かったし、面白い人ってことでそれなりに人気者であった。

って、感じで書き進めていたのだが、途中で筆がとまってしまった。ってことで、ボツ。このネタは、いずれ改めて書くこととしよう。

気を取り直して……

(自分の過去)離婚して、その後一年半後くらいに田舎の親父が倒れ、家を処分して実家に帰ったら母がすぐに死んでって話は以前少し「易の神秘」で触れた。


その後のことを書こう。

📂no+e 備忘録:『最初で最後の詩(うた)』


喪主としておふくろの葬式を終え、トラックの運ちゃんとして働き始めた。
夕方から積み込み作業を始め晩10時頃に積み終え出発。AM2時頃に配達先に到着し仮眠、朝から配達開始って感じだ。配達先に行く途中でAMラジオを聞くようになった。
「まさか、こんな歳になって深夜放送を聞くようになるとは……」


話は、ころっと変わるがみなさん「詩」は好きだろうか。
自分はそうだなあ、苦手というか、まるで理解できないひとであった。
国語の授業で詩が出てくると非常に苦痛であった。訳のわからない、ひたすらに退屈な苦痛をその時間は持て余していた。
  さて、中学生か、高校生の頃だったか、角川文庫のパンフというか小冊子に北原白秋に触れた部分があった。(以下、記憶間違による、もしくは思い込みによる、正確でない部分はご容赦願いたい)
北原白秋が生まれて初めて書いた詩が紹介されていた。三行詩。


カチリ
石英の音

by 北原白秋


読んだ途端に「! ! !」
生まれて初めて「詩」を理解した。今も忘れられない体験と瞬間だ。
詩っていいなあ。詩ってこんないいものだったんだ……。知らなかった……。

詩の素晴らしさを知った。
とはいえ、その後詩を読むようになったかというと、まるでそんなことはなく、多くの詩は自分の心には入ってこないままだった。
ごくたまに、理解できる詩と出会うことがあるくらいだった。
 小学一年生のときぐらいに詩を理解できる体験を済ましてたら、退屈だった小学生の国語の詩の時間が楽しかっただろうにかなり損をした、しょうがないが。
妻の実家に行くと銀色夏生の文庫本がよく転がっていた。義妹が好きだったらしい。自分がパラパラっと見た分にはどれも自分の心の中には入ってこない詩ばかりで(理解できない自分が)残念だった。
  自分が38歳くらいのときに長編小説を書いた。その中である一つの章がほぼ丸々、主人公の心中のモノローグの部分がある。ずっと実質「詩」で構成された章。自分的には、結構気に入っている、気持ちよく書けた章であった。あのとき、北原白秋の詩に出会えてなければ絶対に書けてなかった。非常に幸運だったと思う。

さて、トラック運ちゃんとして働き始めて半年ぐらい経った頃だろうか…。
休みの日、家で過ごしている日中に、急に降りてきた…。
「!!」
「結構、いいかも」
ちょこちょこっと手直ししてメモっておいた。
短い詩みたいなものである。

ちょっとしてから、
 この詩を、トラックの運転中に聞いてる深夜放送に投稿してみたら?って、ひらめいた。
 どうやって投稿したんだろう。まるで記憶がない、流石に、ハガキや手紙ってことはないので、メールか番組WEB サイトの投稿フォームに入力して送ったのだと思う。
番組のパーソナリティが結構自分は気にいっていたので、自分の書いた詩に目を通してくれればそれだけで満足という気持ちだった。

ある日、仕事で真夜中にいつものように深夜放送を流しながらトラックを運転していた。
「えっ!?」
自分の書いた詩が読まれたのだ。
一瞬、何が起こったのかわからないような感覚…。
飛び上がるような嬉しさってものはなくて、自分でも驚くほど冷静であった。
静かに心の中が暖かくなるような感覚…。
自分の内的世界の端くれを理解してくれる人もいるんだ……。
じわじわと嬉しさが湧き上がってきた…

いい歳をしたおっさんが、金を稼ぐために荷物積んで、大阪の下町をトラックを転がしながら深夜放送で自分の詩が読み上げられるのを聴く……、まあ、なかなかないシチュエーション。得難い体験っていうか。
一生に一度の夜であった。

さて、深夜放送に投稿した拙作の「詩みたいなもの」は、以下の二行。

独りで生きていくって決めた日の夜
私は初めて寂しさと仲直りをした

[了]

📁no+e 備忘録:『最初で最後の詩(うた)』

今回は、まぁ、こんなところです。
最後まで、読んでいただいてありがとうございます。
 書きながら、そういやそんなこともあったっけ、と懐かしいような感慨深いような…聞かれもしないのによく書くよってって感じの問わず語り。
 まぁ、年寄りの昔話……ではあるよな。
 なんか心が感傷モードに入ってしまった。まあ、いいけど。

 いま、何かに包みこまれるような感覚で、静かにキーボードを叩けることにとても幸せを感じている。外は、どんよりと曇っているが、ガラス越しにヒバリのさえずりが聞こえてきて春が近いことを教えてくれる。梅の花もほころんでいる。
 ゆったりとした心で、静かなささやかな情熱をテキストfileに落とし込んでいくこの満ち足りた作業も締めくくるときがやってきた。
 何気ないこのときも、人生の最初で最後。
 リアルなこの瞬間は、5分前もそうだし、10分後も最初で最後の今しかないもの。
  今のこの瞬間、あなたは何を思いどう過ごされていますか?
過去に会ったこともなく、今もあなたがなにものであるかも知らず、永久に会うこともない。
 いま、この文章を読んだ瞬間があなたと自分が点と点で接するかけがえのない瞬間……。
最後まで、読んでくださったこと、本当に感謝しています。
ありがとう。
2025/02/16  project SORA  [EOF]

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